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最近耳にした話。それは、日中返事比較論ともいうべきものだ。

最近听到了一些讨论,可以称其为日中“回应文化”比较论。

返事一つとっても日中は同じではないという。

据说光是在“(对他人的)回应”这一点上,中日就存在着一些差异。

例えば日本語では「はい」という返事は1回と決まっている。「はい、はい」と2回言おうものなら、「“はい”は1回でよい」と直される。「はい、はい、はい」と3回も言おうものなら、一遍で心証が悪くなる。この野郎、人をばかにしているのかと、胸ぐらをつかまれかねない。

比如在日语中,回应别人“はい(是、好的)”只需要一次,如果连说两次就会被纠正说“‘はい’一次就够了”。要是连说三次的话,别人对你的印象一下子就差了,甚至很有可能被对方揪住衣襟,觉得你这家伙不把人放在眼里。

ところが、中国語では、“是”(「はい」)と1回言うよりも、“是、是”と2回繰り返した方がより従順な感じがある。さらに“是、是、是”と3回言えば、あなたに完全に服従しますという意志の現れだ。

然而,在汉语中,比起单独一个“是”,回应“是、是”会更让听者觉得说话者遵从他的意思,要是连声说“是、是、是”就表明对方完全服从你了。

中国語では“是”という承諾の返事はたくさん言ったほうが丁寧なのだ。

在汉语中,像“是”这样表示同意的回应说的越多越礼貌。

これは“对”(「おっしゃる通りです」)でも同じだ。よく“对、对、对”と早口で繰り返すのを耳にする。だから中国人は良かれと思って「はい、はい、はい」と言うのである。

“对(日语:おっしゃる通りです)”这个字也一样,经常可以听到中国人用很快的语速连声回应“对、对、对”,所以他们才会出于好心也用日语回应对方“はい、はい、はい”。

また、中国人は「分かりました」と言うべきところ、ただ黙って「うなずく」場合がある。こっくりと頭を縦に振る、つまりだ。これは「はい」とか「分かりました」というジェスチャーだ。これだけで、十分、意思表示がすんでいると考える。

另外,中国人有时候会在该回答“分かりました(我明白了)”的时候,只用沉默和点头代替。头微微向下一动,完了。这就是他们表示“はい(是)”以及“分かりました(明白了)”的姿势。中国人认为光这个动作已经足够表明自己的意见了。

これは日本でも同じだが、日本人はこれだけでは物足りなく思うのである。必ず、動作とともに「はい」とか「分かりました」という言葉があってはじめて満足する。声を聞かないと一件落着という気分にならない。

这在日本虽然意思也相通,但日本人还是觉得只有点头是不够的,一定要配合“はい”或者“分かりました”这样的话才会让对方觉得满意。没听到声音就会总觉得这事儿还没完。

例えば、学校の先生が悪さをした生徒に説教を垂れている。生徒は反省の色濃く、涙まで流している。先生が最後に言う。「分かったか!」。すると生徒は鼻をすすりあげながらうなずく。それでも先生は「よし!帰れ」とは言わない。必ず涙声でも一言「はい」とか「分かりました」と言わなくてはならないのだ。黙っていると、「返事がない!」と催促される。こういうことは、あまりに当たり前のことで、おたがい細胞にしみ込んで意識すらしていないことだ。

比如,学校老师在教育淘气的学生,学生深刻反省,甚至还哭了。老师最后问了一句:“分かったか!(清楚了没!)”然后学生一边抽鼻涕一边点头,即使这样老师还是不会说“よし!帰れ(好!回去吧)”。这时候学生必须回应一声“はい”或者“分かりました”,哪怕是带着哭腔。要是沉默不语,老师就会催说:“返事がない!(回答呢!)”像这样的事情在日本人看来再正常不过,已经渗透到骨子里去了,以至于大家都不曾意识到。

それだけに、日本人からみれば、「今度の中国人研修生は、一体なんだ。礼儀作法がなっていない」となるし、中国人から見れば、きちんと対応し、気も使っているのに、理不尽な言いがかりをつける日本人としか思えない。

正是因为如此,才会有以下这样的情况——日本人说:“这次的中国研修生到底怎么回事,真是没什么规矩。”而中国人会觉得自己明明已经礼貌待人、考虑周全,日本人真是鸡蛋里挑骨头。

ささいなことだが、心の中にイライラがちりのようにつもってゆく。

虽然只是小事,但烦躁的情绪也还是会在双方的心中如灰尘般越积越多。

執筆者:相原茂(あいはら しげる)中国語コミュニュケーション協会代表、オンライン中国語レッスン「Live China」アドバイザー。東京教育大学卒。NHKの中国語講座にも出演、日本における中国語教育の第一人者。
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