英国のウィリアム王子とケイト・ミドルトンさんがきょう結婚式を挙げる。慶事の記事を読みながら皇后陛下の詠まれた歌が胸に浮かんだ。〈かの時に我がとらざりし分去(わかさ)れの片への道はいづこ行きけむ〉。戦後50年が過ぎた年の一首である

英国的威廉王子和凯特·米德尔顿小姐将于今日举行婚礼。翻阅着婚典的相关报道,脑海中浮现出美智子皇后陛下咏诵的一首和歌。“曾经错过的人生岔路,又将通向何方。”这是战后50周年时皇后陛下作的一首和歌。

つたない解釈を加えるなら、「あの時に選ぶことのなかった分かれ道片方は、どこへ通じていたことでしょう」となろうか。人生一般の感慨とも読めるが、民間から皇室に入られた皇后さまの作と思えば、味わいはひとしお深い

若要附加一个拙劣说明的话,其意大概就是“当初未曾选择的那条人生岔路,将会是通向何方的呢?”虽然可以解读为人生的普通感慨,但想到这是由民间嫁入皇室的皇后的作品,其意味就愈发深长。

ケイトさんも「庶民の王室入り」で、英国内は祝福の声がしきりだという。今も階級意識の強いお国柄だけに格好の話題らしい。報道は過熱ぎみ、経済効果の試算は840億円と聞いて、半世紀前のミッチーブームを重ね合わせる方もおられよう

凯特小姐也是位“平民王妃”,据说英国国内对其的祝福之声不绝于耳。正因为英国如今仍保留着强烈的等级意识,所以这场婚礼备受瞩目。媒体的报道有些过热,听说预计会产生840亿日元的经济效应,估计还有很多人将其与半个世纪前的美智子热潮相提并论。

1993年の6月のこと、欧州取材の機上で隣席の英国紳士に「日本から?」と聞かれた。イエスと言うと「おめでとう」と握手をされた。戸惑っていると「ロイヤルウエディングだよ」。皇太子さま、雅子さまを祝してくれたのだった

1993年6月,在前往欧洲采访的飞机上,邻座的英国绅士问我“你是从日本来的?”。我回答“是的。”随即他说了声“恭喜”并和我握手。正当我疑惑之际,他又说“我说的是皇室婚礼啊。”原来他是在祝福皇太子与雅子小姐喜结连理。

自国、他国を問わず、英国人は「王室ずき」だ。総批評家と言われ目は肥えている。喝采がブーイングに変わりやすいのが、かの王室の宿命らしい。新婦には、甘いばかりのシンデレラ物語ではない

无论是本国皇室还是他国皇室,英国人还是非常“喜欢”的。被称为全民批评家,有着极强的鉴赏力。喝彩容易变成倒彩,这似乎是王室的宿命。对于新娘而言,这并不是一个只有甜蜜的灰姑娘的童话。

人は誰も、ありえたかも知れない別の人生を「分去れ」のかなたに見送って歩んでいく。ケイトさんもまたしかり。王子と2人、手を携え合う前途を、遠くより祝福申し上げる。

无论是谁,在人生的道路上,都会目送着那曾经可能拥有的别样人生路而走向未来。凯特小姐亦然。我们从遥远的异国他乡献上祝福,希望她与王子两人能携手到老。

相关背景解释:

ミッチー・ブームとは、正田美智子(当時)が1958年(昭和33年)から1959年(昭和34年)にかけて、日本の皇太子・明仁親王(当時)と婚約して結婚することにより生じた社会現象。民間人である美智子が、皇太子の「テニスコートでの自由恋愛」により結婚に至ったこと、美智子がカトリックのミッション系大学出身者であったことなどをマスメディアが報道し、大きな話題となる。これを契機にテレビが普及するなど、戦後日本の経済、ファッション、マスメディアなどの領域で、社会に大きな影響を与えた。

美智子热潮:是指1958年(昭和33年)到1959年(昭和34年)间,正田美智子与日本皇太子明仁亲王恋爱结婚而产生的一种社会现象。当时,媒体舆论对平民出生的美智子和皇太子经由“网球场自由恋爱”到结婚、美智子在教会大学毕业等事大肆报道,成为当时的热门话题。由此为契机不但电视得以普及,也给战后日本的经济、时尚、媒体宣传等领域产生了巨大的影响。

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