こりゃ読めない!難解な名字色々

这可不会读!难念的各种姓氏

ごくたまにではありますが、名刺交換の際に「へ~、珍しいですな~」と感心させられる名字の人と出会うことがありますよね。そこから推測するに、きっとただ 珍しいというだけでなく、読み方すら分からない“難解”な名字の方もいて、挨拶に戸惑った経験のある人も少なくないのでは?

尽管非常稀少,但交换名片时会遇到让人感慨“啊,真少见的姓呢”的人。从这种场面来推测,你肯定不会光是感叹,有不少人遇到这种连读法都不会的“难念”的姓,连打招呼都会迷惑吧?

「そうですね、全国を見渡せば難解な名字を持つ方がたくさんいらっしゃいます。例えば『隣』さん。これは『となり』さんではなく、『ちかし』さんと読みます」そう語るのは名字研究家の高信幸男氏。漢字の意味から連想できなくもないですが、隣と書かれた名刺を見て『ちかし』さんと読める人はそうそういないでしょう。

“说的是,纵观全国,很多人的姓都很难念。比如姓‘隣’的,这可不念‘となり’而是念‘ちかし’”姓氏研究家高信幸男如此说道。虽然从汉字的意思也能做出联想,不过看到名片上写的“隣”字会念“ちかし”的人估计不多吧。

「似たようなケースでは他にもこんな名字がありますよ。『前』と書いて、『すすめ』さん。こちらも文字と読みの関係性はなんとなくわかりますよね。もっと難し い『井』と書いて、『わかし』さんという方もいます。井戸の水を湧かして飲んでいたことがルーツでしょう。あとは『佐』と書いて、『たすけ』さん。こちら は役職名が名字のルーツとなっており、補佐の補の字が取れて、佐だけが残ったパターンでしょう」

“其他姓也有类似情况。比如写成‘前’ 字,而读作‘すすめ’。这个例子在文字和读法的关系性上也倒是能理解呢。还有更难的写作‘井’,而念‘わかし’。估计这是源自过去饮用水井里涌出的水的典 故吧。还有写成‘佐’,而读作‘たすけ’。这个例子则是源自官职名,補佐的補字被去掉了,只留下了佐字”

ほう。どれも初めてでは正しく読めるとは思えない、難解なものばかりですね。では一文字ではない名字には、どのような難解なものがありますか?「例えば『小鳥遊』と書いて、『たかなし』さん。これは鷹がいない場所では、すずめ等の小さな鳥が自由に遊ぶことができるという意味です。トンチが利いているでしょ? では『月見里』と書いて何と読むと思いますか?」

哦。每个例子都让人觉得没法第一次就正确念出来,都很难。那么单姓之外还有哪些难念的姓呢?“比如写作‘小鳥遊’,念成‘たかなし’。这表示在没有老鹰的地方,麻雀等小鸟才能自由玩耍。很讨巧的组合吧?那么,你觉得‘月見里’该怎么读呢?”

普通に読むと、『つきみさと』さんだと思うのですが…分かりません。「これは、『つきみさと』さんではなく、『やまなし』 さんと読みます。月が良く見える里には山がない、つまり、山がなければ月を見るのに適しているという意味 でしょう。また『四月一日』と書いて、『わたぬき』さんというのもあります。こちらは旧暦の4月1日頃に、着物に詰めていた綿を抜いて着たことが関係して います。似たものでは、『八月一日』と書いて、『ほづみ』さん。こちらも旧暦の8月1日頃に稲穂を摘んでいたことが関係していると考えられています」

按常规来应该念“つきみさと”吧……实在不会呢。“这个不念‘つきみさと’,而念‘やまなし’。因为能赏月的地方没有山,也就说没有山的地方适合赏月。还有写成‘四月一日’而读成‘わたぬき’的姓。这是因为 在旧历的四月一日左右,就要把和服里面的棉衣拆出来。类似的还有写成‘八月一日’而读成‘ほづみ’的姓。这也因为旧历的八月一日要开始摘稻穗的缘故”

ちなみに高信氏は、そういった珍しい名字を見つけると、その方に会いに行き、どんな人生を歩んでいらっしゃるのか取材するのだとか。そして、そこで聞ける楽しいお話こそが、珍しい名前を調査することの醍醐味だと語ってくれました。簡単に真似できることではありませんが、ちょっと珍しい名字の方と出会えたら、勇気を出して人生を尋ねてみるのも面白いかも?

顺带一提,高信老师一发现少见的姓,就去会见本人,询问他们的人生经历。而这时候听到的愉快故事才是调查稀少姓氏的乐趣。这种做法不是能简单模仿的,不过如果遇到稍微有些稀有的怪姓,就鼓起勇气去问问对方的人生,这样也挺有趣的不是吗?

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