2012年からテレビ東京系列で放送されているドラマ「孤独のグルメ」のシーズン4の放送がこの夏始まった。この2年間、日本のテレビドラマでは刑事や探偵ものが流行っているが、尺的に短めの小品で、独特なスタイルを持ち、食をテーマにしている本ドラマは中国の人々が見るドラマの中でも異彩を放っている。とくに中国ではサラリーマン層に高い人気を誇っている。食を扱った他のドラマと比較すると、同ドラマは明らかに異端だ。ストーリー性はほとんどない。というよりもストーリーはほぼないと言ってもいい。「孤独な美食家」である井之頭五郎がただ食べる様子を映しているだけだ。ただ、メニューを頼むまでの会話や永遠と続くモノローグがグルメを食す前のワクワク感をあますところなく表現すると同時に、人生から得た哲学なども語られる。

从2012年开始在东京电视台播放的电视剧《孤独的美食家》今年夏天已开播第四季了。这两年日本的电视剧流行刑侦、探案剧,但本剧以短小精悍的小品形式、具备独特的风格,并以饮食为主题,让中国观众也觉得绽放异样的光彩。尤其在中国工薪族中拥有较高人气。与其他饮食相关的电视剧相比,本剧显然独树一帜。几乎没什么故事性,或者不如说根本没有剧情,仅仅是拍摄“孤独的美食家”井之头五郎吃东西的样子。不过,点餐前的对话以及持久的独白戏,将吃饭前的兴奋感表现得淋漓尽致,同时还阐述了人生哲理。

食欲に苛まされる深夜枠のグルメドラマだが、劇中では高級レストランや豪華なコースなどは全く出てこない。逆に街角にひっそりと建つ、知る人ぞ知る小さなレストランや料理、店主の巧みなアイデアや独創的な部分を発掘して紹介している。

虽是在忍受饥饿中的深夜档美食剧,却全然不会出现高级餐厅或者豪华料理。反而是介绍及挖掘街头悄然而立的店铺、熟客才知道的小餐馆和料理以及店主的奇思妙想与独创的烹饪。

面積が広く、人口密度の高い東京では、このような人知れぬ小さな店は星のごとくあり、ドラマに無限の創作インスピレーションを与えている。

在地广人多的东京,像这样不为人知的小店星罗密布,给予电视剧无穷的创作灵感。

五郎とメインキャストたちが食すごはんや味噌汁、焼き魚、サラダ、トンカツ、カレー、蕎麦といった日本人の日常的な主食以外に、韓国のサンゲタンから作ったラーメン、チンジャオロースマンの中に焼いたツクネを入れる独特なメニュー、タラ入りの餃子、ゴマアン入りひょうたんケーキ、西欧と和風を組み合わせた牛ステーキ丼といった新鮮で工夫溢れる料理や店主の手によって見違えるような料理となったシンプルで一般的な食材、それに加え五郎のあれでもないこれでもないと真剣に選び抜いたメニューとがあいまって、常に見る人を興奮させる。

五郎与其他主要角色吃的除了日本人日常的主食如米饭、味噌汤、烤鱼、沙拉、炸猪排、荞麦面等以外,还有韩国鸡汤拉面、青椒肉丝加入烤肉丸的独特料理、鳕鱼馅饺子、芝麻馅儿葫芦蛋糕、西欧与和风混搭的牛排盖饭等一系列独具匠心又新奇的料理,用简单普通的食材经店主之手焕然一新,再与五郎犹豫不决的认真甄选菜单相辅相成,常令观众兴奋不已。

毎回ドラマのオープニングでは、この「孤独のグルメ」について説明するナレーションが流れる。「時間や社会に捉われず、幸福に空腹を満たす時、つかの間、彼は自分勝手になり、自由になる。誰にも邪魔されず、気を使わずに物を食べるという孤高の行為。この行為こそが現代人に平等に与えられた最高の癒しと言えるのである」。

电视剧每一集开头会播放关于“孤独的美食家”的解说词。“不被时间与社会所束缚,幸福地填饱肚子的时候,这一瞬间他变得自我、自由。不被任何人打扰,毫无顾及地吃东西这一孤傲的行为。这一行为可谓是平等给予现代人的最高治愈。”

