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はじめに

本文はようするに、日本人の「恥文化」と「生死観」を対象にしている。
アメリカの女性人類学者ベネディクトが『菊と刀』の著作で日本人の「恥文化」について、それは西欧の罪悪文化に対するものと述べている。また、「彼はそうしないと(情理を尽くすこと)、周りから、情理が分からないものだと言われるし、自分も恥をかくのである。」と述べ、いわゆる情理観を日本の「恥文化」に含ませている。
日本人の「生死観」を対象に研究した学者が多いが、権威ある観点や著作はまだ出ていないようである。しかし、それを研究した資料をまとめると、日本人の「生死観」には美意識、生と死の一体性などが含まれているということが共通の観点である。例えば、古愛萍(1994)は「生死観には美への追求は含まれてある」と述べている。また、張麗晶(2005)は「生と死というどうしても乗り越えないものは、日本人の考えでは、相互に繋がっている段階となっている。彼らは、死亡に特別な感情を抱いている。つまり、死亡を浪漫化した」と論じている。
『菊と刀』という専門書では、「恥文化」について、具体的な例と結び付けて分析したのではなく、理論しか出していない。「生死観」を対象に研究した学者の多くは、実際に生きている人(例えば、自殺した作家)や実際に発生した事件の経緯を素材にするのは一般的である。

本文は、具体的な例でもあり、フィクションのものでもある直子の自殺や小説のストーリーを素材に分析し、その裏に支える日本の「恥文化」と「生死観」を覗こうとしている。また、直子の死因について、筆者がインターネットコラムから、いろいろな観点を探ってみた後、次のように示している。
第一、亡くなったキズキに随うため。キズキの死は直子のすべてを奪っていったのである。主人公の渡辺と付き合うようになった直子は、ただキズキの唯一の親友としての渡辺から、キズキの影を見つけたかっただけである。やがて、渡辺とセックスした直子は、キズキへの裏切りに恥じ入ってやまなかったのである。それは直子を自殺に導いた。
第二、恋人に死なれた直子は、キズキの親友、渡辺を愛するようになったが、渡辺はほかの女の子と交際することを直子に教えた。なぜ渡辺に裏切られたのかと考える直子は、キズキに無言のうちに死なれたときと同じように、深く傷ついた。もう二度とそういう悲しみを乗り越えられないだろうと思って、死に向けたのである。
第三、もともとは同性愛の傾向のある直子は、「阿美寮」で優しい玲子に出会って,愛欲の河に夢中したが、世に認めてくれるわけがないため、それに、キズキの死から抜け出せないので、自殺を決めたのである。
筆者は一という観点に傾いている。そして、それを使って、論文を展開しようとしている。
小説はフィクションのものと言っても、現実に基づいてできたものだから、信憑性があると筆者が信じている。また、そういう研究手段では、日本人の「恥文化」と「生死観」を覗くには、特別な視角が提供できる。

第一章  『ノルウェーの森』

第一節 なぜ『ノルウェーの森』の女主人公直子を選んだのか

『ノルウエーの森』は中国で宣伝なしに販売された50万冊を含め、世界中では1500万冊に乗っていて、愛読されている。その小説には直子のほか、直子のお姉さん、直子の死んだ恋人キズキや登場人物の初美など、自殺した人物が多い。その一員の直子は小説の内容にバランスや色彩をもたらした女主人公として、彼女の死亡を研究し、日本人の恥文化と生死観を見るには、典型的な研究対象だと考えて、筆者が直子を選んだのである。

第二節 『ノルウェーの森』のあらすじ

『ノルウエーの森』は、第一人称を使って、主人公の渡辺徹が二人の女の子、直子や緑子との恋を軸に書かれたやや感傷的な小説である。まず、論文を展開するには、背景知識として、小説のあらすじを紹介しよう。
高校時代の親友のキズキに死なれた主人公の渡辺は東京の大学に入り、同じ東京で通学するキズキの恋人、直子と巡り合って、付き合うようになった。二人は、毎日あてもなく東京の街頭を彷徨い歩いていた。直子の二十歳の誕生日の夜、二人はセックスし、翌日、直子は行方不明になった。その間、偶然のチャンスで、渡辺は同じ大学の緑子と付き合うようになった。緑子は内向的な直子と性格が全く違う。渡辺は、直子のことを心にかけていながらも、その一方、緑子の大胆な告白と活力に抵抗しがたいので、思い悩んでいた。何ヶ月の後、直子から東京のある療養所で治療を受けていることが書いてある手紙が届いてきた。渡辺は療養所へお見舞いに行って、帰る前にいつまでも待ってやると直子に保証したが、やがて直子が自殺したという知らせが伝わってきた。落ちぶれた渡辺は直子の患者仲間の玲子に励まされ、人生を探りなおすようになった。こういう筋の小説である。

