方言奇妙 诉说心声

歌人にして劇作家、今年が没後30年の寺山修司は方言への思いが深かったようだ。若いころの一首に〈ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし〉がある。故郷の青森と東京が今よりずっと「遠かった」時代である

身为和歌诗人、剧作家的寺山修司去世已经30年了,生前的他对于方言好像情有独钟。年轻时代曾创作了这么一首,〈好友相见咖啡厅,乡音全无面貌新,入乡随俗虽无错,忘却根本苦寒心。〉那是一个故乡青森县距离东京远比现在“遥远得多”的时代。

歌には、ふるさとの言葉への愛憎が微妙に行き交う。そして標準語がそぎ落としたものへの哀惜が、歌からにじんでくる。共通語では言い換えのきかない方言と訛りは、陰影に富んで、懐が深い

和歌里微妙地交织着对于乡音的爱和憎,并且还渗透着对于广受标准语排挤的方言的那份哀叹与怜惜。通用语所无法替换的方言和乡音富有声情上的盎然妙趣,而且寓意深刻且广泛。

そうした言葉のいくつかが、東日本大震災の被災地で消えかかっているそうだ。東北大の小林隆教授が調べたら、とりわけ危うい言葉が143語あった。懸念される語は数倍にのぼるという。かねての過疎化に、震災が追い打ちをかけているらしい

听说类似语言的一部分正在东日本大地震的灾区悄然地消失着。据东北大学教授小林隆的调查表明,濒临消失的危险性特别大的有143种方言,而令人担忧的方言更是高于其数倍。地震灾害则进一步加剧了曾经的人口过度稀少化。

石巻市の「ド(雄牛)」や陸前高田市の「ジップグレ(梅雨)」などが該当する。近代化の中で東北弁は縮こまりがちだった。震災の後、豊かな地域性の証しとして見直されつつある。残す手だてはないものかと思う

石卷市的“do(公牛意)”以及陆前高田市的“jippugure(梅雨意)”等因该属于此类。在现代化的过程中,东北方言更容易萎缩。震灾之后,被视作富饶地区性佐证的它正在被重新审视。难道就没有保留它的办法了吗?

20年ほど前、「街道をゆく」で青森を訪ねた司馬遼太郎が「津軽や南部のことばをきいていると、そのまま詩だとおもうことがある」と書いていた。旅の者の感傷ではあるまい。東北に限らず、ふるさとの言葉は、よく使い込まれた道具のように心を語る

20年前,在撰写“漫步古道”系列游记文学过程中曾经造访了青森县的司马辽太郎在文中描述道,“乍一听津轻及其南部的方言,会给人一种误以为诗歌的感觉。”这绝不是出于旅行者的感伤。他认为,不仅是东北地区,其他地区的方言都像是人们的一种驾轻就熟的工具,人们用它诉说着心声。

戦後の列島は均質な金太郎飴(あめ)となった。そして今、グローバル化が席巻する時代である。土地土地にこんもり茂っていた「方言の森」が枯れてしまえば、日本語は何とも平べったくなる。

战后的日本成了一块质地匀称的金太郎饴糖。而且,如今又是个全球化席卷每个角落的时代,如果各地曾经枝繁叶茂的“方言之林”日趋枯萎的话,日语就将随之而变得平淡无奇了。

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