日语文学作品赏析《日記・書簡》
郡山は市に成ろうとして居る。桑野は当然その一部として併合されるべきものである。村の古老は、一種の郷土的愛から、その自治権を失うことを惜しみ、或者は村会議員として与えられて居た名誉職を手放す事をなげく。
然し郡山の町民は或優越を感じて居るらしい。今日来た郡山の新聞記者は、明にその傾向を語ると共に、そう云う一つの変動が起った場合に余波を受けて起る箇人的野心、或は、人間の本能的功名心を示して居る。
彼は、政治記者である。
彼の云うところによると、市に大字桑野として編入されることは、朝鮮と同様、市の多勢に実権を握られて居る以上已を得ないことでありましょう。然し、已を得ないと云うような言葉はつまり、弱者の云うことで――実際、此のサクバクたる農村が、郡山と同様の地租その他を負担させられると云うのは可哀そうなことです。
「でも、地価や何かがあがるから少しは今とは違うでしょう。
「いやそうです。然しですな地価が上ったからと云って、農民には直接収入の増加とはなりません。従って、実力以上の負担を負うのは気の毒ながら何とかして町との均衡を保つために一つ私の考える事、持論があります。
ちっと話が大きくなりますが」――彼は大鉢の縁で煙草の灰を叩き落した。
「つまり此の大神宮を昇格させようとする事なのです。そもそもの始りがです、維新の始、賊軍として、長い間反目されて居た此の東北地方に、尊王奉国の中心として大神宮を建てたらよろしかろうと云う有難い大御心から、わざわざ伊勢大廟の分祠として祭られたものなのですな、それを斯のように荒廃にまかせて置いてよいものなのかどうか――と斯う考えました。それで町の有志ともはかって、十万円ばかりの
四月二十七日
今日大学の大通りを散歩して、計らずも、久しい間求めて居たリビングストン伝を見出す事が出来た。
早速その序二三頁を読んで、自分の心は云い知れぬ感激に打たれた。
人間の生活は、何と云う妥協を許すものだろう。
自分は、誠実の欠乏を、その恥に堪えないまでに思い知らされる。ヒシヒシと、百打ちの鞭打を加えられるような心持がする。
自分は何を知ったと云えるのか、
此の曖昧な甘い自分は、文学に、何を創ろうとして居るのか、
眼覚めよ、憐れなる我が心、
真実のみに人は動かされる。より真なるもの、よき真ならんと努力する者の心を視た時、人は僅かな解怠心をも恥じずには居られないのだ。
自分は甘い落付きを厭う。それを厭う自分である事を自覚することによって第二の甘さに堕そうとする。恐ろしいことではないか、自分の此から書こうとする黄銅時代は、更に甦り、強められた自責の念と、謙譲な虚心とによって書かれなければならないのだ。
四月二十八日
今日、福井の方から転送されて来た国男の手紙を見る。
自分は、自分の愛する者を一人をも、真に幸福に仕てやる力は持たないのだ。小さい、小さい箇人の力――自分は彼を思うと、陽気に自分の幸福を讚美したり、楽しさに有頂天に成っては居られない心持に成って来る。私が、何としても、自分が健康で、活気に満ちて、生活に対する意力を感じて居るのは事実である。その明快な自分を傍観する彼は、如何に私が幸福だからと云って、自分をも亦幸福にする事は出来ないのだ。
どんな心持で、私は、愛する者と
愛する者よ、自分は又、自分の殆ど不可抗の無力を
四月二十八日午前二時
我が六畳の書斎にて記す。
(彼は静に隣室に眠って居る)
此の日は、自分に、一生の運命の或決定的な転向を暗示した時である。
人生観の裡に含まれた、多くの曖昧さ、其等は皆、所謂よい家庭の習俗と、甘い、方便に安んじ得る妥協的な利己から来て居たものが、明かな光に照り出された。
自分が、彼との結婚を宣言した時、既に覚悟した、その覚悟が心に甦る。
人としての彼を選んだ自分は、人として、彼並びに自分を活さなければならないのだ。
――○――
彼が帰朝以前から問題に成って居る、分家問題は、此の二三日に於てそのクライマックスに達した。