第二章 直子の死と恥文化

第一節 内心の混乱&情理を尽くす

直子とキズキは幼なじみで、キズキに死なれた直子は、自分の存在が確認できなくなった。キズキに付き従おうとするが、死が怖くて、なかなかそうする勇気がなかった。そういう矛盾の中、内心がますます混乱するようになったのである。
直子とキズキの感情の深さについて、小説に直接な描写は多くはないが、以下の三つのところから、垣間見えることができる。第一、「二人は、いつも相手側のお宅にマージャンをやっている」ことから、二人とも感情に安定していることが分かる。第二、小説にはすごくおかしいところがある。それは、直子とキズキは渡辺との三人デートということである。なぜデートする時、わざわざとお邪魔虫を連れていくかと普通は疑問を抱いているが、それも二人の感情がすでに穏やかな時期に入っている証拠だ。ちょうど渡辺の思ったとおり「結果的にはそれが一番気楽だったし、うまく行った」というのである。第三、キズキ自身も、とても魅力的な人で、内向的な直子にとって、外とつながる窓口としての役目を務めている。渡辺もキズキを「有能なホストであり、頭が切れて座談の才のある男」と評価している。それで、直子はキズキにすごく頼っていると言える。
そういう三つの原因で、キズキに死なれたことは、直子に非常にショックさせたのである。直子が付いていこうとしたが、本能から死亡を怖く思って、また、それが近づいてくるのを恐れた。キズキが去ってまもなく、直子は郊外に変な井があると渡辺に話したことがある。「それは本当に深いの。でもそれがどこにあるかは誰にも分からない。そこで死んでいった人たちの白骨が当たりに一面に散らばっているし、暗くてじめじめしていて。そして、上のほうには光の円がまるで冬の月みたいに小さく小さく浮かんでいるの。そんなところで、一人ぼっちでじわじわと死んでいくの」と。その井は、直子にとって、まさに死亡を象徴するものである。
普通の人にはこういう思い出があるのであろう。高いビルから、垂直に下を眺めるとき、怖くて、足が思わず後退りするのだが、いっぺん飛び降りてしまえばどうだという一時の衝動。直子がその井に面する時の不安が、その衝動と似通っていて、心身から言語まで、深く彼女を混乱させた。例えば、渡辺が一年ぶりの直子と再会したとき、「一年の間に、直子は見間違えたほどやせていた」と言ったほか、直子自身も、自分の理路整然のない考え方をこういうふうに形容している。「まるで自分の体が二つに分けていてね、追いかけっこをしているみたいなそんな感じなの。真ん中にすごく太い柱が建っていてね、そこの周りをぐるぐると回りながら追いかけっこしているのよ。ちゃんとした言葉っていうのはいつももう一人の私が抱えていて、こっちの私は絶対にそれに追いつけないの」と。
キズキが死んでから一年も経ったが、それでも直子はそういう暗い影から抜け出せないことは、不思議に思われるであろう。その原因は探し出すには、まず、裏にその民族の行動様式を支える文化に目が行く必要がある。日本の文化には、恥文化というものがあり、それは、一定の道徳標準を手段に、社会主体の行為を制約する文化である。人々は、そういう標準に違反するとき、恥ずかしく思い、恥をかくのである。その道徳標準はいわゆる「情理」である。アメリカの女性人類学者ベネディクトが『菊と刀』の著作で「彼はそうしないと(情理を尽くすこと)、周りから、情理が分からないものだと言われるし、自分も恥をかくのである。」と述べている。
キズキに死なれたことによって、直子は、長年付き合ってくれたキズキに何らかの形で報いようといっても、できなくなり、キズキに付いていくべきだという念頭が浮かんできた(いわゆる情理)。しかし、直子は死亡を象徴するその井を怖がって、付いていけなかった。そういう情理が尽くせないことに恥じ入って、不安を感じ、こうして、直子の内心に巨大な混乱が出てくるのである。

