今晩は。トピ主の晴れると申します。皆さんの昭和の思い出を色々語って頂きたいと思います。色んな思い出がお有りかと思います。

晚上好,我是楼主“晴”,大家来聊一聊昭和的往事吧,我想各位一定有各种各样的回忆。

昭和(しょうわ):大正の後、平成の前。1926年(昭和元年)12月25日から、1989年(昭和64年)1月7日まで。

下町の懐かしき思い出(ヒヨコのピー助)

商业街令人怀念的记忆

小学校の校門あたりでの商売

小学校门口附近的商贩

ヒヨコ売り。竹トンボ。竹の鉄砲。カタの粘土屋。など。ヒヨコは何度も飼ったけどニワトリにまで育ったのは一度もなかったです。

卖小鸡的摊子、竹蜻蜓、竹步枪、粘土店等等。虽然我养了很多次小鸡,不过没有一次能将它们养大。

ウサギは高価で買えませんでしたがミルクセンベにジャムだけあたりならよく食べましたね。古臭い木製の引き出しから魔法のように出てくる食べ物に夢がありました。

虽然因为兔子饼(昭和流行的生肖和果子)太贵而买不起,不过涂了果酱的牛奶煎饼什么的倒是有钱经常吃的。另外,那时候还对从旧旧的木抽屉里变戏法般冒出来的食物充满了幻想。

花粉が無かった、日焼けもできた。(ふー)

昭和年代没有花粉,还能在太阳下晒晒。(ふー)

昭和といえば、ラジオですね。勉強する名目で夜更かし、夢中になって聴いてました。ハガキが読んでもらえると本当にうれしかったなあ。机に向かうとなぜか枝毛が気になったのは不思議ですけど・・。好きな曲が流れると、あわててカセットの録音ボタン押しませんでした?半端で途切れたヒット曲だから、よけいに「名曲感」を増したものです。

说到昭和,就想到收音机啊,经常打着学习的名义熬夜收听。听到主持人读到自己的明信片的时候真的很开心啊。坐在桌前,不知为何特别在意分叉的发梢,真是不可思议哎。放到自己喜欢的曲子的时候,你是不是也曾经急急忙忙按下录音机的按键。而畅销歌曲也正是因为只录了一部分,才更添了名曲的感觉。

誰しも昔はよかったと云うけれど(ホセ・オハーシ)

谁都会说以前比较好(ホセ・オハーシ)

昭和、特に30年代40年代は、今ほど物が溢れていなかったけれど、その足りない分を補うに足りるだけの夢が社会にも個人にも共有されていた時代でした。そして、今は夢を語るには年を重ねすぎた自分自身と将来の夢を喪失した社会があるだけです。そんな時代の変化を思うと、ホント人間って時代の子であると痛感します。

昭和时期尤其是三四十年代的时候,虽然没有像现在这样物质丰富,但不管是个人的梦想还是社会的梦想都满满地弥补了那些缺憾。而如今有的只是,过了谈论梦想年纪的我以及丧失未来梦想的社会。一想起那些时代的变迁,我总会深切感受到,人真的是时代之子啊。

S46年生まれです(NAONAO)

我是昭和46年生的(NAONAO)

母が出かけて父と弟と3人でお留守番の時、普段は絶対に貰えない100円を2人して握りしめ、近所の駄菓子屋にワクワクしながら走って買いに行きましたね。。色々考えて計算して、少しでもたくさん買えるようにって。10円の風船ガムや20円のあんず。20円のすももと30円のすももで悩んだり・・・。懐かしいですね。

以前妈妈出门,我和爸爸弟弟三个人留在家看门的时候,我和弟弟都会得到平时绝对拿不到的100日元,然后欢欣雀跃地跑去附近的点心店。为了买到多一些的点心,哪怕只是多一点点,我们都会绞尽脑汁算来算去,10日元的泡泡糖啦, 20日元的杏子啦,有时候还会纠结到底买20日元的李子还是30日元的。想起来真令人怀念啊。

中学時代、好きな人の家に黒電話で電話するときのドキドキ感。今でも、その時の気持ちを思い出して甘酸っぱい気持ちになります。黒電話のベルの音、「ザ・電話」って感じで今でも好きです。

中学时期,用黑色老式电话给喜欢的人家里打电话的时候,心会怦怦跳个不停。现在回想起那时候的心情,也还是会有酸甜酸甜的感觉。老式电话的铃声直到现在依旧喜欢,这才算真正的电话啊。

昭和は遠くなりにけり(昭和43年)

昭和渐行渐远(昭和43年)

宅配や郵便などの届け物が不在の場合、ご近所の方に預かってもらうというのが私の地域では当たり前でした。不在配達票に「○○さん宅に預けました」と書かれており、帰宅後母と一緒に引き取りに行ったものです。向こう3軒両隣以上の良いご近所付き合いが存在していました。時間の流れがゆっくりで、人間同士がもっと信頼し合っていた良い時代だったと思います。

以前在我们那儿,宅急送或者邮政派送东西到家遇到没人的时候,拜托邻居代为保管是很正常的事儿。他们会在投递通知单上写“○○家代收”,我回家后便会跟母亲一起去取。那时候,左邻右舍关系都很好。现在想来,昭和是个日子过得很慢,人与人之间更能相互信任的美好年代。

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