「ひとり、ふたり、次は・・・?」

“一人、两人、接下来呢……?”

ここは中華レストラン、1年ほど前に日本語教師養成講座を受講した若手の卒業生とランチを食べに入った。彼曰く「ここのチャーハン、とても美味しいですよ、お腹が空いているので、僕は二人分食べます」である。

和1年前听过我的日语教师培训课的年轻人在中华料理店吃饭,他说“这里的炒饭非常好吃,我现在肚子很饿,要吃两人份”。

そして早速この「二人分」の読み方が話題になった。「ふたりぶん」か「ににんぶん」か・・・、彼曰く「当然『ふたりぶん』ですよね」である。確かに「ににんぶん」は聞きなれない。でも「二人前」の正式な読み方は「ににんまえ」である。「ふたりまえ」でもいいのだが、なぜ「分」と「前」で読み方が変わるのか、ややこしい。

然后,这个“二人分”的读法就成为了(我们聊天的)话题,是读成“ふたりぶん”还是“ににんぶん”呢…。他说,“当然是读成“ふたりぶん”了”。虽然平时不太能听到“ににんぶん”这种说法。但“二人前”的正确读法却是“ににんまえ”。“ふたりまえ”这种读法也可以,为什么接续“分”和“前”读法会不同呢,真麻烦。

しかし「三人分」と「三人前」はそんな問題は起こらない。これは「一人、二人、三人、四人、五人」の読み方に原因がある。日本語教師として生徒に「人の数え方」を教えるときは、何も考えずに「ひとり、ふたり、さんにん、よにん、ごにん」と教えている。

但是“三人分”和“三人前”就不会发生这种问题。其原因在于“一人、二人、三人、四人、五人”的读法。作为日语教师,在教学生“人数的数法”时,就直接告诉学生应读作“ひとり、ふたり、さんにん、よにん、ごにん”而没有多想。

しかしよく考えてみると、一人(ひとり)、二人(ふたり)は和語いわゆる日本式の読み方であるが、三人(さんにん)からは漢語の「にん」の読み方である。なぜ「ひとり」と「ふたり」だけ和語の読み方にするのか・・・、もしこんなこと日本語上級者から質問されたら困ってしまうね、と彼と真顔で話し合った。彼はいま日本語を教えている新米教師である。

但是仔细想想就会发现,一人(ひとり)、二人(ふたり)是和语,也就是所谓的日本式读法,从三人(さんにん)开始是汉语“にん”的读法。为什么只有“ひとり”和“ふたり”要用和语读法呢…如果学日语的学生提出了这个问题,还真难回答呢。我和学生一本正经地讨论了这个问题。他现在是教日语的新人教师。

確かに考えたことはなかったが、少し調べてみると分かるが、昔は「ひとり、ふたり、みたり、よたり、いつたり」のように全て和語で数えていたようである。そしてまた当然漢語式の「いちにん、ににん、さんにん」もあったであろう。そしていつからか、人の数え方は「ひとり、ふたり」だけ和語が残り、「さんにん」から後は全て漢語になって自然と定着したのであろう。なるほどである。

确实没有考虑过这个问题,但稍微一查就会知道,过去数数的方法像“ひとり、ふたり、みたり、よたり、いつたり”这样全是用和语数的。当然或许也有汉语式的“いちにん、ににん、さんにん”的数法。不知从什么时候开始,人数的数法只剩下“ひとり、ふたり”是和语,从“さんにん”开始之后全是汉语,并固定了下来。原来如此。

だから「一人」と「二人」はどっちを使うか、混乱を招くのは当然である。「二人」は「ににん」も使い、「二人三脚」などがいい例である。そして「二人組」はどちらもOKとされているようであるが、何となく使い分けている感じもする。二人組の強盗などは「ににんぐみ」であるが、友達と二人組は「ふたりぐみ」のほうがいい感じ・・・。

所以说到“一人”和“二人”时不知要使用哪种说法,引起混乱也是理所当然的。“二人”也可以读作“ににん”,“二人三脚(ににんさんきゃく)”就是一个很好的例子。另外,“二人組”汉语和和语读法都可以,但总感觉日本人在把它们区别使用。“二人組の強盗”等中读“ににんぐみ”,“友達と二人組”中就会读作“ふたりぐみ”…

でもなぜ「ひとり、ふたり」だけが和語なのか、確かに不思議である。和語は話し言葉として馴染みやすかったのであろう。特によく使う「ひとり」と「ふたり」は・・・。確かに「ひとりぼっち」が「いちにんぼっち」では馴染めないし、「ふたりの秘密」も「ににんの秘密」ではピンと来ない。でもいつかピンと来る時代が来るかも・・・。

但是为什么只有“ひとり、ふたり”是和语呢,确实不可思议。或许是因为和语作为口语比较容易被熟悉吧。特别是经常使用的“ひとり”和“ふたり”…。确实“ひとりぼっち”读作“いちにんぼっち”就不太顺,“ふたりの秘密”读作“ににんの秘密”也不太对劲。但是或许以后这也会变成惯用的读法…。

言葉はその時代、時代の人々の感性や語感などによってどんどん変わっていく。彼曰く「言葉は生きているんですね」である。こんなことを話しながらのとても有意義なランチであった。彼はすでに一人前の先生である。

语言是根据当时的时代、时代中人们的感性和语感等不断变化的。也就是他说的“语言是活着的”。边吃午餐边讨论这个话题,真是一顿有意义的午餐。他已经是一个能够独当一面的老师了。

ところでこの「一人前」の読み方は・・・。

可是这个“一人前”的读法又是什么呢…。

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