安くて美味い庶民のための飯は目を楽しませるだけでなく、庶民が実際に食し、五郎と同様、自分が主役となって幸福を味わえる権利である。毎回ドラマに登場する店はドラマの製作者たちが自ら試食して、美味しいと思ったところばかりが選ばれている。恐らく、このような実際の店舗や誠意を持って選んだキャストがあってこそ、これらのグルメが人々の心をいとも簡単に掴むのだろう。映像に惹きつけられるだけでなく、新鮮な野菜を食べる時のさくっという音や、お茶をごくっと飲むときの音などにも食べることの満足感が表現されている。仕事で忙しい日々を送り、自分自身を愛することを忘れてしまった現代の都会人の前に、つい忘れがちになってしまう身近でささやかな幸せが姿を現す。

便宜美味的庶民料理不仅赏心悦目,老百姓还能和五郎一样,拥有让自己成为主角大饱口福的权利。每集剧中出现的店铺都是由电视剧制作者们亲自尝试,并挑选出好吃的地方。恐怕正是因为有了这样带着诚意挑选店铺的工作人员,这些美食才能轻松抓住人们的心。不仅仅是被画面本身所吸引,咀嚼新鲜蔬菜时的声响、喝茶时的声音都表现出口腹之欲的满足感。在每天过着工作忙碌的日子、甚至连爱惜自身都遗忘的现代都市人面前,与那些容易被遗忘的、近在咫尺的小小幸福不期而遇。

テンポが速く、人との触れ合いが希薄な現代都市において、孤独のグルメたちはますます増大している。いつも変わらないメニューと常に入れ替わる深夜の様々な客を描いたドラマ「深夜食堂」や近隣同士のシングルたちが美味しい物を食べるために壁を越え、互いに親友になる様を描いた韓国ドラマ「ご飯行こうよ」、そして「孤独のグルメ」は、サービス精神旺盛な店主たちが常に1人分の量の料理を提供することで、一人で美食を楽しむという難題を実現させている。このおかげで、五郎は愛を語るという俗っぽいドラマから一線を引き、孤高に自由を追求することができている。この自由とは、現代文明の人間性に対する圧力に抵抗することだ。

在快节奏、人与人之间交往淡薄的现代都市,孤独的美食家们的队伍日益壮大。描写从不变化的菜单与经常深夜出入的各种客人故事的电视剧《深夜食堂》,描写为了吃美食而跨越障碍与近邻的单身同仁成为好朋友的韩剧《去吃饭吧》,再加上《孤独的美食家》,服务精神旺盛的店主们总是想法提供一人份量的料理,让一个人享受美食的难题得以实现。多亏如此,五郎才能从谈情说爱的俗套电视剧中脱颖而出,能够自由地追求孤傲的人生境界。这种自由,是现代文明的人性对于压力的抵抗。

西洋雑貨の取り次ぎ販売をしている五郎に、美容院のオーナーが店の玄関の室内装飾を依頼する。オーナーは、「お客様の髪のケアはできても、疲れている心のケアまではできないの」と語る。また、五郎は温泉のある山を歩き回り、幼稚園や小学校を訪れた際にブランコに乗る。長身で痩せた中年の男が小学生用の低いブランコに乗る姿は、想い出を懐かしむ中にも、どこか通常と異なるコミカルな笑いをもたらす

经营西洋杂货销售的五郎被美容院店长委托装饰店内的门口处。店主说道“就算能护理好客人的头发,却不能抚慰其疲惫的心”。还有,五郎在有温泉的山里徘徊,寻访幼儿园与小学时荡秋千。又高又瘦的中年男子乘坐小学生用的矮秋千的样子,虽然是充满怀念的回忆,不过总觉得有异于常,令人忍俊不止。

グルメは、ちょうど美食家だったマルセル・プルーストの記憶の中の、あの一切れマドレーヌの味のようなものだ。慌しい現代人がしばし目の前の悩みや煩わしいことを忘れ、記憶に戻って、疲れた心を癒すのにどこか似ている。飲食をテーマにしたドラマでは、愛を語らせるための売りだろうと、様々な人生を引き立たせるためであろうと、美食が主役で、人々を満足させるものであると同時に、最も重要で、最も人をひきつける力を持っている。

所谓美食,在曾经恰是美食家的马塞尔·普鲁斯特的记忆中,就像是一小块松糕的味道。这与让生活匆忙的现代人暂时遗忘眼前的烦恼与麻烦,回到记忆中来治愈疲倦的心灵类似。以饮食为主题的电视剧,为了阐述爱的主旨,也为了衬托出各种各样的人生。而美食这一主角,在满足人们的同时,拥有着最重要也是最令人欲罢不能的力量。

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