「眼は心の窓」といいます。現代は、子供たちの眼が本来の明るさや輝きを放っていないように感じるのは私だけでしょうか。私は今年の六月にインドに行ってきましたが、そこで見る子供たちの眼は、いきいきと輝いていました。

人们常称:“眼睛是心灵的窗户”。不过,就我个人而言,从当今的孩子们眼中看不到那种充满希望、散发光芒的眼神。今年6月我走访了印度,在那边看到的孩子们眼中都闪耀着活力的光芒。

もちろん、物質的な面では日本の子供たちの方がはるかに恵まれています。所得の水準だって、インドは日本の数十分の一です。インドは、知的教育水準でも決して高いとはいえません。

是的,就物质层面上来看,日本的孩子远远过着更充足的生活。同样,论收入水平,印度也只有日本的十分之一,教育水准更谈不上高等。

 

ところが、僅か十二歳の子供が、日本語を上手に話します。もちろん日本に行ったこともなければ、学校で日本語を習ったわけでもありません。

然而,使我感到惊讶的是一个年仅12岁的印度孩子居然会说日语。但他既没有去过日本,也没有在学校学习过日语。

気前のいい日本人観光客を相手に親の商売を手伝いながら、見よう見真似で日本語を習得したのです。

原来他是在帮父母与慷慨的日本观光游客做生意时,耳濡目染中学会了这门语言的。

【六一·图说】日本孩子的六十年

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日本人は飽食の中で、生命の本来の輝きや躍動感を失っています。この原因は、「心の教育」をなおざりにしたまま、あまりにも知的な面ばかりを重視して日本の教育を進めてきてしまった結果だろうと思います。社会の中に住む一人一人の人間の心から、温かみや思いやり、惻隠の情といったものが急速に減じていっています。

日本人在富足的物质条件中逐渐丧失了对生命本质及心动感的追求。这或许就是因为我们搁置了“心灵的教育”而一味地把教育划等为“知识”的传授所造成的结果吧!“温情”、“体谅”、“恻隐之情”等情感正不断地从社会上每一个人的心中蒸发。
 

今の、子供たちの目が輝いていない原因は何なのでしょう。私は、今の大人たちがそのように教育しているのだと思います。人は誰でも人の言葉より以上に、人の態度から多くを学ぶものです。

为何当今孩子的眼中无“神”?我认为,那正是大人们教育出来的结果。比起言语,其实我们每一个人更容易受到他人态度的影响。

子供たちは皆一様に大人たち(親や先生)の後姿を見ています。現代はその後姿が立派な人が少ないのです。それで、子供たちは自分たちが見習う手本がなく、孤独の中をさ迷っているのです。

对于大人们(父母或老师)的“背影”(行为举止),孩子都看在眼里。然而,真正能起到积极作用的“背影”还是属少数的。因此孩子们总是因为没有学习的榜样而在孤独中徘徊。

私たちは、子供たちをたり教育する時、子供たちのどこを見これをやっているのでしょう。私たちは多くの場合、子供たちを脅迫しているのです。

当我们教育孩子时,目光会集中在孩子身上的哪些点呢?只可惜,很多情况下我们只是“恐吓”着孩子们。

 

「しっかり勉強しておかないと、いい大学に入って、いい企業には入れず、いい嫁さんももらえない」という風に教えます。このような言い方というのは子供の心に「不安感を刷り込む」のです。

“现在不好好学习,将来怎么进好的大学、进优秀的企业,更别说讨漂亮的老婆呢!”这就是家长们常用的“教育方式”。也许他们不会明白,这样的言语会在孩子心中重重地抹上一笔“不安感”的吧!

今の大人たちを見ていると、大人っていうのはいいなあ、ぼくも早く大人になって、素晴らしい人生をいきたいなあ、という風には思えないのです。

看着如今的大人们,孩子们很难产生“做大人真好啊~~我也想快快长大,过上快活的人生呀!”的想法。

私たちが子供に教えなくてはいけないのは、「現実を現実としてしっかりと受け止める強さ」なのです。自己責任原則と言い換えてもよいでしょう。

“能够强有力地接纳现实的原貌”是我们必须教导孩子的,或者也可称之为自我责任原则。

 

人が人生を生きる上では、色々な耐えがたい現実に向き合わされます。失恋や親の死、また我が子の死、またセクハラに遭ったり、強姦されたり、大金を盗まれたり、大きな事故や、災害に巻き込まれたりすることもあるかもしれません。

只要人们活着必然会经受各种难以忍受的现实状况。失恋、亲人之死或者自己子女之死、遭遇性侵犯、强暴、大量金钱被盗、遇到重大事故、灾害等都有可能降临到我们身上。

昔、画家の岡本太郎さんがテレビで言っていました。子供たちは幼稚園の頃までは大変素晴らしい絵を描く。ところが、小学校には入る頃から段々と下手な絵を描くようになっていき、しまいには見るに耐えられないような絵になってしまう。

过去,画家冈本太郎先生曾在电视上说过这样的话,到幼儿园为止,孩子们都能画一手好画,而正式进入小学后绘画水平反而逐渐减退了,最终呈现在我们面前的就是一幅幅不堪入目的画。

私たちは「規格品モデル教育」から一日も早く脱皮しないといけません。社会に役立つ人材を育てるという以前に、一人一人の心と適性に応じた教育が、今求められているのだということに気付くべきだと思います。

因此,我们有必要尽早从标准化、无个性的教育体制中挣脱出来。是时候该醒悟了,当今比起培养能对社会作出贡献的人才,更重要的是对每个个体实施与其个性发展相应的教育吧!

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