1. めがねをかけると、新聞の字がよく見えます。

これはめがねをかけることによって、字を見るという目の「機能」がよく働くようになったことを表しています。また、「目の前が一瞬見えなくなった」という場合も、何らかの原因で目の「機能」が一時的に働かなくなったことを表します。このように、目の「機能」を問題にする時には「見える」を使います。

次に、「見える」「見られる」どちらも使える場合を見てみましょう。

  1. ここから海が見えます/見られます。
  2. 晴れると富士山が見えます/見られます。

これらの例文は、「見える」「見られる」のどちらも使うことができます。2.、3. は、「ここから」「晴れる」という条件を付加することによって、「見える状態」になることを表しています。ただし、両者のニュアンスは少し違います。「見える」は、意思に関わりなく対象が目に入ってくる状態だといえます。一方、「見られる」は、話者が「ここから」「晴れる」という条件を作為的にとらえ、可能性として「富士山を見ることができる」と判断したと考えられます。つまり、「見える」は自発的であり、「見られる」は可能性に重点が置かれています。

次の例文を見てください。

  1. 正月、日本では着物を着た女性の姿が見られます。

この文には「正月、日本」と条件がかなり限定されています。話者が作為的に条件を表し、その結果、そのような可能性や機会を持つことができる場合は、「見られる」のほうが自然です。逆にいうと、着物姿を見る条件として、正月や日本が欠かせないということです。しかし、正月や日本という条件をはずし、話者の眼前の様子を述べる場合は、「着物を着た女性の姿が見えます」と言っても不自然にはなりません。

さて、次のような誤用をよく目にします。

  1. (×)街のいたるところにゴミが見えます。

これは自発的なニュアンスを持つ「見える」をそのまま用いたことによる誤用だと考えられます。また、発話意図から考えると「見られる」を用いてもしっくりきません。この文は、「いたるところ」を使っているように、ただ目で感じたことを述べたものではなく、観察をした結果、ゴミがたくさんある、汚いといった判断や心理面も関係するので、「目立つ」や「目につく」などが表現として適切です。

ところで、1. の「よく」は「くっきり」「はっきり」「きれいに」というような意味です。2.、3. に「よく」が付くとどうでしょうか。
「ここからは海がよく見えます」「晴れると富士山がよく見えます」、これらの場合も、1. と同様の意味となります。この時、「見られる」は使えません。

では、「見られる」に「よく」が付くとどうなるでしょうか。例えば、「正月、日本では着物を着た女性の姿がよく見られます」の場合、「よく」は「頻繁に」という意味になります。この時、「見える」は使えません。

「見える」と「見られる」は、中国語に置き換えて対応できる場合もありますが、両者を使い分けるには、日本語からのアプローチが大切になってきます。