ある日、友人の紹介で人が来た。客は、わたしをつかまえてさっそく質問を発した。
「先生、料理の根本義についておきかせください」
 そこで、わたしは言下に答えた。
「食うために作ることだ」
 客は物足りぬ顔をしながらまたきいた。
「食うために作ることですか、先生。そんなら、なんのために食うのですか」
「そりゃ生きるためにだ」
「なんのために生きるのですか」
「死ぬためにだ」
「まるで先生、禅問答のようですね」
 わたしは笑いながらいった。
「君がむずかしいことを聞くからだ。料理の根本義について……なんぞいい出すからだよ。もっと、あたりまえの言葉できけばいいではないか。むずかしい言葉を使わぬと、本当のことや、立派なことがきけないと思うているとみえるね」
 客はあわてていった。
「いえ、決して……。では、あたりまえの言葉で伺ったら、先生は本当のことを教えてくださいますか」
「うむ、あたりまえの言葉で聞いたら、あたりまえのことをいってやるよ」
 客は、ここでもまたあわてていった。
「あたりまえのことなら、伺いたくないのです。先生、本当のことをききたいのです」
「あたりまえのことが、一番本当のことだよ。君は、本当のものを見ないから見まちがうのだ。耳は、本当のことをききたがらない。舌は本当の味を一つも知らないから、ごまかされるのだ。手は、あたりまえのことをしないから、庖丁で怪我けがをするのだ」
「分ったようで、分りません」
「そうだ、なかなか、あたりまえのことは分りにくいものだ。いや、分ろうとしないのだよ。ハハハ……。いろいろききたければ、わたしが、近々本を出すから、それを読んでくれるといい。それには、あたりまえのことしか書いてないが、多分、君の聞きたいことがみんな書いてあると思うよ」
「そうですか、ぜひ、読ませていただきます」
 客は帰りぎわに、なにか書いてくれといった。玄関へかけるのだという。そこでわたしは、さっそく客のいう通りに、色紙をとりあげ、筆をもった。
「玄関へかけるのですから」
 客は、念を押して頼んだ。
 そこでわたしは「玄関」と書いて渡した。
「先生、玄関と書いてくださったのですか」
「そうだ」
 客は、まだなにかいいたそうであったが、なにもいわずに帰って行った。
 玄関であっても玄関でないような玄関もある。さっきの客も、入り口だか、便所だか、靴脱ぎだか、物置だか分らぬような玄関を作ったのかもしれない。そうでなかったら、あんなこねまわした質問をするはずがない。さっきの客も、また、その客を訪ねて行く客も、間違わぬようにと思って、わたしは親切に玄関と書いてあげた。
 樹木でも、日陰に植えて育つものを、日向ひなたに植えたり、砂地を好む木を赤土に植えたりしては可哀そうである。それと同じように、料理も、焼けばいちばんおいしいものを、煮てみたり、刺身にすればいい持ち味のものを焼いたりしてはいないだろうか。わたしは先ほど客に、食うために作ることだ、と返事をしたが、食うためにということは、馬や牛が食うためではないはずだ。手のこみ入ったものほどいい料理だと思ってはいないか。高価なものほど、上等だと思っていないか。わたしのいいたいことは、たくさんある。わたしの話すことは、それこそほんの料理の玄関にすぎないかもしれない。だが、諸君、先生をおとなうなら、堂々と玄関より訪れたまえ。そして、無事に玄関を通してもらえたら、すなわち諸君の足で廊下を通って主人に会うて、諸君自身の口でしゃべりたまえ。わたしのこの本は、たとえ玄関より書き得なくとも、玄関をどうぞおあがりくださいと招じあげられたら、諸君は諸君の目で見、耳で聞き、舌で味わいたまえ。そして、諸君の一時的な、アプレゲール的でない頭で考えて、充分に楽しい生活をしてくだされば、わたしの喜びはこれに過ぎるものはない。

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