第二節 混乱の進化&恥感の表面化

前に述べた直子の内心の混乱は、一年ぶりで渡辺と東京で出会ったときに、多少緩まった。それは、渡辺とキズキは不思議に似通うところがあって(キズキは学校では、渡辺以外の誰とも仲良くはならなかった。キズキと最後に会って話をしたのが直子ではなく、渡辺だった)、直子は渡辺から、キズキの跡をみつけたのだから。
直子は「時々これといった理由もなく、何かを探し求めるように、僕(渡辺)の目の中をじっと覗き込んだ」。そのことに気付いた渡辺は非常に悲しくて、自嘲したのである。「彼女(直子)の求めているのは、僕の腕ではなく誰かの腕なのだ。彼女の求めているのは、僕の温もりではなく誰かの温もりなのだ。僕が僕自身であることで、僕はなんだか後ろめたいような気持ちになった」。しかし、直子にとって、慰めになった。そして、直子は「僕の腕に腕を絡めたり、僕のコートのポケットに手を突っ込んだりもした」というふうに、次第に自分の心を渡辺というキズキの残った影に任せたのである。二十歳の誕生日の夜、「僕は直子と寝た」と書かれたように、直子の心が完全に渡辺に接続したのである。
万事が頂点に達するとたん、反落するのだと言われるとおり、翌日、直子が渡辺から離れた。1か月後、直子が渡辺に送った手紙に「これは、本当に私が自分できちんと全部引き受けるべきことなのです。時々夜中に目が覚めて、たまらなく怖くなるの。まるでキズキ君が暗いところから手を伸ばして私を求めているような気がするの。おい、直子、俺たち離れないんだぞって。そういわれると、私本当にどうしようもなくなっちゃうの」と書かれて、そこから、直子の疑問(なぜ心と身体の接続は二十年付き合ってきた幼なじみのキズキと実現するのではなく、キズキの親友の渡辺と実現できるのだというもの)やキズキへのやましい気持ちが読み取れたのである。その疑問が第一節に述べた一度緩まった混乱を蘇ったのである。それで、直子の頭が乱れて、仕方がなく、阿美寮という診療所へ助けを求めに行った。
一方、直子が治療を受ける間、渡辺は偶然で、同級生の緑子とめぐりあって、緑子からすさまじい愛の攻勢を受けたが、やはり直子を深く愛しているので、緑子との進展はなかったのである。「だいたいは緑子がしゃべり、僕はうんうんと返事をしていた」というふうに。また、渡辺は自分のそのときの心境をこう語っている。「ほかの時期ならともかく、今の直子に僕が他の女の子を好きになってしまったなんて言えるわけがなっかた。僕の中には、直子のためにかなり広い場所が手付かず保存されていたのだ」と。
その後、診療所でそれを知った直子は、自分の心身をよく調整してから渡辺と一緒になることができない上、渡辺の新しい生活の妨げになったのかなと内心が深くやましく思い込んでいた。そこで、蘇った混乱と渡辺へのやましい気持ちが合流して、進化した混乱となっていた。直子は内心が一層苦しめられて、とうとう耐えられなくなって、自殺を決めたのである。
進化した混乱は第一節に述べた混乱より、直子を深く苦しめたのは、恥感の表面化というものが原因として、含まれているからである。恥感の表面化はどういうものかというと、以下の分析から分かる。前者の混乱を招いたキズキの死亡は、あくまで自分が自分を殺すという自殺で、直子は責任を持つことはなく、また、責任があると自ら責めとがめても、直子自身の内心のものだけで、他人に周知され、責められることには及ばない。しかし、それに対して、後者の混乱には、キズキへのやましい気持ちのみではなく、渡辺まで巻き添えしてしまったものがある。渡辺が幸福を追求する権利を奪ったほか、渡辺を傷つけたことを自分の家族、玲子、渡辺の友達に知られ、周知されて、そこで表面化した恥をかいたのである。
表面化した恥が日本人の行為に響く度合いは、日本の恥文化と西欧の恥文化を対比してみれば分かる。
恥の表面化があるかどうかこそ、日本の恥文化と西欧の恥文化の相違点である。『菊と刀』の著作で、日本の恥文化と西欧の恥文化をこのように評価されている。日本は恥文化で、西欧は罪悪文化である。西欧の人は、何か悪いことをやったら、心がとても苦しんで、教会へ解脱を求めに、過去の行為を悔いていく。つまり、罪がばれるかどうかにかかわらず、一応は、懺悔して置かなければ、どうにも収まりが付かないのである。それに対して、日本の恥文化は、罪が発覚されない以上、当人が少しも恥ずかしくは思わない。いったんばれたが最後、日本人は非常に恥じ入って、心を苦しめるか、切腹、自殺まで選んで、罪を償うのである。ここで、表面化した恥が日本人に与える影響のすごさや、過失がばれたら、日本人は一般的に極端な行動をするのが分かる。
本章は直子は東京で渡辺との再会を分かれ目に、その前後の直子の心の状態を描いた。そして、なぜ直子はキズキにやましい気持ちを抱くのかという疑問や、なぜ直子の心の中にある混乱が進化したのかという疑問を出し、またその二つの疑問を解くことで、日本の恥文化の内包と特徴を導いてくるのである。

