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これ何本?

这有几个?

かつて上司にこんな風に訊かれて驚いたことがあります。「やまえー、これ何本? いっぽん? にぽん? さんぽん?」嘘だと思われるかもしれませんが本当です。一体何の本数を問われたのだか忘れてしまいましたが、私はこんなに知的レベルが高い上司がどうして 「いっぽん、にぽん、さんぽん」などという数え方をしているのか不思議で仕方がありませんでした。

以前上司问过一个令我惊讶的问题。“山江君,这有几个?一个?两个?三个?”你可能会认为我在说谎,不过事实真是这样。具体的我忘记在数什么了,但是作为知识水平很高的上司为什么会“いっぽん、にぽん、さんぽん”这样数数,我感到非常不可思议。

ことほどさように日本語というのは難しいのです。

可见日语真心复杂啊。

「本」は基本的に「ほん」です。何か特別な条件がなければ「ほん」と読みます。「2本」は「にほん」です。「9本」は「きゅうほん」です。直前が「ち」や「つ」の場合はそれが促音化して(つまり「っ」になって)その後が半濁音になります。「1本」は「いちほん」 → 「いっぽん」です。「8本」は「はちほん」 → 「はっぽん」です。ちょっと序数詞からは外れますが「日本」を「にっぽん」と読ませるのも「にちほん」 → 「にっぽん」です。

“本”一般读作“ほん”。只要没有什么特别前提的话,一律读作“ほん”。“2本”读作“にほん”,“9本”读作“きゅうほん”。前面如果有“ち”或“つ”的话,变成促音“っ”,之后的音变成半浊音。“1本”由“いちほん”变成 “いっぽん”。“8本”由“はちほん” 变成“はっぽん”。先撇开序数词不谈,“日本”之所以还可读作“にっぽん”也是由“にちほん”变成“にっぽん”而来的。

これは「促音化したらその後は半濁音になる」と言うよりも、むしろ「ハ行の前にチやツが来れば前が促音化し、後ろが半濁音化する」というセットで、要するにこういう組合せで発音しやすくなっているわけです。

这与其说是“促音便使后面的音变成半浊音”,不如说是“如果チ或ツ出现在ハ行前,前面的音会产生促音便,后面的音变成半浊音”。总之这样组合使发音更为容易。

では「6本」は? これは「ろくほん」で良いのに、どうして促音化しちゃったんでしょうね? 確かにカ行の前にキやクが来ると促音化します。「卓球」とか「薄幸」とかがその例です。しかし、「6本」はハ行の前のクですからね。しかし、そう言えば 「100本」も「ひゃっぽん」です。

那么“6本”呢?读作“ろくほん”不就好了,为什么要促音便呢?的确,カ行的前面如果有キ或ク的话,会发生促音便。比如“卓球”(たっきゅう),“薄幸”(はっこう)。但是“6本”ハ行前面是ク啊。不过说来,「100本」也读作「ひゃっぽん」。

さらに言えば「六法全書」も「ろっぽう」ですから、なんかルールがあるんでしょうね。でもハ行の前のクが必ず促音化するかと言えば、例えば「悪法」はあくまで「あくほう」、「薄氷」は「はくひょう」ですから、共通の法則が見えません。

另外“六法全书”也读作“ろっぽう”,看起来仿佛有什么规律。但是如果说ハ行的前面有ク就产生促音便的话,那么“悪法”为什么还是读作“あくほう”, “薄氷”读作“はくひょう”呢?由此可见这并非有章可循。

でも、まあ、何で促音化したかは置いといて、何であれ促音の後は半濁音なのです。「10本」は「じっぽん」です。で、残るは前が撥音(「ん」)の場合。この場合は濁音になるのです。「3本」は「さんぼん」、「1000本」は「せんぼん」、「10000本」は「いちまんぼん」です。しかし、「4本」は「よんほん」(もちろん「4」を「し」と読むなら「しほん」ですが)であって「よんぼん」でないのは何故?あるいは、先ほどは触れませんでしたが、「8本」は「はちほん」とも「はっぽん」とも読むのに、「1本」は決して「いちほん」と読まないのは何故?

