日本も中国も、「儀礼を重んじる国」で、家族や友人に贈り物をする機会が多い。だが、中国では、贈り物を渡したり受け取ったりすることを、負担に感じることがある。

无论日本还是中国,都是“重视礼仪的国家”,经常会赠送礼物给家人、朋友。不过在中国,送礼或收礼时常常会觉得有负担。

以前、私(筆者)が貴州に出張した時、現地政府から記念品として大きな石製の亀を頂いた。とても珍しいものだが、私一人では持てないほど重たかった。さらに悲惨なことに、私と一緒に出張した中国人男性は、定年退職した公務員の方で、私と同じく重たい亀を持ち運べず、彼がもらった亀も私のところに回ってきた。客として、主人が贈ってくれた贈り物をホテルの部屋に残して帰ることは、礼儀に欠ける。そこで、当時まだ若く、やせっぽちだった小娘の私は、仕方なく、大きな石製の亀2匹を無理して持ち帰るしかなかった。

以前,笔者去贵州出差时,当地政府把巨大的石龟作为纪念品赠送给我们。虽说是十分珍贵的礼品,却是我一个人无法搬运的重量。更惨的是,和我一起出差的中国男子是一位已退休的公务员,和我一样拿不动沉重的石龟,连送他的石龟也给了我。作为客人来说,把主人赠送的礼物留在酒店房间里实在有欠礼数。于是,当时又年轻又瘦小的我一个小姑娘,没有办法,只能拼了命把这俩大石龟带了回去。

私はこの時、「贈り物は、『高大上(高級・重厚・上等)』であるべき」という中国人の考え方を理解した。重ければ重いほど、贈る相手への真心が込められている。私の感覚では、中国人と米国人はいずれも「大きさ」を追い求め、「大きい=良い」という観念を持っている。一方、日本人は、「精緻」を追求し、「小さく精密=良い」と考える。日本には、「山椒は小粒でもピリリと辛い」という言い方がある通りだ。日本人は、多すぎる贈り物や大きすぎる贈り物は、かえって相手の迷惑になると考える。だが、この点は、中国人にたびたび誤解され、「日本人はケチ」をいう印象を持ってしまうようだ。

那一刻,我算是理解了中国人对于“礼物要高大上(高级、厚重、上等)”的想法。礼物越重,越能表达送礼人的心意。从我个人感觉来说,中国人也好美国人也好,都喜欢追求“大”,他们都有着一种“大=好”的观念。而另一方面,日本人追求的是“精致”,觉得“小而精巧=好”。在日本,有一句俗话说“山椒虽小,辣人心。”日本人觉得,太多的礼物或太大的礼物,反而会给对方造成困扰。不过在这一点上,每每会遭到中国人误解,给他们留下“日本人真小气”的印象。

中国で生活する日本人妻として、どうしても馴染めないことは、姑から「箱入りの卵」を贈られることだ。中国人にとって、この贈り物には、相手に対する関心、愛情、幸せを願う気持ちが込められている。だが、私にとって、これは「早く全部食べてしまわねば」という大きなプレッシャーとなる。というのも、日本人にとっては、卵は新鮮さが命であり、主婦は普通、6個入りや12個入りケースを1箱ずつ買う。

作为在中国生活的日本妻子,怎么都无法习惯的,就是婆婆送来的“整箱鸡蛋”。对中国人来说,这份礼物包含着对你的关心、关爱、愿你幸福的心意。但对我来说,却成了“这得赶快全部吃完啊”这种巨大的压力。日本人认为鸡蛋以新鲜为本,主妇一般也就买6个或12个一盒的鸡蛋。

また、贈り物は不義理をしてはならないという「プレッシャー」となり、半強制的なものであるゆえ、私は「不自然さ」を感じざるを得ない。

而且对于赠送的礼物,我们不能忘恩负义,这就又成了“压力”。半强制性的感觉实在让我觉得很“不舒服”。

最も良い例として、今年の「教師の日」を挙げることができる。この日、子供たちはほぼ全員、大きな花束を持って登校し、先生にプレゼントした。プレゼントが花束になったのは、学校側が子供による教師へのプレゼントを明確に禁じた2年前からの現象だ。だが、ほとんどの教育熱心な親は、「教師が喜んでくれるなら、やはり贈り物をしたい」と考え、花束ならば気持ちだけでも伝わるだろうと、誰もがみんな花束を贈るようになった。贈らない子供(家庭)は、教師を尊重していないと思われるようで、自分たちのメンツに関わってくる。

举个最好的例子,就说今年的“教师节”吧。这天,孩子们几乎每个人都带着一大束鲜花去上学,并送给老师。礼物成了鲜花,是由于两年前学校明确禁止孩子给老师送礼而产生的现象。但是,几乎所有热心教育的父母,都觉得“想让老师高兴,还是很想送一份礼物”,鲜花最能表达心意,于是个个都送花。没送的家庭会被认为不尊重老师,这可是关乎自己面子的大事。

中国人の贈り物の特徴として、もうひとつ、気持ちを疎かにしても、贈り物自体の価値を重視し、ブランド物を選ぶ傾向が高いことが挙げられる。

而中国人送礼的另一大特征,便是即使心里很怠慢,也很重视礼物自身的价值,倾向于选择名牌物品。

統計データによると、世界トップブランド商品の3分の1は、中国市場で販売されており、その多くが社交上の贈り物という。贈り物はもはや、本当の意味での「贈り物」ではなく、「社交上交換し合う物品」と化した。高級贈答品の「日常化」の「大規模化」は、中国独自の特徴と言えよう。このような状況から、人と人との結びつきが、ますます「物質至上主義」「利益至上主義」の方向に向かっていると結論づけることができる。

根据数据统计,世界顶级品牌三分之一的商品,都销售于中国市场,且大多为社交场上的礼品。而这已不再是真正意义上的“礼物”,而成为了“社交场上的交换物”。高级馈赠礼品的“大规模日常化”,成了中国独有的特色。在这样的环境中,人与人之间的联系越来越朝“物质至上主义”、“利益至上主义”的方向发展。

実は、私が最も受け取って嬉しかった中国の贈り物は、「形のない」プレゼントだ。本当に結びつきの深い友人の間には、あれこれ考えを尽くした贈り物など必要ない。自分が必要とするとき、心を込めて気持ちに寄り添ってくれるような友情関係―これこそが、私の大好きな中国の神髄だ。

事实上,我收到的最开心的中国礼物,是“无形”的礼物。真正感情深厚的友人之间,是不需要绞尽脑汁去想礼物的。当需要自己的时候,真心诚意为伴的友情——才是我深爱的中国之真髓。

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