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近松は越前(福井)の武士の家に生まれましたが、父が浪人となり一家で京へ移り、公家に奉公するうちに浄瑠璃作者としての道を歩みはじめました。近松は人間の内面に迫り本質を詩情豊かに描きました。数多くの作品を残しています。歌舞伎もありますが、そのほとんどは人形浄瑠璃(文楽)のために書いたものです。

近松门左卫门诞生于一个越前的武士家庭,而父亲沦为了浪人,一家人迁到了京都居住。近松在公家帮佣期间开始走上了净琉璃作家的道路。近松的作品直指人的内心深处,对人本质的刻画具有浪漫性,也十分丰满。他一生创作了众多作品。其中也不乏歌舞伎作品,不过大多时候,他还是为人形净琉璃(文乐)写作剧本。

当時実際に起こり世間をにぎわした事件を題材にした作品(世話物)を多く手がけています。それらの中でも特に「心中物」は、大ヒットしました。時代は元禄から享保にかけて。物価高騰、貧富の差、幕府の腐敗など、人々がやりきれない思いでいた頃です。世の中のしがらみから逃れるには“死”しかないという主人公たちに、人々は自分を重ねあわせ共感したのでしょう。

近松所着手创作的作品,大多都以在当时引起轰动的真实事件为题材。这类作品中,“心中物”尤其受到好评。时代是元禄到享保年间,这个时期物价高涨、贫富差距拉大,又加上幕府腐败,人们的内心都郁郁不平。近松作品的主人公们为了逃脱社会的束缚,往往走上“赴死”之途,人们或许也在他们的身上看到了自己的内心一面吧。

“日本の演劇におけるリアリズムの確立”という重大な役割を果たした画期的な作品とされる『曾根崎心中』は、元禄16年(1703)に発表されました。近松51歳の時です。浄瑠璃としては最初の世話物で、この作品のヒットにより、浄瑠璃作者としての地位を不動のものにしました。

发表于元禄16年(1703年)的《曾根崎心中》是一部具有划时代意义的作品,在“日本戏剧中现实主义的确立”过程中起到了重大作用。作为净琉璃,《曾根崎心中》也是最早的“世话物(社会剧)”。此时的近松51岁,由于作品获得极大成功,他作为净琉璃作家的地位从此也得到了确立。

この作品は、ごく普通に市井で暮らす真面目な青年と遊女が深い仲の果てに、世間の義理がたたなくなって心中におよぶという、若い男女の一途な恋を描いています。醤油屋の手代徳兵衛には叔父でもある店主の姪との縁談が、遊女お初には身請け話がもちあがります。そのうえ徳兵衛は、主人に返さなければならない持参金を友達にだまし取られてしまいます。“一分(いちぶん)”と“愛”の両立を求める二人は、残された途は一つ、と心中死を選びます。

《曾根崎心中》讲述一对年轻男女深厚的恋情,平平凡凡生活于市井的老实青年与游女陷入情网,却难以摆脱世间“义理”的拷问,最终两人双双殉情。男主人公酱油铺的代理人德兵卫,和店主叔父的侄女之间本有媒妁之约,然而也对游女阿初许下了赎身的诺言。更不幸的是,德兵卫还被朋友骗走了钱,而这钱是必须还给店主的陪嫁钱。为了求得“责任”与爱情的两不辜负,两人选择了殉情作为唯一的解决办法。

近松作品の中でも最高の傑作と呼び声の高い『心中天網島』は、享保5年(1720)の10月14日の夜明けに起こった事件をもとに創られ、その年の12月に初演されました。世話物としては22編目にあたり、近松が68歳の時、没する4年前の最も老熟した時期の作品です。

《心中天网岛》在近松的作品中声名崛起,被视为最高杰作。作品的创作根据发生于享保5年(1720年)10月14日凌晨的真实事件,并在同一年的12月首次公演。这部“世话物”共有22个章节,创作于近松68岁时,距他辞世仅有4年,此时的近松,已在创作上达到炉火纯青的境界。

紙屋治兵衛をはさむ遊女小春と女房おさんの三角関係を骨子に、複雑な家庭環境などを絡ませ、最後まで義理のために苦しみぬく男女の心を描いています。治兵衛は女房と2人の子供がありながら、遊女小春と心中の約束まで交わす深い仲になります。女房おさんは小春に治兵衛への愛想づかしを頼みますが、小春が一人の死を覚悟していることを察し、治兵衛に小春を身請けさせようとします。この女同士の "誠"と "義理"が、皮肉にも二人を死の道行へ導いてしまいます。

《情死天网岛》以纸屋治兵卫、游女小春、妻子阿赞三人之间的三角关系为主轴,刻画出陷入复杂家庭关系的束缚,一直为“义理”备受煎熬的男女内心。治兵卫与妻子育有2个孩子,然而他又和游女小春相爱,甚至相互许下殉情的承诺。妻子阿赞请求小春放弃治兵卫,小春决定一个人赴死,阿赞察觉后决定让治兵卫为小春赎身。两个女人的“诚”与“义理”讽刺地让两人走向了殉情之路。

このほか、互いに言い交わし異なる場所で心中をはかった事件を綴った『心中二枚絵草紙』、家の問題で悲劇にいたる町人の若い夫婦を描いた『卯月の紅葉』、その続編の『卯月の潤色』、妻子ある男の恋愛を取りあげた『心中重井筒』、女人禁制の僧院を舞台にした少年少女の恋を扱った『心中万年草』、『心中刃は氷の朔日』、『冥途の飛脚』、『今宮心中』、『生玉心中』、世話物としては最後の作品となった『心中宵庚申』などの「心中物」があります。

除此之外,还有《心中二枚绘草纸》,以当时的事件为题材写成,讲述互定终身的男女分隔两地,共谋殉情;《卯月红叶》,描写因家庭问题陷入悲剧的町人年轻夫妇,其续篇为《卯月润色》;《心中重井筒》描写有妻男子的恋爱;《心中万年草》以禁制女人的寺院为舞台,描写少年少女的恋情;其它还有《冥途飞脚》、《今宫心中》、《生玉心中》。而作为世话物的最后一部作品是《心中宵庚申》等心中物。

この頃は心中事件が多発し、その風潮を憂えた幕府は、心中は社会秩序を乱す行為、と取締りを行いました。死体は家族にも引き取らせず、野犬や野鳥が食い荒らすままにし、着物などは見張りの者が自由に処分したということです。生き残った場合は、町中でさらし者にした後、身分を剥奪しました。このように罰則は厳しいものでしたが、心中を美化する傾向もみられ、宝永元年(1704)に、元禄時代に起きた21の心中事件を収めた『心中大鑑(しんじゅうおおかがみ)』という、心中者の名鑑まで発行されたということです。

当时由于殉情事件屡屡发生,幕府对这种风潮很是担忧,于是把“殉情”称作扰乱社会秩序的行为,严厉予以禁止。殉情者的遗体不能被家人领回,而是抛弃郊外任由野狗野鸟撕咬啄食,身上的衣物由看守人自由处理。活下来的殉情者则会在市街游行示众,之后被剥夺身份,沦为贱民。这些惩罚虽然极其严酷,却也反映出当时美化殉情的风潮。宝永元年,甚至还出版了一部名为《心中大鉴》的殉情者名鉴,当中收录了元禄时代的21起殉情事件。

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