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不思議な「ん」

不可思议的“ん”

「ん」は不思議な音です。日本語には「ん」で始まる単語はありません。ですから、しりとりでは「ん」で終わる言葉を言ったら負けになります。後の人が次の言葉を続けることができないからです。

“ん”是个不可思议的音,日语中没有以“ん”开头的单词。因此,在接尾令游戏中如果说了以“ん”结尾的词语就算输,因为这样一来,后面的人就无法往下接词了。

仮名の五十音図でも、「ん」はひとつだけ最後の行にはみ出しています。日本語のほかの音は、「a」「i」「u」「e」「o」の五つの母音と、「k」「s」「t」「n」「h」「m」「y」「r」「w」の九つの子音の組み合わせで表されます。しかし、「ん」は、この中に入りません。

在假名五十音图中,“ん”也是单独出现在在最后一行。日语里的其他音则由“a”、“i”、“u”、“e”、“o”这五个母音及“k”、“s”、“t”、“n”、“h”、“m”、“y”、“r”、“w”这九个子音相组合而成,“ん”并不算入其中。

「ん」は書くことができなかった

“ん”曾无法写成文字

日本に現存する最古の書物は、『古事記』『日本書紀』ですが、驚くことに、この中には「ん」がありません。

日本现存最古老的书籍是《古事记》和《日本书纪》,让人惊讶的是,这两本书中并没有“ん”的身影。

当時は仮名がまだなく、文章を書くために同じ音の漢字をあてはめていました。「はる」は「波流」、「やまと」は「八間跡」のように表記していたのです。しかし、漢字には「ん」と発音する文字がありません。そこで日常会話では「ん」を発音していても、文章に表す場合には省略したのだと考えられています。

当时日本还没有假名,为了撰写文章,会将同音的汉字填入其中,像是“はる”记作“波流”、“やまと”记作“八間跡”这样。但是,汉字中并没有发音为“ん”的文字。因此人们认为,当时即便有内容在日常会话中读作“ん”,写成文章后也会被省略掉。

「ん」が文字として姿を現すのは、平安時代の後半に入ってからです。この頃には仮名が出来あがり、清少納言は『枕草子』の中で、「最近、『言わむとす』を『言わんずる』のように言ったり書いたりするが、下品なことだ」と書いています。

直到平安时代后半期,“ん”才作为文字出现在人们眼前。当时假名已经完成,清少纳言在《枕草子》中写有这样一句话:“最近,很多人都将‘言わむとす’说成或者写成‘言わんずる’,真是粗俗。”

注:「むとす」まさに…しようとする。…するつもりだ。

「ん」は終わりであり、始まりである

“ん”既是终极,亦是本初

「ん」を語る上で、空海を忘れるわけにはいきません。彼は真言宗を開いた天才ですが、中国へ留学し、古代インドで用いられた文章語であるサンスクリット語(梵語:ぼんご)を学びました。それ以前の日本人は中国語に翻訳された経典を学んでいましたが、彼は仏教発祥の地インドの章語である梵語で理解し発音しようとしたのです。彼によれば、梵語の阿吽(あうん)の「吽」は、日本語では「うん」あるいは「ん」という音になります。「阿」で始まった宇宙が、「吽」で再び収縮し種子となることを表します。真言宗では、「ん」は収縮と種子、つまり終わりであり、始まりなのです。

既然要谈“ん”,自然不能忘了一个人,那就是空海。他是日本真言宗的开山鼻祖,曾留学中国,并学习了古印度书面语梵语。在那之前,日本人都是学习译成汉语的佛经,而他却尝试通过佛教发祥地印度的经典用语梵语进行理解和发音。他称,梵语“阿吽(开口闭口出的声音、呼吸)”中的“吽”字到了日语里便成了“うん”或者“ん”音,该词象征初始于“阿”的宇宙,再次终结于“吽”并成为种子。在真言宗中,“ん”为归结与种子,既是终极亦是本初。

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