日本刀与尚武精神

日本刀的远祖是我国的唐刀。中原高超的冶炼技术传至东瀛并延续至今,历经数代刀匠的呕心沥血,如今作为世界三大名刀之一誉满天下。在日本文化中,日本刀是男人们的灵魂,冲锋陷阵时是杀敌之利器,以死谢罪时是自刎之绝刃,命数耗尽时是灵魂之归宿。盛唐的锻造绝技在东瀛发挥到极致,寒光凛冽的日本刀为阴柔的日本文化带来刚烈的尚武精神,成为大和民族的一种象征。武士刀的实用性与美观性于世罕有,若论其个中翘楚,便不得不提"天下五剑"。虽说这五把名刀姿态来历各不相同,但均作为国宝级名刀而广为人知。今天就让我们来欣赏一下传说中的"天下五剑"。

童子切安纲

童子切安綱(どうじぎりやすつな)
平安時代の刀工安綱の作。日本の国宝に指定されている。
清和源氏の嫡流である源頼光は、丹波国大江山に住み着いた鬼、酒呑童子の首をこの刀で切り落としたという。「童子切」の名はこの伝説に由来し、1719年、江戸幕府八代将軍、徳川吉宗が本阿弥光忠に命じて作成させた、『享保名物帳』にも"名物 童子切"として記載されている。現在は東京国立博物館に所蔵されている。

童子切安纲
平安时代的刀匠安纲之作。被指定为日本国宝。据传说,清河源氏的嫡系源赖光用这把刀取下了住在丹波国大江山的恶鬼、酒吞童子的首级。"童子切"之名由此而 来。1719年由江户幕府第八代将军德川吉宗命本阿弥光忠编著的《享保名物帐》中,也有"名物 童子切"的记载。如今藏于东京国立博物馆。

三日月宗近

三日月宗近(みかづきむねちか)
平安時代の刀工三条宗近の作。日本の国宝に指定されている。「天下五剣」の中でも最も美しいとも評され、「名物中の名物」とも呼び慣わされた。足利将軍家の秘蔵の名刀として継承され、1565年、永禄の変の後に戦利品として三好政康の手に渡ったとされ、政康から豊臣秀吉に献上された後、豊臣秀吉の正室高台院(寧子)が所持し、その後遺品として徳川秀忠に贈られ、以来徳川将軍家の所蔵となっていた。現在は東京国立博物館に寄贈されて所蔵されている。

三日月宗近
平安时代的刀匠三条宗近之作。被指定为日本国宝。被评为"天下五剑"中最美的一把,常被称为"名品中的名品"。原作为足利氏私藏宝刀传世,1565年永禄之变后作为战利品传至三好政康之手,政康将其献给丰臣秀吉之后,为丰臣秀吉的正室高台院(宁子)所有,随后作为遗物赠予德川秀忠,之后藏于德川将军家。现已捐赠给东京国立博物馆保存至今。

鬼丸国纲

鬼丸国綱(おにまるくにつな)
鬼丸は皇室御物とされている。「太平記」によると、北条時政が毎夜毎夜、夢の中に現れる小鬼に苦しめられていた。ある夜、夢の中に老翁が現れ、「自分は太刀国綱である。ところが汚れた人の手に握られたため錆びてしまいから抜け出せない、早く妖怪を退治したければ早く自分のを拭い去ってくれ」と言った。早速国綱を手入れし部屋に立てかけておいたところ、国綱が倒れかかって、火鉢の台に施された細工の首を切り落としたという。それ以来時政の夢に小鬼は現れなくなった。この事件によりこの太刀を「鬼丸」と命名したといわれている。

鬼丸国纲
鬼丸被视为皇室宝物。据《太平记》记载,北条时政每夜都被梦中出现的小鬼所扰。有一天,梦中出现一位老者,说:"吾乃太刀国纲。然被不洁之人所有,以至生锈出鞘不得。若欲早日除妖,则需速除吾身之锈"。据传北条迅速找到国纲,把它立在屋里时,国纲横倒,切下火盆台装饰纹样的首级。从那以后时政的梦中再也没有小鬼出现过。这把太刀也因此被命名为"鬼丸"。

大典太光世

大典太光世(おおでんたみつよ、おおてんたみつよ)
日本の国宝に指定されている。平安時代後期の筑後の刀工典太光世の作。大典太は足利将軍家の家宝であったが、足利家の没落により流出し豊臣秀吉の所有となった。その後、豊臣秀吉から前田利家に贈られたとも、豊臣秀吉が徳川家康に贈り、徳川秀忠から前田利家に譲られたとも伝えられる。以降、前田家第一の家宝として代々伝えられた。現在は前田家に伝わった文化財を保存管理する「前田育徳会」が所蔵している。

大典太光世
被指定为日本国宝,由平安时代后期筑后的刀匠典太光世所作。大典太本为足利将军的传家之宝,因足利氏败落流出为丰臣秀吉所有。之后又由丰臣秀吉赐予前田利家,或云丰臣秀吉赐予德川家康,德川秀忠又让渡于前田利家。随后作为前田家的第一家传之宝代代相传。如今藏于从事保存管理前田氏文物的"前田德育会"中。

数珠丸恒次

数珠丸恒次(じゅずまるつねつぐ)
日本の重要文化財に指定されている日本刀である。平安時代の刀工、青江恒次の作とされる。日蓮が所持していたとされる太刀で、日蓮が甲州身延山へ入山したとき、護身用として信者から贈られたと伝えられ、柄に数珠を掛けていたことからこの名が付いたとされる。日蓮没後は他の遺品とともに身延山久遠寺に保管されていたが、享保年間に行方不明となった。1920年ごろ、ある華族の所蔵品の競売にかけられた物件の中から再発見し、本興寺に寄進され、現在も本興寺が所蔵している。

数珠丸恒次
数珠丸被指定为日本重要文化遗产。由平安时代的刀工、青江恒次所作。据传为日莲所持,是日莲隐居甲州身延山时,由信徒相赠以作护身之用的太刀。因其刀柄曾挂有佛珠而得名。日莲圆寂后与其他遗物一同保存于身延山久远寺中,享保年间去向不明。1920年,在某贵族藏品拍卖会上再次发现,后捐赠于本兴寺,如今也藏于本兴寺。

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