親達の意見は、物質的に保障のない、社会的に位置のない彼を
二人は、彼等の死後、或は生前も、物質的保護を受けるに正当な位置に置かせようとして、彼の改姓をのぞむのである。
而し彼の心から云えば、その好意に対して、自分は感謝し、法律上改姓しても、仕事、或は今までの知己には、荒木姓を名乗って行きたいと云うのである。
マミは、此を今夜きいて、非常に激された。
「其は荒木さんに都合がよいことだろうさ、けれども、始め、グランパは何と云った、自分は何も無く、何も出来ないものだけれども、全力を捧げて百合ちゃんの仕事を完成させる為に尽す、と云って寄来したじゃあないか、ちゃんと手紙も取ってある。
「手紙がとってある――おかあさま、そんな事もおっしゃるの、私は、真個に、心が痛む、
「だけれども、そうじゃあないか、一体が、始めから私は結婚を許したのじゃあ、ありません。此は、此間も話した事だけれども、家でも斯うやって多勢子供も死に、肉身も少ないのだから、百合ちゃんには養子を取って、分家をさせようと、此那事が起らない昔から云って居たのだ。
「其じゃあ、おかあさまは、養子になれる可能のない人と結婚しようとしたら、御拒みになりますの。
「ともかく一応承諾は経るべきじゃあないか、つまり其人が、真個にお前を愛して居さえすればいいのです。一言で云えば、自分の名なんかどうでもいい、其那ものも捨てる位の人でなければ、お前は愛さないだろうと思って居たのだ。
斯様な問題が繰返された。
一度でも、私が、その物質と交換的な養子問題を、内心或る心にすまなさを感じつつそれに傾いたのが、誤りだったのだと思わずには居られない。
自分達が相互の愛に責任を持った以上、その結果たる生活にも、責任を持つべきであったのだ。
自分の愛は、今少しで、不思議に甘い妥協と家族制度との誘惑に陥る処だった。
「他姓」「他姓」と
此点の決定は、自分を一家のペットとするか、或は又、主義、真理の追従者とするかに別れる。
自分は彼等の愛と、心痛とを明かに感じる事が出来る。然し……心にやましく恥じつつ、仮にも「真」を見出して生きようとする自分の生は続けられない。
考えなければならない。此は空想ではないのだ、自分が呼んだ巨人におびえるのは自分か。
此の問題を決定するまでに、自分はどこか静かな田園に考え場所を求める。
一九一八年十月二十三日〔東京市本郷区駒込林町二一 中條葭江宛 シカゴ(消印)より(“WILL THEY LAST”と記された諷刺絵の絵はがき)〕
此頃のアメリカの新聞は、講和問題で賑って居ります。独逸が潜航艇を皆引上げそうな事を云ったり、平和を要求したりするような顔をするが、実は、羊の皮を着た狼だ、要心しろ! と云うような事をしきりに云って居ります。
一九一八年十二月二日(消印)〔東京市本郷区駒込林町二一 中條葭江宛 ワシントン(消印)より(ワシントン市の国会図書館の写真絵はがき)〕
紐育から来て見ると、ワシントンの静かな事は、まるで音のない国のようでございます。紐育では見たくても見られない大きな古木も並木もあり、人通りも、人気もおだやかで、流石お役人町らしゅうございますが、一
一九一八年十二月五日(消印)〔東京市本郷区林町二一 中條葭江宛 マウント・ヴァーノン(消印)より(Martha Washington の寝室の写真絵はがき)〕
ワシントン夫人の死んだ部屋でございます。屋根裏の小さい、狭い、彼れほどの人の夫人の死場所として、外見はあまりに貧弱でございますが、その只一つほかない小窓は、スロープの彼方の良人の墓を二十四時、彼女の目前に示して居ります。
一九一八年十二月五日(消印)〔東京市本郷区林町二一 中條葭江宛 マウント・ヴァーノン(消印)より(ジョージ・ワシントンの邸宅跡の写真絵はがき)〕
此が全体の景色。
今冬枯れで落葉に満ちては居りますが、広大な場所が、古い記憶に満たされて居る心持は、床しゅうございます。
