「~しなくて損した」という表現をよく聞くのですが、私はこの手の表現にいちいちひっかかりを覚えてしまいます。「損」とは何だろう?と。

常有「~しなくて損した」这样的表现说法,我对这样的句法表现有些在意,到底亏损是什么概念呢?

客が5千円札を出したのに店員が1万円と勘違いしてお釣りを出してしまった。──この場合は明確に店側が損をしています。

客人用5千日元的纸钞结账时,店员误以为是一万日元的纸钞,然后找零给客人的话——这样的场合很明显就是店方的亏损。

100万円で買った株を80万円で売った。──これも明確に20万円の損です。途中で1回だけ2000円の配当があったのであれば、19万8000円の損という考え方もできます。

用100万日元买入的股票以80万日元的股价卖出。——这个很明显是损失了20万日元。中途有一次分得2000日元的股息,也就是损失了19万8000日元。

でも、「ああ、あの時あの株を買っていたら、今ごろ20万円くらいは儲かっていたのに。くそっ、買わずに損した」というのは損をしているのでしょうか?

这时会有人发出这样的感慨,“那个时候没有买入这只股票的话,现在就能存20万日元了!可恶,不买入的话就不会损失了”,但那真的称得上是损失吗?

こういうツッコミをするとてきめんに「理屈っぽいなあ」と嫌われるのですが、実際に買っていないわけですから、損も得もしようがないではないですか。

发出这样的感叹立刻会让旁人觉得“这都是歪理”而觉得嫌恶。但是实际不买入股票的话,不是既不损失又不获得么。

パチンコやって1時間で5千円すってしまったら、それは5千円損したのでしょうか? 少なくとも1時間は遊んだのだから、5千円はその代金であるとも考えられ、高いか安いかはともかくとして損をしたとは言えないのではないでしょうか?

玩一个小时的弹珠游戏花费了5000日元的话,就是损失了5000日元吗。至少玩了一个小时,那5000日元也可以想成是玩游戏的费用,先不论是便宜还是昂贵,起码不是损失不是么?

競馬で1万円すったのも同じでしょう。「勝ち馬投票券」と言うくらいですから、1万円は馬への応援代の合計であり、夢を買ったと考えるなら(私は競馬をやらないのでやる人の気持ちは分かりませんが)損したとは言えないのかもしれません。

玩赛马下注花费了一万日元也是同样的道理,虽说是下注在胜出马的马票上,一匹马的下注费用是一万日元的话,那可以想成是购买了一个梦(虽然笔者本人不玩赛马,并不能理解这些人的心情)但也不能说这是一种损失。

5千円/1万円も使ったというだけではなく、貴重な時間をパチンコや競馬に費やしてしまって損した──と言うのも違うと思います。後悔するのは勝手ですが、損はしていません。

不只是花了5000日元/1万日元,还浪费了宝贵的时间在玩弹珠游戏或者赛马上,这样的说法笔者也认为不正确。后不后悔是个人的事,但这不是损失。

私は「損」という言葉を使う限りは、そこに現実的な引き算が存在しなければならないと思ってます。

笔者个人认为“损失,亏损”这个单词所适用的范围,是必须用在现实中拥有的钱财确实消费了的时候。

払ったお金がいくら、得られたお金がいくら(あるいは得られたモノの相当額がいくら)、それを引き算すると儲けがいくら、あるいは損がいくら。

花费的钱是多少,得到的钱是多少(或者说得到的东西相当的金额是多少)减去这些存下了多少钱,或者是损失了多少钱。

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