型破りなお坊さん

●没型的和尚

一休さんは奇行で有名でした。お坊さんでありながら飲酒・肉食なども平然と行い、肖像画からも分かるように剃髪もしていませんでした。お正月にドクロのついた杖を持って街を練り歩き、「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」と語ったなど、様々なエピソードが残されています。

一休以其奇特行为闻名。作为和尚仍无所顾忌地喝酒吃肉,从其肖像画也能看出,他也没有剃发。他还曾在新年一边拿着带骨髅的拐杖在街上缓步前行,一边吟唱 “门松乃通向冥土之旅一里塚,可喜可贺兮,无可喜可贺。”(大意:门前的松树贺年装饰,标志着向黄泉之路迈进了一步,既可喜可贺,也没什么可喜可贺)像这样的故事很多。

一方で権威主義に走る宗教界を徹底的に批判し、常に庶民の側に立って行動していたと言われています。80歳のときに勅命により応仁の乱で荒廃した大徳寺復興を任されるのですが、一休さんのためならと武士、商人、茶人、庶民と各方面から続々と寄進があり、5年後には法堂が落成しました。

另一方面,他彻底批判走向权威主义道路的宗教界,言行常常站在平民一边。一休80岁接受天皇御旨,被委以复兴于应仁之乱中荒废了的大德寺的任务,因为他的缘故,武士、商人、茶道界人士、平民等各界人士不断捐献财物,5年后法堂落成。

また様々な歌・句も残しています。

另外,他还留下了各种各样的和歌、俳句。

「花は桜木、人は武士、柱は桧、魚は鯛、小袖 はもみじ、花はみよしの」
「南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ」
「秋風一夜百千年」(秋風のなかあなたと共にいる。それは百年にも千年の歳月にも値するものだ)

“花数樱木,人数武士,柱子应该用桧(日本扁柏),吃鱼要吃鲷(加级鱼),小袖和服图案要用红枫,花还是吉野的最美”
 “南无释迦、娑婆(俗世)、地狱、苦、乐,这个那个,真是愚蠢”
 “秋风一夜百千年”(秋风中与你同在。这样的夜晚抵百年千年岁月。)

アントニオ猪木さんの「この道を行けば~迷わず行けよ、行けば分かるさ」も、元々は一休さんの言葉だとする説もあります。

 “要走这条路就不要迷茫,走下去才会了解”据说安东尼奥猪木的这句话原本也是一休所言。

一休さんからの伝言

●来自一休的留言

さて最後に、長年続く経済の停滞や、震災・放射能で満身創痍の現在の日本をまるで見通したかのようなエピソードがあるのでご紹介します。こちらのサイト[一休の生涯]からの引用です。

最后为大家介绍一则故事,这个故事好像预见了因常年经济停滞和震灾、放射能而满身疮痍的当下日本。引用自网站“一休生平”。

一休は他界する直前、「この先、どうしても手に負えぬ深刻な事態が起きたら、この手紙を開けなさい」と、弟子たちに1通の手紙を残した。果たして数年後、 弟子たちに今こそ師の知恵が必要という重大な局面が訪れた。固唾を呑んで開封した彼らの目に映ったのは次の言葉だった——「大丈夫。心配するな、何とかなる」

一休圆寂前留给弟子们一封信,告诉他们“之后如果发生不能控制的严重事态就打开这封信”。结果几年后弟子们觉得需要师父的智慧时,屏息打开了这封信,映入他们眼睛的是这样一句话: “没关系。别担心。总会有办法的。”

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