一九一九年八月二十五日(消印)〔東京市本郷区林町二一 中條精一郎宛 レーク・ジョージ(消印)より(レーク・ジョージの写真絵はがき)〕
此間此山に登ろうとしてグランパと二人で出かけました、が、私の非常に大自慢な健脚は、どうかしてすっかり調子を狂わせてしまった。
三分の一位のところで降参してしまった上に胸まで悪くして、すっかりグランパの信用を失ってしまいました。
私の健脚は平地に限るものと見えます。
一九二五年四月(推定)〔牛込区馬場下町東光館 富澤有為男宛 小石川区高田老松町五九より(封書 書留)〕
原稿を拝見いたしました。
遠慮なく加筆したところもあり、削ったところもございます。何卒あしからず。
「この頃の若いもの云々」の話、率直に申すと、貴方の仰云った憂鬱感に対して主として感じた座談以上のものでありませんからおやめに致しましょう。
それから、ブランクになって居る対話の部、あすこもやめたいと思います。何だか女学世界のようで私の好みに反しますから。
点とりは、生憎非常に多忙なので、ゆっくりあれで遊んで居られません。勝手ですがあのまま御返し申します。二つの大きな消しは御迷惑でも必ず御削除下さい。
とりあえず御返事申上ます。
侍史
一九二七年八月十九日〔京都市上京区小山堀池町一八 湯浅芳子宛 新町より(封書)〕
十九日午前十一時
もやあさん
もう今頃は、万象館で、借浴衣におさまって居る時分でしょう。いかが? 苦楽園の中は狭くるしいところでしょう。どうせ六甲へ行ったらホテルまで登ってしまえばきっと涼しい、大橋房子の涙痕今猶新なり、だろうけれど。――然しこれをもやーさん読むときは、すべて、かったなわけね。過去です。加茂で読むんですものね。
昨夜、汽車の中どう? 涼しかって? ポンポ巻き入れとけばよかったと後で智恵が出ました。眠るときの為に。おなかが又冷えやしまいかしら。私共はあれから渋谷まですぐ省線で来たが、エビスのところで、べこがお文公に小さい声で訊くことには、
「おフーちゃん。家までつめたいもの飲まずにかえれるか」
「ダメ」
「では――うまい! 又ミツ豆へ行こうではないか」
どう? 淋しかったし、つけ元気で、道玄坂の長唄氷まで出かけたという有様です。そこで水瓜をたべ、引茶氷というの、お文公の発起でとったが、この引茶は不味。半分もたべなかった。それから角の本やによって、第一書房のをとって、来月の『アララギ』を一冊とらせる注文をして、玉川電車にのりました。暑く、汗が出る、出る。水瓜の汗故、サラサラ流れる。家へついたのは十時半すぎでした。
風呂へ入って、お文ちゃん先へ床につき、自分蚊帖の外へスタンドを引よせ――妙ね、独りになると、皆あれをするのね――ぼんやり、奇麗な蚊帳を見ながら、長く、長く起きて居た。鼠がひどくあばれる。……
ねえ、もやーさん。今度もやーさん出かけてよかった。昨夜出かけてよかった。私も送りに出かけて行ってよかった。昨夜帰って来てから、心持が大分なおって、元気が出たのを感じました。それに、こんどはまるで一人でないから、やはりそれ丈助り、Bed に横わり乍ら、汽車の窓から頭を出し、扇を振って居たもやーの水色の肩を思い浮べても、苦しい程にはならず懐しく、みーらやで、しんみりした心持です。すべて――スタンドの灯で見る蚊帳も、その白さも、柔らかさも、
今日はこれから竹中さんへ上げる随筆をかきます。その位のもの書くに最も適した心持で居る。
斯ういう紙に書くと、巻紙より沢山かくわけね。若しこれが巻紙であったら、もう長い、長い。もやーさん片手で一杯握り切れない位かもしれません。明日、ヴヴノワさんのところへ一寸行くつもりです。それから、若しまだその気があれば Sitting します。
道玄坂の花やで 虎の尾 を買って来た。日本風な名でしょう、ところが花は西洋くさい花です。
ポンプ、けさもべこが寝て居るうち、出ない出ないとフーちゃん、貞ベエ、話して居た。――今は出るけれども、水倹約の布告を出しました、今日。
〔欄外に〕
○デーニギ
電報が来るまで待って居てよろしい?