第三章  直子の死と日本人の生死観

第一節 死と生の繋がり

『ノルウェーの森』には、キズキの死以外に、直子の姉と直子の叔父の死も描かれ、身辺の親類の相次ぐ自殺が、直子の若い命に死亡の跡を潜伏させていた。直子は、姉の死を「それから三日間、私は一言も口が効けなかったの。ベッドの中で死んでしまったみたいに、目だけでじっとしていて。何がなんだかぜんぜん分からなくて」と追憶している。
それで、キズキの死は直子にとっては、泣き面に蜂である。渡辺も、キズキの自殺によって、「死は生の対極存在なんかではない。死は僕という存在の中に本来的に既に含まれているのだし、その事実はどれだけ努力しても忘れ去ることのできるものではないのだ。あの十七歳の五月の夜にキズキをとらえた死は、その時同時に僕をとらえてもいたからだ」と感じて、死亡の怖い輪に引きずられそうになったのである。
死亡の伝染性の度合いがこれほど高いとは、理解しがたいのであろうが、ここで、日本人の生死観の特徴を見てみよう。
日本人の生死観で、死は生と完全に対立するのではない。歌人の吉田兼好(1283~1352)は、生と死をこう語っている。「誰でもみんな、本当にこの生を楽しまないのは、死を恐れないからだ。いや、死を恐れないのではなくて、死の近いことを忘れているのだ。しかし、もしまた、生死というような差別の相に捉われないと言う人がいるなら、その人は真の道理を悟り得た人と言っていい」。
真の道理を悟り得た人は、生死というような差別の相に捉われない人。つまり、生と死は本来的に結びついていて、それにこだわるまではないことである。そこで、彼らにとって、どうしても乗り越えられない生と死の境界線が消し去られて、死は生から隔絶されたものではなく、生の隣接の風景になったのである。
こうして、直子は、そういう風景に誘惑され、伝染されるのは、当然のようになる。

第二節 いわゆる究極の美

直子は、美にこだわることは、小説の中から、例をいくつも取り上げられる。「小さな冷たい手やさらりとした手触りのまっすぐなきれいな髪や、柔らかい丸い形の耳たぶやそのすぐ下にある小さなほくろや、冬になるとよく着ていた上品なキャメルのコート」など。
三島由紀夫がこういうことを言ったことがある。「日本人は、若い人の情死を以って、美とする。そもそも、美人は夭折するもの」と。キズキが自殺した後、彼女がずいぶんやつれてきたが、それでも美を追求しようとする心が、死という「究極の美」に向かうことを駆り立てた。また、三島由紀夫が著作の『情死論』で、それを日本人の自殺賛美と名づけている。
なぜ自殺は美意識と関係しているかというと、それを探求するには、まず、日本人の「桜性格」を見ていかなければなるまい。
日本人が、桜の早咲き、早散れの性格をとても買っていて、消亡の美と称する。有名な画家の東山魁夷が「桜は永遠に凋落せぬ、満月が毎日の夜に空に掛かる、我々人間も常にこの世に存在できるとすれば、三者のすれ違うは、ちっとも感動を覚えないことになる」と述べている。また、評論家花田清輝(1909~1974)は『犬死礼讃』で「やはりわたしは、人眼をかすめて、とろとろと燃えつきてしまうような死にかたよりも、猛烈ないきおいで燃えあがり、派手にあたりに火の粉をバラまいたあとパッと消えてしまうような死にかたのほうに心をひかれる。」と評価している。その中から、なくなりやすいものや猛烈な生き方が日本人の美意識に含まれていることが分かる。
若いときの自殺は、ちょうど桜の早咲き、勢いよく散れに合致しているから、美にこだわる直子がそれを選んだわけである。

