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助数詞から探る各国の文化

从量词角度看各国文化

ものを数える時に使う接尾語を助数詞といいます。たとえば、紙なら「1枚、2枚…」、鉛筆なら「1本、2本…」、消しゴムなら「1個、2個…」、自動車なら「1台、2台…」、タンスなら「ひと棹(さお)、ふた棹…」などなど。犬や猫なら「1匹、2匹…」ですが、ウサギは「1羽、2羽…」、馬は「1頭、2頭…」。蝶々も「1頭、2頭…」でかぞえます。
【でも平安時代では馬は「1匹、2匹…」でした。】

表示东西数量时使用的结尾词叫做助数词(量词)。比如,日语中纸是“1枚、2枚……”、铅笔是“1本、2本……”、橡皮擦是“1個、2個……”、自行车是“1台、2台……”、衣柜是“ひと棹、ふた棹……”等等。狗啊猫啊是“1匹、2匹……”,而兔子则是“1羽、2羽……”、马是“1頭、2頭……”,蝴蝶也是用“1頭、2頭……”来数。
(不过在平安时期,马的量词是“1匹、2匹……”。)

【注】頭:助数詞。牛・馬など大きな動物を数えるのに用いる。「象一―」
匹:助数詞。獣・鳥・魚・虫などを数えるのに用いる。「二―の小犬」「金魚五―」〔古くは馬・牛など、獣類について用いたが、のち次第に小動物にもいうようになった。〕

助数詞は日本独自のものではありません。中国語では量詞(りょうし)といいますが、必ずしも日本の助数詞と一致しないのが難しいところです。おもしろい用法をあげると、魚を「1条(イーティャオ)、2条(リャンティャオ)…」、思い出を「1串(イーチュアン)、2串(リャンチュアン)…」などと数えます。目に見えないものでも、「串」に指すようにして数えるのですね。このように、数える対象の性質・形状にしたがって使い分ける助数詞や量詞は、それぞれの民族が独自に持つ心的表現であるのです。それは日常生活の中で習得するもので、必ずしもうまく説明できるものではありませんが、案外、心の内側に深く根ざしています。
【ですから、教室で先生が今日の出席者を「1匹、2匹…」と数えだしたら、さすがに怒り出しますよね。】

助数词(量词)并不是日本所独有的,它在汉语中叫做“量词”,用法也不完全相同,这是学习的一个难点。举几个有意思的用法,汉语中鱼是“一条、两条……”,回忆则是“一串、两串”等等。原来无形的东西也用“串”来表示啊。像这样,根据数数对象的性质•形状来区分使用助数词或者量词,也是各个民族独特的内心表现方式。这些是无法用语言表达清楚的,只能在日常生活中去掌握,其实,它们也深深地扎根在人们的内心深处。
(所以,老师要是在教室里用“一匹、两匹……”去数到场者,大家可就要怒了。)

神様の助数詞は「柱」と「座」

神灵的量词是“柱”和“座”

さて、神様の助数詞は何でしょう。「柱」または「座」を使います。「え、神様を数えるの?」と思った人もいるのではないでしょうか。そうです、キリスト教やイスラム教では唯一の神しか認めませんから、神様を数えることはありません。また、多神教の宗教でも神様を数えることは一般的とはいえません。日本文化における神様は、世界的に見て極めて特殊だということがわかります。

那么,在日语中表示神灵的量词是什么呢?其实用的是“柱”以及“座”。是不是有人会有这样的疑问,“啊?要数神吗?”对,基督教以及伊斯兰教都是一神教,所以不会去数。另外,多神教中一般也不会去数神。可以说,日本文化中的神灵,从世界范围来看都是极其特殊的。

「柱」は日本最古の文献である『古事記』にあり、「座」は『延喜式』という平安時代の法律書(施行細則)にあるものです。「柱」は、今でも一般的に使用されており、専門の研究者ですら意味を考えずに使っていますが、意外と知られていないことは、『古事記』とほぼ同じ時代に成立した『日本書紀』には使用されていないということです。『古事記』(712年成立)は国内向けの書であったのに対し、『日本書紀』(720年成立)は中国など国外をも意識して書かれていたのです。つまり「柱」は、日本で成立した神様の助数詞であり、同じ漢字を使用する中国に対しては使えなかったのでしょう。
【教室の中でも、友達同士では使いながら、先生に対しては使わない言葉がありませんか?】

“柱”出现于日本最古老的文献《古事记》,而“座”则出现在平安时期的法令集(施行细则)《延喜式》中。“柱”这个量词即便是在今天也很常用,连那些专家都会毫不思索地拿来就用,但有件事却很少有人知道,那就是,和《古事记》几乎在同一时期完成的《日本书纪》中并没有使用“柱”这个量词。与面向国内的《古事记》(712年完成)不同,《日本书纪》(720年完成)在撰写时也有考虑到中国等其他国家。也就是说,“柱”是在日本出现的神灵量词,对于同样使用汉字的中国应该是不使用的。
(即使在教室中,也有些词是朋友间可以用,对老师就不能用的不是么?)

「柱」で数える理由は古墳時代の「柱」祭祀?

用“柱”来数神灵的理由是古坟时期的“柱”祭祀?

では、なぜ「柱」にしたのか。『日本書紀』推古28年(620)10月条に、推古天皇の父欽明天皇と母堅塩媛(きたしひめ)を埋葬した古墳を修復し、その後で氏族ごとに柱を建てさせた、とあります。ここから、「神道」というものが成立する以前の古墳時代、亡き天皇の霊を前に各氏族が柱を建ててそれぞれの神を降ろす儀礼があったと想定されます。その時、柱の数を数えて、その場に降臨した神様の数を確認していたのではないでしょうか? 

那么,为什么是这个字呢?在《日本书纪》推古28年(公元620年)10月一项中,有这样的记载——推古天皇修复了父亲钦明天皇和母亲坚塩媛的陵墓,之后让各个氏族都修建了柱子。由此推测,在“神道”出现前的古坟时代有这样一个仪式,各氏族在天皇亡灵前修建好柱子,然后让各神降临。当时的人们是通过数柱子的数量来确定来了多少位神灵吧?

「柱」は、古墳時代の終焉と共に実際に建てられなくなりますが、目に見えない形で日本人の神観念の中に残存していきます。神様の助数詞「柱」は、その一つだったのです。今に伝わる神籬(ひもろぎ)や門松(かどまつ)を建てる習慣は、その名残なのでしょう。また、七年に一度行なわれる諏訪大社の御柱祭(おんばしらさい)がありますが、これも太古の「柱」を建てる儀式を伝えているのかもしれません。

事实上,随着古坟时代的终结,柱子也不怎么建了,但这种思想却在无形中留在了日本人的神观念之中。数神灵的量词“柱”就是其中一个表现。如今日本还流传着建神篱立门松的风俗,想必也是当时遗留下来的吧。另外,诹访大社七年一次的御柱祭(见上图)可能也是受了太古时期建柱子仪式的影响。

有趣的日语量词豆知识

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