美術館の雰囲気は好きだけれど、充分に楽しめているかは疑問が残る。あるいは、「行ってみたいけれど知識がないから」と躊躇してしまう。そんな人は少なくないと思いますが、そこでオススメしたいのが、『芸術がわからなくても美術館がすごく楽しくなる本』(藤田令伊著、秀和システム)鑑賞者の立ち位置を大事にしながらアートの愉しみを広げる活動に尽力しているというアートライターが、「見る力」の養い方や、美術館の楽しみ方を紹介した書籍。

虽然很喜欢美术馆的氛围,但不知道自己能否充分享受其乐趣。或者,“虽然很想去但是因为没有相关知识”就犹豫了。这样的人不少,于是就想推荐这本《即便不了解艺术也能享受美术馆乐趣的书》(藤田令伊著、秀和组织)一边重视观赏者的立场,一边扩展艺术的乐趣努力开展活动的艺术作家为大家介绍培养“欣赏力”和享受美术馆乐趣方法的书籍。

美術が「わからない人」など存在しない

对于美术一窍不通的人不存在

美術に馴染みのなかった人は、「自分には美術はわからない」敬遠しがち。しかし、美術とは本来、「わかる」とか「わからない」というものなのでしょうか?

不熟悉美术的人,就会觉得“自己不懂得美术”而有对它敬而远之的倾向。但是,美术难道本来就是要区分,“懂得”或是“不懂得”的事物吗?

美術が「わかる」とは、ひとつには美術に関する知識が豊富なことをさします。「モネは印象派を代表する画家で、絵の具を混ぜない筆触分割という画法で作品を描いた」というようなことを知っていると、「美術が『わかる』人だな」とみなされるわけです。そしてもうひとつ、「見る眼」があることを美術が「わかる」という場合もあります。作品をひと目見るやその価値を鋭く見抜き、見定めることができれば、「わかる」人ということになってしまうということ。

所谓懂得美术,其中一点就说明其拥有着美术相关的丰富知识。“莫奈是印象派的代表画家,他以颜料不混合笔触这样分割的画法来绘画作品。”像是了解这样的事情,就会被大家认为“是懂得美术的人”。而且还有一点,有欣赏力也会被认为是懂得美术。要是一眼就能敏锐地看穿作品价值,就是“懂得”的人。

しかし、「楽しむ」ために必ずしも知識は必要ではないでしょう。「見る眼」も、普通の人が普通に美術を楽しむ際には、それほど関係ありません。むしろポイントは、人それぞれの価値観に作品がピタッとくるかどうか。つまり作品に対する自分なりの価値観を見いだすことができれば、それでよいということ。そう考えると、「美術がわかる」とは、「自分なりの価値観で美術を見て楽しむこと」だとわかるはず。知識がなくても問題はなく、「見る眼」も自分の価値観で決めればいいということ。だから、仮に知識がなくても、臆することなく美術と向き合っていけばよいのだと著者は記しています。(62ページより

但是,为了享受艺术难道一定需要有相关的知识吗?欣赏力也是,在普通人正常地欣赏美术的时候,是与知识无关的。倒不如说重点是,人们各式各样的价值观能否和作品契合。也就是说能从作品中发现自己的价值观的话,那样就好了。这样想来,所谓的“懂得美术”就是以自己的价值观来欣赏美术。没有相关知识也不成问题,欣赏眼光就以自己的价值观来决定。所以,假设即便没有相关知识,也不必畏惧与美术面对面。作者这样写道。(62页)

事実、今日の美術鑑賞は「オープンエンド」(唯一の正解がない状態)なものと考えられているそうです。つまり、見る人それぞれの答えがあればそれでよいということ。むしろ重要なのは、自分にとってどんな意味があるかということ。「正しい」や「間違っている」に捉われず、「楽しめる心」を良き放つことの方が大切だということです。(74ページより)

事实上,今天的美术鉴赏被认为是的开放(唯一的没有正确答案的状态)。也就是说,欣赏作品的人有各自的看法就好。倒不如说重要的是,作品对于自己来说有什么样的意义。不揪住“正确”或“错误”,好好释放享受的心才是最重要的。(74页)

「おばあさんと仏教」がお手本

以老婆婆和佛像为范本

ひとりのおばあさんが、展示されていた仏像の足元にうずくまり、仏像を見上げては手を合わせて拝み、泣き崩れていたというのです。その光景に驚き、その場に釘付けになってしまったという著者はこのとき、おばあさんと仏像との間には誰にも介入できない特別な絆が結ばれているように思えたそうです。

一位老婆婆,在展示的佛像脚下很痛苦的样子,头仰望佛像双手合十祭拜,要放声大哭起来。这样的景象让人震惊,像被固定在那里的作者那时觉得老婆婆和佛像之间由谁都无法介入的特别羁绊牵连着。

私たちは知識の多寡と鑑賞力の優劣を混同してはいないでしょうか。たくさんのことを知っているからといって、それだけですぐれた鑑賞ができるわけではありません。たとえシンプルなことであっても、自分で何かを感じたり、気づいたり、考えたり、刺激を受けたり、感動したりすることこそが美術鑑賞の角なのだと、おばあさんは私に教えてくれました。(81ページより)

我们把知识的多少和鉴赏力的优劣混淆一体了。即使知道很多知识,只是这样并不一定能有出色的鉴赏。即便是简单的事情,自己感受到了,发现了,思考了,受到刺激,受到感动这些正是鉴赏美术的角度,这正是老婆婆教给我的。(81页)

このような考え方を軸として、美術館のカフェの楽しみ方からパンフレットの活用法、鑑賞する力の育て方までが本書では幅広く紹介されています。決して難しい内容ではないので、読み終えたころには美術館章に関しての考え方が変化するのではないかと思います。ぜひ目を通してみてください。

以这些想法为中心,从如何享受美术馆的咖啡店,如何有效利用展览宣传册,到培育鉴赏能力的方法在此书中都有被广泛介绍。绝对不是很难理解的内容,阅读完后关于美术馆的思考方式会发生改变。请务必阅读一下。

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