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文字を覚える順番

文字记忆顺序

●外国人に文字を教えるときの順番は?

教外国人日语文字时,你都采取什么顺序呢?

おそらく、「あいうえお、かきくけこ…」という順番。いわゆる50音表の一覧を使用して、母音と子音がシステマティックに?わかるように示して、「あ」から順番に教える…というものだろう。平仮名から教える場合がほとんどだが、片仮名から教えることもある。理由は、外国人の名前は片仮名表記をするのが普通だから身近なためである。しかし、いずれにせよ「あ」「ア」から順番に学習者は学んでいく(学ばされていく)ことが普通に違いない。

恐怕是“あいうえお、かきくけこ……”吧。你用的是不是大家常说的50音一览表,选择母音子音学习体系,然后用易懂的方式展现出来,从“あ”开始教授?一般人会从平假名开始教,当然也有从片假名开始的。理由是,外国人的名字会用片假名表示,这样学比较贴近生活。不过,不管怎样,学习者一般都是从“あ” “ア”开始学的(或者被要求这么学),这是肯定的。

では、日本人の子どもが、教育現場ではなく、普通に暮らす中で文字を覚える過程とはどのようなものか。4歳の自分の娘や周囲の子どもたちを通してわかったことを記したい。

那么,撇开学校不说,日本小孩在平常生活中是怎么去记忆文字的呢?我想借此记录下对我4岁女儿及周围孩子们的观察情况。

●自分の名前、友だちの名前、家族の名前

自己的名字、朋友的名字、家人的名字

最初、「あれ?この子は文字が読めてるのかな?」と思ったのは、一時預かりの保育園のロッカーで、毎回変わる自分の場所を、私が教えなくてもわかったとき。そのうち、お友だちのネームタグも読めるようになった。でも、本人に確認してみると、名前の文字すべてをセットにして一つの絵として捉えているだけだということがわかった。つまり、文字が読めていたのではなく、マークとしてわかっていただけ。

“咦?这孩子能认字了?”最近发生的一件事情让我脑子闪过了这样的疑惑。即便不用我教,女儿竟然也能在临时托儿所的橱柜处找到自己的位置,而这位置每次都不一样。渐渐地,她连其他小朋友的名字标签都认得了。跟孩子本人确认后我才恍然大悟,原来她只是将名字里的字全都连起来当作一幅画去看而已。也就是说,不是认得字,只是认得那符号罢了。

次の段階は、幼稚園に通いだしたとき。いわゆる50音表が本の付録についてきたので、それを壁に貼ったこともあり、いつの間にか平仮名に興味を持ち、どんどんどんどん読めるようになっていった。ネームタグも絵としてではなく、つたないながらも一つずつ文字を読むようになった。

接下来这个阶段,是开始上幼儿园后。那种50音表在教材附录里就有,我还把它贴在墙上过,孩子在不知不觉中开始对平假名产生了兴趣,慢慢慢慢就认得了。对她来说,名字标签也不再是画,虽然有些磕磕碰碰,但也能把它们一个字一个字念出来了。

すると、次は自分の名前を書けるようになりたがった。自分の持ち物すべてに自分の名前が書いてあるので、見よう見まねで書こうとするのだ。そして自慢げに 「見て見てぇ」という。形になっていなかったりするから教える。すると、上手に書けるようになった。次はママの名前、そしてパパの名前、じいちゃんの名前、ばあちゃんの名前、先生の名前、お友だちの名前、こんな感じで書ける平仮名が増えていった。

之后是想要把自己的名字写出来。因为自己的东西上都写有自己的名字,孩子就会想边看边学把它写出来,然后得意地说“你看你看”。有时也会写得字不成形,于是我便教她,她也慢慢开始熟练了。然后就是爸爸的名字、爷爷奶奶的名字、老师的名字、朋友们的名字,像这样,孩子会的平假名越来越多。

名前の次は、お手紙。延長保育で毎日遊んでくれる年長組のお姉ちゃんからお手紙をもらうようになると自分も書きたがる。「ありがとう」「あそんでね」「○○ちゃん」など、 今までの名前にはない文字が出てくるので、「あ」「ね」「ん」など教えるが、難しくて形がめちゃくちゃ。あんまり言うと嫌がるので、放っておいたら、私の書いたお手本の字の上に紙を置いて、なぞって書いているうちに形になっていった。

写完名字接着是写信。女儿开始收到一些信,是在托儿所延长时间段里每天陪她一起玩的大班姐姐写来的,于是她也想要写了。信里出现了一些陌生的文字,是之前写过的名字里所没有的,比如“ありがとう (谢谢)”、“あそんでね(一起玩哦)”、“○○ちゃん(小○○)”等,我又开始教她“あ”“ね”“ん”等的写法,但由于难度太高,每次写起来都是歪七扭八的。说太多了她也会烦,我就没怎么管了,结果她把纸放在我写的范本上开始临摹,写的字也越来越像样了。

●カタカナと漢字も…名前

不管是片假名还是汉字……学习契机都是名字

幼稚園は基本的に平仮名が多い世界である。だから平仮名はこんな感じでどんどんどんどん吸収していった。片仮名はどうかというと、いまのところ自分の名前だけ、読むのも書くのも完璧!だから、「ドーナツ」という字が読めたりして周りの大人を驚かせる。「ナ」「ツ」は自分の名前にあるので読め、「ドー」は読めないけどドーナツの写真の横にある文字だから推測して「ドーナツ」と読んでみたのだろう。こんな感じで、片仮名は平仮名ほど身近じゃないからか、まだまだ。

幼儿园基本上是属于平假名比较多的世界,孩子慢慢慢慢就耳濡目染了。片假名的话,目前为止她只认识自己的名字,读写都没问题!所以有次,她把“ドーナツ(甜甜圈)”读对了,让周围大人很是吃惊。“ナ”“ツ”在名字有所以认得,“ドー”虽然不认识,但想必是看它写在甜甜圈的照片旁所以猜的吧。像这样,片假名可能没平假名见得多,因此还很生疏。

では漢字はというと、これも自分の名前、それも名字は簡単な漢字なので読めるし書ける。ということで、町を歩いていると、表札を見て立ち止まる。「西山」「青山」「山田」「山口」、日本には「山」がつく 名字がたくさんあるので、「山」がつく表札を見るたびに、「あっ、山」と叫ぶのだ。

另外说到汉字,她自己的名字里也有,而且是比较简单的,所以既能读也会写。她每次走在路上看到名牌都会停下来。“西山”、“青山”、“山田”、“山口”,日本有很多带“山”字的人名,每次看到名牌上有“山”,她都会叫道“看,有山!”

ちなみに、私は積極的に文字を教えてはいない。なぜなら、子どもは文字に目が行くようになると、絵本の絵など他の情報に目がいかなくなって感性が磨かれないなど悪影響もあると聞いて共感したからである。字はどうせ放っておいても読めるようになるのだから、読めない時間を大切にしてあげたい!! と心底思っていたのだが、興味を持ち出すと…もう止められなかった…。

顺便说下,我并没有太主动地教她文字。因为曾听过这样一个说法,也很认同,说是孩子如果总是注意文字的话,就会忽略其他信息,比如图画书上的画,这样不利于感性的培养,也会产生不良影响。虽然我打心底里觉得,反正不管她她也能自己学会认字,不如好好珍惜不会读的时光!!可这兴趣一旦培养出来……似乎很难停住……

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