优秀賞

「中 」と「日」の「 道 」

黄倩倩(合肥学院)

5000余年前、漢字が生まれ、中国にて書道の文化が始まる。

西暦285年、漢字は日本に伝来し、日本も書道が広まる。

2010年、書道の勉強のために、中国にある一人の女性が来た。

2013年、私たちは彼女に書道を習った。

そして2015年、彼女は日本に帰国した。

彼女は私たちの日本語の先生でした。
「先生は中国が好きですか」
「うん、好きですよ。」
「一番好きな文化はなんですか」
「書道ですね。」
私は、先生は中国に来た目的として書道の勉強に励むためということを聞き、少々耳を疑った。どのような情熱を持って家族の反対も顧みず中国に来たのか。その時私には彼女の意図がわからなかったが、それでも一人に中国に来た彼女の勇気や情熱に対し、私は尊敬の念を抱いた。

ある授業で、私たちの先生は紙に二つの簡単な漢字「中」と「日」を書いた。簡単な漢字だが、何度も練習し、初めてきれいに書くことができるのだと先生が言った。

その二つの漢字を綺麗に書くために、私は何度も何度も練習した。机の上にすでにたくさんの紙が積み重ねたので、不注意のため、紙が何枚落ちた。私は屈んでその紙を拾い上げた時、急に何か気づいた。

そして私はその「日」を書いた紙を90度回転をさせ、「日」の真ん中の線を上下に伸ばした…どうなっただろう。そこに現れたのはもう一つの「中」であった。見慣れるものでも、違う角度から見れば、新しいものが発見する。

その「日」の真ん中から伸ばされた線は、まるで伸ばた両手のようではないか?両手を広げ、「日」は「中」になった。そして、両手で抱きしめれば、「中」は「日」になったのだ。

そう考えてると、私は「中日」の関係を考え直してみっていた。もしその書いた「中」と「日」の漢字のイメージは、中国と日本のきずなのイメージと同じなら、両国はお互いに友好的な手を伸ばすれば、未来を抱きしめることができるのではないかと思っていた。

千年前、漢字が日本に伝来した時、この「中」と「日」のきずなが生まれたではないだろうか。そして書道は中国と日本で盛んになると同時に「中」と「日」のきずなもさらに深くなってきたと思う。今日、私たちの日本人の先生は中日共有の書道によって、その忘れられたきずなを再び見せてくれた。その「中」と「日」のきずなも中国と日本のきずなだと思う。

それからの2年間、私たちにとってこの書道という文化は、ただの芸術という書法の美の道だけではない。私たちと先生が作る想いの道、中日の道でもある。

2015年、先生が日本に帰国した。

最後の授業、先生は私たちに向けて「道」という文字を書いた。その字に目を凝らすと、まるで本当の「道」が目の前に現れたように、一節の光が私の目の前から彼女の足下まで伸びていた。その瞬間、私は身にまとわりつくもの全て振り払われたかのように、先生と私たちの未来、中国と日本の未来を心から願っていた。

人間は、どんな時でも、未来の可能性を信じるべきではないだろうか。先の「中」と「日」の関係のように、中国と日本はきっとお互いにその見方を変えることで、同じ「道」で歩き続けることができると信じている。

送別会で初めて先生は「ありがとう、幸せ」と言いながら、涙が頬を伝う顔を見せた。最後に私たちはクラス全員で作ったアルバムと「中」「日」「道」という漢字をプレゼントとして先生に手渡した。

そのプレゼントの中には、私たちの共有の思い出と願いが含まれている。「中日」は同じ道で向かい合って歩み寄っていくという願い。