さて、改めて 「邦~」 の分析である。

接着,再来分析“邦~”。

「邦~」
【邦 - 洋 の対応関係】
邦画 - 洋画
邦楽 - 洋楽
邦舞 - 洋舞
 
【「外国」 に対応】
邦貨 - 外貨
邦人 - 外国人
邦船 - 外国船
 
【言語関係】
邦語 - 外国語/英語/仏語など
邦字 - 外字/英字など
邦文 - 英文/仏文
邦訳 - 外国語訳/英訳など

「邦画」「邦楽」「邦舞」など、「洋~」に対応するところは「和~」と似た意味合いだが、上記で指摘したとおり、「邦~」の方には情緒的な「ノスタルジー」感覚が希薄だ。あるとすれば、長く外国暮らしをして、日本を懐かしんでいるといった人だろう。

如“邦画”“邦楽”“邦舞”等,跟“洋~”类词汇对应的地方与“和~”类词汇意义有着相合之处,正如前文所述,“邦~”在情感上的“怀旧情调”较为薄弱。就算有,也是长期旅居外国而怀念日本的人吧。

「邦楽」(*注)「邦舞」は、今でこそ伝統的な情緒性があるかもしれないが、少なくとも、この言葉ができた時代では、違っていた。そこら中に清元や長唄や小唄や三味線のお師匠さんがいて、「踊り」といえば「日舞」だったのである。だから、新参のピアノやバイオリンや、バレーなどと区別するために、あえて 「邦楽」「邦舞」と言ったのだろう。

“邦楽”“邦舞”等只有在如今才会有传统式的情感,至少在这些词语产生的时代,给人感觉是不同的。这当中包含清元、长歌、小歌和三味线艺人,说到“跳舞”的话过去叫“日舞”。为了跟后来的钢琴、小提琴和芭蕾等区别开来,转而称之为“邦楽”“邦舞”。

(注)最近の音楽業界では、「邦楽」というのを「日本人が作った曲」という意味で使っており、宇多田ヒカルもモー娘もみな 「邦楽」 に分類されているが、ここでは、日本古来の音楽という意味で使っている。

最近的音乐界说“邦楽”用于表示“日本人作曲”,于是宇多田光和早安少女都被归类在“邦楽”范畴,我们这里则是用于表示日本旧时的音乐。

その意味では、「邦貨」、「邦語」と同様に、「外国」のものと単純に区別しているだけ(だった)と言っていい。

在此意义上,与“邦貨”“邦語”相同,可说只是单纯为了跟“外国”的东西区别开。

また、「和」と「邦」の両方が使われるものにおいては「邦~」の方がややヘビー、あるいはオフィシャルなニュアンスで使い分けられている。

此外,同时可用“和”“邦”两种的东西,“邦~”的意思更加僵硬,或多用于更加正式的场合。

例えば、「邦文」の方が 「和文」より公式文書的ニュアンスが強い。「邦船」は「日本船籍の船」だが、「和船」は「日本式の船」である。また、「邦訳」の方が「和訳」よりずっとヘビーで、かなりまとまった文学作品などの翻訳を意味する。

比如,“邦文”比“和文”公文的含义更强。而“邦船”指“日本籍的船”,“和船”则是“日本式船只”。此外,“邦訳”比“和訳”更加正式,表示相当正规的、文学作品等的翻译。

ざっと大づかみに言ってしまえば、“「和」 は情緒的、「邦」 はオフィシャル・即物的” と言っていいような気がする。

粗略说来,“和”偏重于情感性,“邦”则更正式,有就事论事的感觉。

例外は言語学関係の言い習わしで、「日本語」とはいうものの、辞書の世界では 「英和 - 和英」「仏和 - 和仏」 となり、「日英」「日仏」などは滅多に使われない。多分、それをいうと、国際関係の事項と紛らわしくなるためだろう。

例外的只有语言学上的习惯用法,我们平时说“日语”,可在字典上,却都是“英和 - 和英”“仏和 - 和仏”之类,几乎不会用“日英”“日仏”等说法。估计这样会使国际关系条目说明变得混乱吧。

同様に、「和製英語」とは言うが、「日本製英語」とは言わない。工業製品でもないものに 「日本製」 は使いにくいだろう。

同样的,我们说“和製英語”,却不说“日本製英語”。由于不是工业品,用“日本製”很奇怪吧。

「和」と「邦」の系譜以外に、「日」あるいは、もろに「日本」というのがあって、実はこれが案外多い。しかし、そこにもやや違いがあって、「日~」の場合は、「邦~」ととてもよく似たニュアンスで使われているのに対し、「日本~」はやや格式張って伝統を意識している。

在“和”与“邦”的系谱以外,还有“日”及无处不在的“日本”词汇,这一类其实还挺多。不过,其中又有些不同之处,“日~”类词汇用法上跟“邦~”类感觉非常相似,而“日本~”稍带条条框框的感觉,让人想起传统。

同じ伝統意識でも、「和~」 と言うと、情緒的な伝統文化のニュアンスだが、「日本~」 は民族性と格式が加味されているようだ。

同样具有传统意识,可说“和~”的时候,感觉更加偏重情感上的传统文化,“日本~”则增加了民族性与礼法性。

例えば、「手拭い」は言うまでもなく日本的なもので、本来は、わざわざ「日本手拭い」などと言う必要がない。それに対応する言葉がないのである。無理に言えば「タオル」 だ。つまり、わざわざ 「日本手拭い」と言う場合、民族的な伝統文化がかなり意識されている。

比如“手拭い(布手巾)”不用说都知道是日本式的东西,所以根本没有必要加个限定称其为“日本手拭い”。也没有与之相对应的外来语,硬要说的话只能是“タオル(毛巾)”。也就是说,专门说成“日本手拭い”的时候,是着重强调民族传统文化。

「日本刀」「日本間」「日本料理」などでは「格式」が意識される。「刀」はなまくらでもいいかも知れないが、「日本刀」は何らかの銘が入っていなければならないような気がする。「和室」はさえ敷いてあればいいが、「日本間」と言うと、ちゃんと床の間がついている。「和食」は家庭料理でもいいが、「日本料理」というと板前さんが登場する。

“日本刀”“日本間”“日本料理”等让人不由得意识到日本旧有的礼法。“刀”给人的感觉比较钝,而“日本刀”就给人一种有格调的感觉。“和室”只要铺了榻榻米就算合格,而说到“日本間”则肯定是附有壁龛的。“和食”的话一般家常菜也能叫和食,可“日本料理”就有种大师掌厨的含义了。

ちなみに、「国(こく)~」という流れがある。「国語」はほとんど学校の世界でしか使われないが、「国史」 「国学」は、ナショナリズムっぽい感覚がある。

顺带一提,还有一类是“国 (こく)~”。“国语”几乎只用于学校的课程,“国史”“国学”则给人一种专业的感觉。

余談だが、「和式 - 洋式」 というと、ほとんどトイレの世界の話にしかならないというのがおもしろい。

再说点题外话,“和式 - 洋式”几乎只用于洗手间的样式,这点挺有意思。

それから本題からは外れるが、香港では 「日本流の」ということを 「日式」と表現するようだ。最近は行ってないので、少しは変わっているかもしれないが、問題は「日式○○」という看板を掲げている店は、大抵怪しげな雰囲気に満ちていることである。彼の地における日本のイメージを窺わせるに十分な雰囲気である。

再来就有点离题了,据说香港用“日式”来表示“日本风格”。最近我没去过,估计又有些变化,可问题在于顶着“日式XX”招牌的店大多都充满着怪异的氛围。足够让你在他乡窥略日本万象风情。

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