映画「HANA-BI」「座頭市」などで世界的に有名な北野武監督は、これまで一貫して暴力美学を描いてきた。しかし、クールな監督としての顔を持つ北野監督が両親を語る時、途端にユーモアや愛情がにじみ出る。北野武が両親を語った自伝的小説「菊次郎とさき」の中国語版がこのほど訳林出版社から出版された。同著は、冗談や時には罵詈雑言を交えた口調で、両親と過ごした時間を綴(つづ)っている。1947年に東京の貧しい家庭で生まれた北野武は、「貧乏な家庭に生まれた子供の幼年時代の光景はどこも似ている。読者がこの本を読んで自分の家族のことを思い出してくれたら、非常に嬉しい」と語っている。

以电影《花火》、《座头市》等作品闻名世界的北野武导演,将描绘暴力美学贯彻始终。而就是这样酷酷的北野武导演,谈到双亲的时候,一下子就变得幽默起来,生出浓浓的疼惜之情。北野武描写双亲故事的自传体小说《菊次郎与佐纪》由译林出版社发行了中文版。本作用时而玩笑、时而破口大骂式语调,撰写了他与双亲共度的时光。1947年出生于东京一个贫困家庭的北野武述说“贫困家庭出生的孩子,他们幼年时代的生活都大同小异。如果读者在阅读这本书的时候,能想起自己的家人,我就很高兴了。”

■「おまえなんか、死んじまえ!」毒舌な母親が荒馬を手なずけ、「世界のキタノ」に

■“你去死吧!”毒舌母亲驯服悍马,才有了“世界的北野”

北野武は、かつて「俺の人生は、母親との関係に苦しめられてきた」と語ったことがある。母親、さきの信念は、「貧乏の輪廻を打破するのは学問しかない。どんなことがあっても、私のために必死で勉強しろ。両親が亡くなって、お金が無くなっても、学校だけは卒業しろ」だった。そんな教育熱心なさきの教育方法は、暴言を吐いて手をあげるなど、直接的で暴力的だった。1986年、北野武は某雑誌社の週刊誌の強引な取材に抗議するため、仲間を引き連れ雑誌社に乗り込み、暴力を振るって逮捕された。当時、さきは、「息子を死刑にしてください」と言い放った。それから8年後、北野武がバイク事故を起こした時も、母親は、「死ねば良かったのに!」と語った。後になって、さきはこの件について、「極端なことを言わなければ、人々はあんたを許さないだろう」と説明したという。また、息子が有名になった後も、さきは毎月のように生活費をせびりに来た。北野武も、母親はお金に執着しすぎると思ったことがあったという。しかし、母親が亡くなる前に残した貯金通帳には、息子からせびったはずのお金が一円残らずそのまま貯金されていた。

北野武曾经说过,“我的人生,一直为与母亲之间的芥蒂为苦。”母亲佐纪的信念是,“只有学问才能打破贫穷的轮回。无论发生了什么事,为了我就得发奋学习。就算父母都死了,即使没有钱,也必须要毕业。”对于教育如此热忱的佐纪的教育方法,却是打骂相加,直接暴力对待。1986年,北野武抗议某家杂志社周刊杂志的强行采访,带着同伙闯入杂志社,因大打出手被逮捕。当时,佐纪曾放言“请将我儿子处以死刑吧。”8年后,北野武发生摩托车事故的时候,母亲也说“死了就好了!”之后,佐纪对于此事坦言“要不是我说得那么狠,人们不会原谅你的吧。”而当儿子出名了以后,佐纪每月都来讨生活费。北野武也曾认为母亲对钱看得太重了。可是,当看到母亲去世前留给自己的存折后却发现,从儿子那里讨来的生活费一分都没花,原原本本地存了起来。

かつては、「母親が俺の人生をダメにする」と思っていた反抗的な少年は、今過去を振り返り、母親の強烈な束縛と干渉がコントロール不能な荒馬を手なずけ優秀な馬にしたことを認めている。「俺の人生はすべて母親の教えが基本になっている。母親が俺や兄、姉のために、生きる力の基礎を築いてくれたおかげで、さまざまな状況で正しい反応や判断を下せるようになった」と語っている。

曾经认为“是母亲毁了我的人生”的反叛少年,回顾过往,才明白正是母亲强制的束缚与干涉,才让无法自控的野马成了一匹优秀的好马。北野说道“我的人生都是以母亲的教诲为构成的。母亲为了我和哥哥、姐姐,打下了生存能力的基础,致使我们面对各种各样的状况,也能作出正确的反应和判断。”

男同士の「英雄相知る」で父親を理解する

■父亲所理解的男人之间的“英雄相知”

強烈な性格だった母親さきに比べると、父親菊次郎は小心者だった。北野武は同著の中で、貧乏なペンキ塗り職人だった父親は普段は無口で大人しいが、酒を飲むと毎日のようにちゃぶ台をひっくり返して暴れたと綴(つづ)っている。「キッズ・リターン」の誘惑に負けて減量に失敗するボクシング選手や、「BROTHER」の悪党になりきれないチンピラなど、北野武の映画の中によく登場する、気が弱くて情けないけど、優しくて思いやりのある悲しいヒーローたちの姿に、父親、菊次郎の影が投影されている。

