それはそうと池沼を養成した音楽家エロシンコ君はたしかに一つの事業家であった。彼は本来みずから働いてみずから食うことを主張した。常に女は牧畜をな し男は田を耕すべしと主張して、たまたまごく親しい友達に逢うと彼は邸内に白菜の種を蒔けと勧めた。またしばしば仲密夫人に勧告して、蜂を飼え、鶏を飼え、牛を飼え、駱駝を飼えとさえいうのだ。あとで果して仲密君の屋敷内に群鶏が雑居して庭じゅうを飛び廻り、地面の上に敷かれた美しい錦の若葉を無残にも喙み尽した。たいていこれはエロシンコ君の勧告の結果だろうと思われる。

然而养成池沼的音乐家却只是爱罗先珂君的一件事。他是向来主张自食其力的,常说女人可以畜牧,男人就应该种田。所以遇到很熟的友人,他便要劝诱他就在院子里种白菜;也屡次对仲密夫人劝告,劝伊养蜂,养鸡,养猪,养牛,养骆驼。后来仲密家果然有了许多小鸡,满院飞跑,啄完了铺地锦的嫩叶,大约也许就是这劝告的结果了。

それから田舎者はしょっちゅうやって来て、一遍に何羽となく買ってもらう。というのは鶏は 食い過ぎたり発熱したりしやすく、なかなか長寿を得難いからだ。しかもその中の一羽は、エロシンコ君が北京滞在中作った唯一の小説、「小鶏の悲劇」の中の 主人公とさえなった。ある日の午前、その田舎者は珍しくも小鴨をたくさん持って来てピヨピヨと鳴いている。仲密夫人は要らないと断ったが、エロシンコ君が 出て来たので、彼等はエロシンコ君の両手の中に小鴨を一つ置くと、小鴨は両手の中でピヨピヨと鳴き出したので、とても可愛らしくなって買わずにはいられな くなった。一つが八十文で、一遍に四つも買った。

从此卖小鸡的乡下人也时常来,来一回便买几只,因为小鸡是容易积食,发痧,很难得长寿的;而且有一匹还成了爱罗先珂君在北京所作唯一的小说《小鸡的悲剧》里的主人公。有一天的上午,那乡下人竟意外的带了小鸭来了,咻咻的叫着,但是仲密夫人说不要。爱罗先珂君也跑出来,他们就放一个在他两手里,而小鸭便在他两手里咻咻的叫。他以为这也很可爱,于是又不能不买了,一共买了四个,每个八十文。

小鴨はとても可愛らしい。身体じゅうが松花のように黄ばんで、地面の上に置くとひょろひょろと歩き出し、互に呼び交し、いつも一所に集ってピヨピヨと鳴いている。一同は喜んで明日は鰌を買ってやりましょうと言った。エロシンコ君はその銭は乃公おれが出すと言った。

小鸭也诚然是可爱,遍身松花黄,放在地上,便蹒跚的走,互相招呼,总是在一处。大家都说好,明天去买泥鳅来喂他们罢。爱罗先珂君说,“这钱也可以归我出的”。

エロシンコ君は本を教えに出掛けたので、皆そこを離れた。仲密夫人は鴨に食わせるために冷飯を持って来たが、遠くの方でパシャパシャと水音がしたので、 行ってみると、その四つの鴨が蓮の池の中で行水をつかっていた。彼等はさかとんぼを打ったり、何か食べたりしていたようであったが、彼等が陸へ上ると、池 の中はすっかり濁っていて、しばらく経って澄んだのを見ると、泥の中に何本かの蓮根が剥き出しに見え、その近辺にはもう足の生えたお玉杓子が一つも見当ら なかった。

他于是教书去了;大家也走散。不一会,仲密夫人拿冷饭来喂他们时,在远处已听得泼水的声音,跑到一看,原来那四个小鸭都在荷池里洗澡了,而且还翻筋斗,吃东西呢。等到拦他们上了岸,全池已经是浑水,过了半天,澄清了,只见泥里露出几条细藕来;而且再也寻不出一个已经生了脚的蝌蚪了。

「エロシンコ先生、蟇の子がなくなってしまいました」晩になって彼が帰って来ると、子供等の中で一番小さいのがせわしなく話した。

伊和希珂先,没有了,虾蟆的儿子。傍晚时候,孩子们一见他回来,最小的一个便赶紧说。

「おお?蟇が?」
“唔,虾蟆?”

仲密夫人は出て来て、小鴨がお玉杓子を食べてしまったことを報告した。

仲密夫人也出来了,报告了小鸭吃完蝌蚪的故事。

「おや、おや」
“唉,唉……”

小鴨の黄色い毛が褪せるようになってからエロシンコ君はたちまちロシヤの母親を想い出し、チタに向ってそうそう立去った。

待到小鸭褪了黄毛,爱罗先珂君却忽而渴念着他的俄罗斯母亲了,便匆匆的向赤塔去。

四方の蛙が鳴く時分になると、小鴨は十分成長した。二つは白、二つは斑で、そうしてもうピヨピヨと言わなくなって、ガヤガヤというようになった。蓮池は彼等を入れるにはもうあまりに小さくなった。幸いにして仲密の屋敷の地勢は低地であったから、一度夕立が降ると庭じゅう水溜りになり、彼等は嬉しげに泳ぎ、もぐり、羽ばたきしてガアガアと叫ぶ。

待到四处蛙鸣的时候,小鸭也已经长成,两个白的,两个花的,而且不复咻咻的叫,都是鸭鸭的叫了。荷花池也早已容不下他们盘桓了,幸而仲密的住家的地势是很低的,夏雨一降,院子里满积了水,他们便欣欣然,游水,钻水,拍翅子,鸭鸭的叫。

現在また夏の末から冬の初めに変るところだ。しかしエロシンコ君からは絶えて消息がない。一体どこに行ってるかしらん。ただ四つの鴨があるだけで、それがやはり沙漠の上でガアガアと叫ぶ。

现在又从夏末交了冬初,而爱罗先珂君还是绝无消息,不知道究竟在那里了。只有四个鸭,却还在沙漠上鸭鸭的叫。


(一九二二年十月)