この作は、順序としては私の第四作である。処女作「古い玩具」を大正十四年の春、当時山本有三氏の編輯にかかる「演劇新潮」に発表し、第二作「チロルの秋」を同年秋、同誌のために書き、その翌年の四月であつたか、文芸春秋から、その戯曲号へ三十枚ほどのものをといふ注文を受け、私は嬉しまぎれに、これを転地先の辻堂の海岸で、殆ど即興的に書き飛ばした。文字通り一夜漬けの代物であつて、野心も苦心も自信も大してなかつたといふのが本当のところである。たゞ、その頃の戯曲壇が比較的スケツチ風のものに乏しかつたため、こんなものでも読者の息抜きになるかも知れぬと思ひ、発表の機会を利用したに過ぎないのである。
 望外の好評であつた。前二作がいづれも西洋を舞台としたせいか、これをみて「彼も亦日本人に非ずや」と叫んだ批評家もあるくらゐ、これでどうやら、わが文壇との血縁のやうなものが生じたらしい。この種のフアンテジイに何となく反感をもつ人もゐなくはなかつた――その点、実のところ私は、先駆者のつもりでゐた。新劇壇は表現派ばやりの時代とて、一部では軽薄呼ばはりをする声も聞えたが、似而非深刻の厭味に比してまだしも恕すべきであると自ら慰め、爾来その、「傾向」をやゝ固執する「傾向」にさへ陥らうとした。今なら、こんなものは誰でも書けさうな気がする。いや、誰も書かないにきまつてゐる。思ひ出の作品とは云へるが、これを以て代表作とされるなら、私は恥死するであらう。但し、この集には、これを入れるより外はないと考へた。足跡は足跡なのである。

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