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江戸っ子気質がよく表現されている落語に『三方一両損(さんぽういちりょうぞん)』がある。左官の金太郎が拾った財布には、三両のお金が入っていた。書き付けをたよりに大工の吉次郎へ届けに行くのだが、お金は、拾った人のものだと言って何としても受け取らない。一杯やっていた吉次郎は、お金を受け取れば今夜中に使いきれない「宵越しの銭」になってしまうと言い張る。金太郎もお金は欲しくないと言って、引き下がらない。

落语名段《三方一两损》把江户子的气质表现得淋漓尽致。故事梗概是,泥瓦匠金太郎拾到了盛有三两金的钱包。他以里面的纸条为线索得知原主为吉次郎,然而物归原主时,吉次郎却拒绝接受,认为“三两金已归拾到的人”。费尽口舌后,吉次郎干脆坚称,“要是接受了,今晚用不完就会成‘隔夜钱’”。而金太郎也丝毫不让。

ここで、落語をはじめテレビの時代劇などをもっと楽しめる方法をひとつ提案しよう。それは、ちょっとした貨幣制度の知識をもつことだ。間違いなく面白さは倍増する。まず、金貨、銀貨、銭貨の三種類の貨幣があった。この三貨制度は、お金と身分に密接な関係をつくり出した。幕府の家臣である武士階級(旗本、御家人)は俸禄をお米でもらったが、札差や商人に頼んで金貨・銀貨などの貨幣にかえて生活した。一方、長屋に住む位の職人や日雇いなどの庶民は、金貨や銀貨を手にすることはまずなく、もっぱら銭貨を使っていたのである。

为了更好地欣赏落语及历史剧,这里给大家一个建议,掌握一些货币制度的知识,定会让乐趣加倍。首先,在江户时代,有金货、银货、钱货三种货币。在这种三货制下,形成了金钱与身份的密切联系。幕府的家臣武士阶级(旗本、御家人)领俸时获得的是大米,因而就要委托札差或商人将大米换成金货或银货,以此维持生活。而另一方面,居住在长屋里的手工匠或临时工等平民一般使用钱货,很少使用金货或银货。

銭貨の代表格は、寛永通宝。寛永13年(1636)から鋳造された。銅貨もあれば鉄貨もある。話がそれるが、お金のことをお足と呼んだのは、この貨幣からきているのだそうだ。足尾銅山の銅を使った寛永通宝があるからだ。天保銭(天保通宝)もかなり流通した銭貨である。これらのお金、今ならどれ位になるのだろう。金一両が10万円、銀一が2千円、銭一文が30円位か。そばの値段から考えると、一文25円程度とも思われる。

钱货的代表便是宽永通宝,它铸造于宽永13年(1636年)。这种货币既有铜币也有铁币。另外说句题外话,当时人把钱称作“お足”,其缘由就来源于宽永通宝,因为这种货币是采用足尾铜山的铜矿铸造成的。那么,这些钱在今天相当于多少呢?金一两即10万日元,银一匁即2千日元,钱一文即30日元左右。一碗荞麦面的价钱也就大概是一文钱即25日元的样子。

ところで、『三方一両損』を続けよう。金太郎と吉次郎は、すったもんだの揚げ句、大岡越前守の裁きを受けることになる。越前守は正直者の両人をたたえ、行き場のない三両を預かると同時に一両出して、二両ずつ褒美を取らせるという粋な裁定を下す。つまり、三方が一両ずつ損をすることにより収拾をつけた。

那么再说《三方一两损》的后续吧。金太郎与吉次郎经过一场争吵后,最后到了大冈越前守那里,请他评个理。越前守对二人的正直赞口不绝,于是做出了一个漂亮的裁断,他收下了无主的三两钱,同时自己又掏出一两,各分给两人二两以示奖励。这样一来,三个人(三方)各损失一两,事情皆大欢喜。

この噺、三両拾ったとか一両損したとか、いやに高額じゃないかと筆者は思った。大工が三両(約30万円)も持ち歩くことは、そうはないだろう。『文政年間漫録』によれば、大工の日給は四匁二分(四百二十文)、それに飯米料として一匁二分(百二十文)とある。まあ、『三方一匁損』というのも拍子抜けするし、仕方なかったんだろうけど…。

笔者倒是觉得,这个故事中,不管是拾到三两,还是损失一两,都是笔不小的金额。一个工匠怀揣三两金(约30万日元)走在街上,似乎也不太可能。根据《文政年间漫录》记载,当时工匠的日薪为四匁二分(四百二十文),还有饭钱一匁二分(百二十文)。也罢也罢,要是改成《三方一匁损》也挺扫兴的,就那样吧。

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