私銀行へ若しかしたら行きません。
○リリオム
いいでしょう?
○新興芸術では、チェッコ・スロ□ァキア注目に価すると思った。行きましょうね?
一九二八年九月四日(推定)〔マクシム・ゴーリキイ宛(持参)〕
Наш любимый писатель Алексей Максимович!
Мы две японские писательницы. Приехали в Россию восемь месяцев назад и теперь живем в одной же гостинице с Вами. Нам очень хотелось бы видеть Вас, хотя мы хорошо знаем, как Вы заняты, и очень боимся помешать Вам. Но все‐таки мы очень рады были бы, если Вы уделили бы нам несколько Вашего дорогого времени. Когда Вам удобно.
一九三八年一月十二日(消印)〔市外小金井町一三九二 笹本寅宛 小石川(消印)より(はがき)〕
御年賀をありがとう存じました。なかなか烈風吹きすさぶ新春です何卒御自愛下さい。
一九四三年九月八日〔大森区新井宿一ノ二三四五 高根包子宛 本郷区林町二一より(封書)〕
先日は山からのおたよりありがたく頂きました。お忙しくてもいつも御元気で本当に何よりとおよろこび申しあげます。
わたくしも五ヵ月がかりの問答が一応終り、むずかしい条件も添わず、けりがつきそうでいくらか気が軽くなりました。
巣鴨にチフスが流行して、病舎にいて感染いたし、大心配して居りましたが、これも不正型というので熱が低いまま落付き仕合わせ致しました。
世界の大渦がキリキリと小さな渦巻となって、一つ一つの家庭に波及して参る様はなかなか壮観と申すべきでしょう。
きょうはおかしな小包をお送りいたします。白粉です。南の方に暮して居る人がおみやげに呉れ、パリのブルジョアのもので、いかにも南向きの箱の色どりですし、なかみも会社が会社ですから一向大したものでないにきまって居りますが、それでもまあ気のかわるだけがお慰みと申す次第です。
外側のケースに千代紙なんか貼ってしまって益□妙ですが、これはいつか妹のいたずらで御免下さい。
粉の白粉は変質したりしないでしょうか、その点も自信ございません。万□一パサパサでしたら悪いと気がかりですが、あけては僅の興も失われてしまいますし、こうしてみるとまるで押し花をお送り申すようですね。心ゆるせというばかり。
もうすこし涼しくなり疲れも直りましたら又音楽会でおめにかかれるとたのしみに存じます。十月の定期は短い時間でも聴けるだろうと思って居ります。
何卒よろしくおつたえ下さいませ
八日
一九四七年五月二十七日(消印)〔岡山市内山下四番地 岡山県第一岡山中学校政経部宛 駒込林町より(往復はがき返信)〕
一九五〇年(推定)〔渡辺泰輔宛(封筒欠)〕
校正をおかえしいたします。
直したという以上にたくさんのところを削り、まことに御迷惑をかけました。
辞典類をかきなれないものですから、よみかえしてみると、これ一つで一つの文学史になってしまっているので、大いにカンナをかけ縮少いたしました。大体百二十行以上けずりました。これでまあすこしはものになりましょうか。
よろしくお願いいたします。
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