与母亲佐纪强硬的性格相比,父亲菊次郎却是个胆小鬼。书中,北野武的父亲只是个贫穷的油漆工,虽然平时少言寡语,挺老实的,但每天喝了酒就会掀桌发脾气。《坏孩子的天空》中没忍住诱惑、减肥失败的拳击选手、《BROTHER》中没能当成坏蛋的小流氓等角色,经常都会在北野武的电影中登场,虽然胆小懦弱、却有着温柔体贴情怀的悲剧英雄们的身影,便是父亲菊次郎的写照。

「父親はある日江の島の海岸に俺を連れて行ってくれたことがあった。あれが、記憶の中に残る、父親と2人で過ごした唯一の楽しい時間だ。恐らく、このせいで、映画の中によく海が出てくるのだろう」と北野武は語っている。この言葉通り、「あの夏、いちばん静かな海。」は、海を舞台に展開されるストーリーになっている。そして、「菊次郎の夏」は、北野武が父親に書いたラブレターだ。主人公は、酔うと暗い夜を怖がり、タバコをくわえてぼんやりと座っているような、暇をもてあました風変わりなチンピラ中年男性だが、その中に、父親との記憶が最も荒涼とした重厚なシーンの残像として残っている。息子は、父親が立派でないかもしれないことからもたらされた欠乏感を男同士の「英雄相知る」で許容し、受け入れた。

北野武还说“有一天,父亲带我去了江之岛的海岸,这件事一直留在我的记忆中,是我和父亲两个人一起度过的唯一的快乐时光。恐怕也是因为这个原因,我的电影中常常有大海出现。”如他所言,《那年夏天,宁静的海》中,便是以大海为舞台展开的故事。还有《菊次郎的夏天》,是北野武写给父亲的情书。主人公害怕醉酒和黑夜,叼着烟茫然地坐着,不过是一个闲得发慌的中年小混混,而这正留下来我与父亲最荒凉、最厚重的镜头残像。儿子接受了父亲不那么伟岸的、有所欠缺的形象,是一种男人之间的“惺惺相惜”。

■映画で物語を語る能力に匹敵する文章の力

■用电影叙述故事的能力堪比文字力量

有名人が自分の家族のことを語ると、心を解放できずにありふれた内容になるか、過去の苦労話の一辺倒になるかのどちらかが多い。しかし、北野武の自伝的小説は、自分が正しいと感じている人が書くような毒にも薬にもならないような読み物では決してない。ある評論家は、「北野武の文章は単刀直入で、余計な言葉がまったくなく、映画で物語を語る能力に完全に通じるものがある。コンパクトメリハリがあり、感情に流されずに冷静を保っている」と述べている。「菊次郎とさき」は、この十数年間に何度もドラマ・舞台化され、すでに定番の名作となっている。

名人讲述自家故事时,大多要么就是没法释放内心的平凡内容,要么就是絮絮叨叨过去的劳苦生活一边倒。而北野武的自传体小说,却绝不是自认为正直的人所写的那种心灵鸡汤式的作品。某位评论家称“北野武的文章单刀直入,没有任何多余的语言,完全运用了电影叙事的能力,情节紧凑、张弛有道,不随感情而走并保持着冷静。” 《菊次郎与佐纪》在这十几年间,多次拍成电视剧、电影,早已成了镇山之名作。

映画界の同業者は、北野武について、「北野武はたとえ一言もしゃべらなくても、そこに顔が映し出されるだけで、なんとも言えない味が出る。だが、誰も、その表情から心を読み取ることはできない。何をやっていても、何を話していても、ふざけて真面目(まじめ)でなければ、真面目にふざけている」とコメントしている。

电影节的同仁评论北野武“他就算一句话也不说,仅是看到他的脸,就有一种无法言语的神韵。然而,谁都没有办法从那个表情里读到他的内心。无论说什么、做什么,真真假假、虚幻无度。”

北野武のこの真面目でふざけた独特の芸風に、家族の影響が深く刻み込まれていることを発見するのは難しいことではない。北野武の人生は、何度もクライマックスが続き、座が白けることがまったくない映画みたいなものだ。北野武は同著について、自身の内心世界を反映したものだと語っている。「俺は、人が成長して大人になったかどうかは、両親に対する感情のあり方で判断されると思っている。両親と向き合い、両親も苦労したんだなと感じた時が、大人に向かう第一歩だと思う」と語っている。

北野武这一认真又戏虐的独特艺术风格,可见是受到了家庭成长背景中根深蒂固的影响。北野武的人生几次高峰,又跌至低谷,如同电影一般,他也说这部自传正是自己内心世界的反映。他还说“我认为,一个人是否长大成人,是以对双亲应有的感情态度来判断的。面对父母,能够真正感受到他们所受的劳苦时,才是你走向成人的第一步。”

声明:本双语文章的中文翻译系沪江日语原创内容,转载请注明出处。中文翻译仅代表译者个人观点,仅供参考。如有不妥之处,欢迎指正。

相关推荐

村上春树最新短篇小说集在华发售
好书推荐:宫部美雪《所罗门的伪证》