第三節 宗教意識を含む生死観

自殺前に、「しゃべり方も前よりずっとまともになっていた」と描写されたように、直子は一度完全に回復したことがある。その理由を直子のルームメートの玲子が渡辺に教えた。「あの子もう始めから全部しっかりと決めていたのよ。だからきっとあんなににこにこして、健康そうだったのね」と。また、直子はそれを決めた後、「部屋の中のいろんなものを整理して、いらないものを庭のドラム缶に入れて焼いたの。あなたの手紙も」ということをした。そして、直子は部屋を整理しているとき、玲子に「これまでのものは全部処分して、これから新しく生まれ変わるの」と言ったことがある。ここで、どうして死亡する前にわざわざ自分の物を細かいところまで片付けるのかという疑問がある。それは、恐らく、直子はそういう片付けを死後の冥福を唱えるプログラムと見なし、それをやったことで、恥じがきれいに洗えるし、来世が幸福になれると信じているからである。
その片付けやプログラムは、実際に宗教的意識を含めている。美術評論家の岡倉天心(1862-1913)は著作した『茶人の死』の中で、千歌流茶道の開祖、千利休が切腹する前、大勢の前で臨終の茶儀式を行う場面を描いて、それを「死亡に宗教的な感覚を含ませ、芸術に昇華した」と評論している。そこから、宗教的な意識を含めた儀式のようなものを死ぬ前に行うと、冥福を得られる証拠が見出せる。
そのような宗教意識の根源を探るには浄土教のことを見てみよう。浄土教は、衆生を済度するという阿弥陀の本願を信じ、死後極楽净土に往生できることを教義とする。浄土教の興隆に大きく貢献した源信が(942~1017)著作の『往生要集』で、汚れた土を離れという地獄思想や浄土へ向かおうという浄土思想を述べて、不安の社会の中、臨終で南無阿弥陀仏を読むと、生まれ変われるということを唱えている。その中の阿弥陀の本願を信じることや南無阿弥陀仏を読むことは、死後の冥福をもたらした宗教儀式である。直子がやった片付けや利休の切腹儀式が時代とともに、浄土教の宗教儀式から変遷してきたものである。
そういう宗教思想にも影響され、直子が儀式を行って、希望を来世に託したのである。
本章は、日本人の生死観をめぐって、三つの特徴をあげたのである。それぞれを第一節、第二節や第三節に含ませている。第一節は生と死の繋がりを出し、それは直子に自殺の前提性を提供したことを証明した。第二節は美意識を提出し、それはなおこの自殺の理由の一つであることを論じたのである。第三節は、なぜ直子は自殺の前に、わざと自分のものを清潔に片付けるのかという疑問を提出し、それは宗教意識によるものだということを指摘したのである。

おわりに

本文は、小説の『ノルウェーの森』の女主人公直子というフィクション人物の自殺や小説のストーリーを素材に分析し、その裏に支える日本の「恥文化」と「生死観」を覗こうとした。日本の恥文化と生死観の内包や特徴をめぐって、展開したのである。
第一章では、『ノルウェーの森』を選ぶ理由や、『ノルウェーの森』のあらすじを述べた。第二章では直子は東京で渡辺との再会を分かれ目に、その前後の直子の心の状態を描いた。そして、日本の恥文化の内包と特徴を導いてくるのである。第三章では、直子が自殺するその現象自身を分析し、日本人の生死観をめぐって、三つの特徴をあげたのである。それは、生と死の繋がり、美意識、宗教意識である。
本文は小説の人物やストーリーを素材にし、それなりの独特の視角をもっているが、覗ける範囲はやはり限られている。例えば、恥文化と生死観が時代とともに変遷した内容はまだ紹介や研究に及ばなかった。恥文化と生死観の繋がりについて、まだ明らかにしていない。今後、筆者がそういう研究方法を利用し続けて、ほかの優れた自殺を題材にする文学作品を研究することで、日本の恥文化と生死観を逐次深く展開していきたいのである。

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