为什么会产生促音便,这个问题我们暂且不谈,来看看为什么促音的后面是半浊音。例如“10本”读作“じっぽん”。剩下的是前面是拨音“ん”的情况。这种时候是要浊化的。“3本”读作“さんぼん”、“1000本”读作“せんぼん”,“10000本”读作“いちまんぼん”。但是,“4本”读作“よんほん”(当然“4”也可念做し,读作“しほん”),为什么不是“よんぼん”呢?之前没有提到,但是为什么“8本”既可读作“はちほん”又可读作“はっぽん”,而“1本”却绝不能读作“いちほん”呢。

うーむ、こうやって整理して行くと、時々なんとなくルールめいたものが脳裏をよぎるのですが、いろいろ考えるとまたぞろルールから外れてしまいます。ここまでは「本」に限って説明して来ましたが、これをいろんな例に広げて行くと、広げて行けば行くほどやっぱりルールがなくなってしまうのです。

待我整理一下思绪,有时感觉脑海里掠过一些规律,不过思考多了,又发现一些有悖于规律的现象了。目前为止一直讨论的都是量词“本”,将这个例子延伸至其它,探讨越广泛就会发现规律都消失了。

例えば「本」の代わりに「分」にすると、「3分」は「さんぶん」ではなく、「さんぷん」です。いや、でも「2つに割る」「3つに割る」という意味では「にぶん(二分)する」「さんぶん(三分)する」と言います。

例如我们来看“分”一词。“3分”不读“さんぶん” ,而读作“さんぷん”。但是如果是“切成两块”、“切成三块”这个意思时,读作“にぶん(二分)する”、“さんぶん(三分)する”。

大体3が鬼門ですね。

一般来说3比较特别。

「3軒」は「さんげん」、「3件」は「さんけん」、この違いがどこから生まれるのか分かりません。「3 階」は「さんかい」とも言いますが、一般的には「さんがい」です。しかし、「3回」は「さんかい」であって、同じ「かい」でも「回」は決して濁りません。 もっとおかしいのは、「3階」は「さんがい」だとしても「63階」は「ろくじゅうさんかい」であってこちらの「階」は何故だか濁らないのです。

“3间”读作“さんげん”,“3件”读作“さんけん”,我也不知道这区别由何而来。“三楼”可以读作“さんかい”,但是一般读作“さんがい”。但是“3次”只能读作“さんかい”,虽说音都是かい,但是“回”的音却不会浊化。更有趣的是如果“3楼”可以读作“さんがい”的话,“63楼”“ろくじゅうさんかい”中“階”为什么又不浊化了呢。

「1羽」「2羽」は「わ」(音は wa だが、旧仮名遣いでの表記は「は」)なのに、「3羽」だけは「ば」です。「さんわ」とも言わないではないですが、「三羽烏」は間違いなく「さんばがらす」です。「4羽」になると、元に戻って「わ」になります。

“一只”、“两只”读作“わ”(音是wa,但是古语假名标记是“は”),但是只有“3只”是念“ば”。“さんわ”也不是一定不能说,但是“三羽烏”肯定要读作“さんばがらす”。“4只”的情况又变成“わ”了。

こういうのを説明するために、「使う頻度が上がると濁音化する」という説があるようです。だから、そんじょそこらのビルには存在しない「63階」の場合は濁らないのに、大抵のビルにある「3階」は濁るのです。

为了说明这一点,有一种说法是“使用频度越高,越容易浊音化”。因此由于这一带不会存在“63楼”的情况,所以不会浊化,而很多建筑是有“3楼”的,所以浊化。

しかし、これは「文法」と呼ぶには苦し紛れ感が溢れすぎです(笑)

但是如果这要被称作是“语法”的话,我不免感到过于无奈了(笑)。

でも、誰かがこういう苦しい説明を展開しているのを聞くと、どんなものの中にもなんとかしてルールを見出そうとして躍起になっている、言わば私と同類の人間がいるもんだと、私はちょっと嬉しくなってしまいます。

如果谁听了这无奈的解释说明之后,能够跟我一样努力研究致力找出其中规律的话,我也会感到开心了。

「やまえー、これ何本? いっぽん? にぽん? さんぽん?」と訊かれてから、私はずうっとその手の謎を追い続けています。

“山江君,这有几个?一个,两个,三个?”,自从有了这个问题,我一直在追寻着这个难解的谜。

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