日语文学作品赏析《すっぽん》
このほど、御手洗蝶子夫人から、
『ただいま、すっぽんを煮ましたから、食べにきませんか』
と、言うたよりに接した。
一体私は、年中釣りに親しんでいるので、いつも魚の鮮味に不自由したことがない。殊に爽涼が訪れてきてからは、東京湾口を中心とした釣り場であげた鯛、黒鯛、やがら、中
また、川魚では初秋の冷風に白泡をあげる峡流の奥から
すっぽんの
『こんなのなら、物欲しそうな顔などするのではなかった』
と、悔やんだのである。そんな古い記憶があったから、その後長い間、すっぽんの食味に興を
『なるほど』
と思った。
それに味をしめて、それからは東京であっちこっちとすっぽん専門の
二
そんな訳で東京にいては、すっぽんのことを全くあきらめていた。ところが、四年ばかり前であったか、偶然御手洗邸を訪れると、主人と相対する晩酌の卓上に、すっぽんの羮の鍋が運ばれた。碗の縁を啜って、口腔に含むとその媚、魔味に似て酒杯に華艶な陶酔を添えるのであった。上方の料理には不自然な調味が加えてあるのであろうが、それは求め得なかったすっぽんが持つ
主人に説を聞くと、このすっぽんは豊前国
それから後、御手洗邸へ豊前国からすっぽんがきた話を聞かなかったのであるが、関西へ旅した時とか、すっぽんの話が出るたびに豊前国のすっぽんを思い出さぬことはなかったのである。
ところへ、このたびの便りである。私は、喉に唾液を
このすっぽんは、二、三日前、父君重松代議士が郷里豊前国柳ヶ浦から
父君重松氏の家では、代々すっぽん料理が好きであった。邸内に泉水を掘り、すっぽんを蓄えている程である。であるから、蝶子夫人は娘の時代から父君に指図されて、すっぽんの割烹に経験を積んできた。妹の美代子夫人が、これを学ばぬはずはないのである。さりながら、夫人の腕で一貫目の大すっぽんを裂き得たとは、ほんとうに敬服の外はない。
すっぽんを割烹する法は、いろいろあろうけれど東京風に、すっぽんに絹の端を
三
こうなれば、どこを掴んでもよろしい。首を下に逆さにすると、切り口から血が流れ出る。そして、傍らの釜に
そして、包丁を甲羅のまわりの柔らかい縁に丸く回すと、甲羅がぽっくりと取れる。内臓が、そっくりそのまま腹の甲にのって
首も尾も四肢も、肉も臓も適宜の大きさに刻んで鍋に入れる。もし、裂いたすっぽんが一貫目位のものであったらこれに水四升ほどを注ぎ込んでよろしい。それから、炭火にかけてとろとろと四時間位煮る。こうして四升の水が半分以下に煮詰まった時、火から下ろすのであるが、もうその時は、すっぽんの
つまり、これがすっぽんのスープだ。けれど、これに味付けをしてしまったのでは、汁が濃粘に過ぎて舌への刺激が強く、味覚が
料亭の調理には鰹節、昆布、味の素、鶏肉スープなど加味するのがあるけれど、そのような補助味を用いると、すっぽん本来の風味を消して烹調の法に
煮こごりが素敵である。晩秋から冬へかけて、すっぽんの羮を一夜置くと翌朝は煮こごりとなっている。これは、酒の肴として絶品の称がある。夏の間でも、冷蔵器に入れて一夜置けば同じことだ。また、佃煮にこしらえるのもよろしい。肉と臓腑と頭、手、足、甲羅の縁などを細かく刻み込み、これに
私が杯を傾ける間、蝶子夫人はこんな風に細々とすっぽんの割烹について語った。そして最後に、父が豊前国から持ってきたすっぽんは、まだ二宮の家に二匹飼ってある。都合がよかったならば、出かけて行って一度見ておいては
四
翌朝、私は二宮邸へ出かけて行った。ちょうど、重松代議士がいて裏の井戸端の大
二匹とも、四百匁位。何れも雄であったから盥の中で喧嘩して互いに噛み合い、甲羅の裾の柔らかい縁に噛みついた傷がいくつもできている。
――この二匹のすっぽんは、きのう料理した大すっぽんと共に僕の居村豊前国柳ヶ浦を流れる駅館川の上流安心院村の漁師が捕ったのを買ったのである。すっぽんを捕るには二つの方法がある。その一つは、水底の崖穴に棲むのに手をさし込み、手捕りにするのであるが、これは余程上手にならなければ捕まらない。他の一つは鯰や鰻を釣るのと同じような置き鈎をかけるのである。餌は大きな
すっぽんは暖国を好むものと見えて、四国、中国、九州地方に多い。関東から東北地方へかけては、昔からまことに数が少ないのである。九州には至るところに産する。けれど、僕の村の駅館川に産するのが一番上等とされている。背の甲が
北九州から、中国方面に産するすっぽんは、少し背の模様が違う。背の甲に灰色の丸い斑点が散在している。これは、金色のすっぽんに比べると味が劣る。朝鮮から満州方面のものは、背に白い筋があって、誰が見てもこれは内地のものと違うのが分かる。背中の模様から考えると、北九州と中国産のすっぽんは朝鮮、満州のものと縁が近いように思えるが、太古日本と大陸とは地続きであったことを、これが物語るのではあるまいか。
朝鮮と満州産は内地のものにくらべると、素敵に味が劣って価値も半分もしない。いま市中のすっぽん料理店で使う品はこの大陸産のものか、養殖ものであるから、おいしいすっぽん料理が容易に口に入らないのは当然である。僕は、若い時からすっぽんが好きで、土地の漁師が捕ってきたものは時季を選ばず買っているが、数多くとれた時は、庭の池へ放して活かして置いた。
ところが、すっぽんは逃げるのが上手で、雨の降る夜など庭から這い上がり川の方へ出てしまうので、大分損を見たことがある。また、卵を孵化させて小さいのを飼ってみたが、これも大部分逃げられてしまった経験を持っている。すっぽんは、まことに育ちが遅い動物である。卵から生まれた時は五、六匁位で、百匁位に育つには三、四年、二百匁位になるには五、六年もかかろう。だから一貫目前後の大物は、十数年から二十年以上も経ているに違いない。
五
春四月ごろ、冬眠から眼覚めたすっぽんは、間もなく交尾期に入り、七、八月の炎暑に産卵する。川に続いた岡の砂地へ這い上がってきて、自分で砂を掘り穴をこしらえて、そこへ卵を産むと穴に砂をかけて川へ帰って行く。卵は日光に照りつけられ、その熱の作用によって自然に孵化するが、生まれた一銭銅貨位のすっぽんは一両日穴の中に
このほど、宮城のまわりの堀渫いをした時に数匹のすっぽんが網に掛かってきたのを見ると悉く爪の先が鋭くとがっていたというが、これはお堀の底が、泥であるのを物語っているのである。そして、すっぽんは卵を産んでから後は、十月の末頃まで川の中で餌をとっていて、晩秋の冷気がくると川の底の砂にからだを埋め、首だけ出して冬眠に入る。
重松代議士は、盥のふちに双手をつきながら、こんな話を長々として、最後に、
『娘共の料理では、大したこともあるまい。明日は、からだが
と、呵々と笑う。随分、腕に自信がある風であった。
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