「人間はあした地球が滅ぶとわかっていても、きょうリンゴの木を植えなきゃならないものなのよ。そういうふうに考えて生きていきましょうよ」。乳がんが見つかった後の生活と心境について問われた樹木希林さんの言葉です。テレビや雑誌などに登場した120の言葉を集めた書籍「樹木希林 120の遺言」(宝島社)が28日に発売されます。その言葉の魅力について担当者に聞きました。

“人类是即使知道明天就是世界末日,今天也必须把苹果树种好的动物。让我们这样思考生活,这样去活吧。”这是树木希林被问到查出乳腺癌后的生活与心境时作出的回答。将树木希林在电视与杂志等处说过的120句话整理成书的《树木希林遗言120句》(宝岛社)于1月28日发售。我们采访了本书负责人,向我们讲述树木希林这些句子的魅力。

 

昨年9月に75歳で亡くなった樹木さん。宝島社は翌月29日、生前の言葉を集めた新聞広告を出しました。朝日新聞に掲載された広告では、「あとは、じぶんで考えてよ」というキャッチコピーとともに、こんな言葉が載っています。

树木桑是去年9月去世的,享年75岁。宝岛社在第二个月的29日就在朝日报上刊登了根据其生前名言整理的广告,在“接下来,自己去思考吧”这一标语旁有这样的句子。

『絆というものを、あまり信用しないの。期待しすぎると、お互い苦しくなっちゃうから』

“不要过于信任羁绊这种东西。过于期待的话,反而使双方都变得痛苦。”

『迷ったら、自分にとって楽なほうに、道を変えればいいんじゃないかしら』

“如果感到迷茫了,选择自己觉得轻松的那条路不就好了。”

『えっ、わたしの話で救われる人がいる?それは依存症というものよ』

“诶,有人被我的话治愈了?那是依赖症。”

この追悼広告は新聞やネットニュースなどでも取り上げられて話題に。宝島社には「語録を出版してほしい」といった要望が寄せられたそうです。そうした声を受けて出版されるのが「樹木希林 120の遺言」です。

这一追悼广告被报纸与网络新闻争相报道成为话题。还有人向宝岛社要求“希望可以出版语录”。《树木希林遗言120句》就是在这样的呼声下出版的。

載っている言葉の一例は以下の通りです。

以下是书中的一部分内容。

『本物だからって世の中に広まるわけじゃないのよ。偽物のほうが広まりやすいのよ』(2016年1月、インタビューで、「いいコピーとは? あるいは、いい広告とは?」と問われて)

“并不是真东西就能广泛传播,更多人接触到的反而是假货。”(2016年1月采访中被问到“什么是好文案?或者说什么是好广告”)

『どうぞ、物事を面白く受け取って愉快に生きて。 あんまり頑張らないで、でもへこたれないで』(2018年7月、ニューヨークでインタビューに答えて)

“请寻找万物有趣之处,愉快地生活。不要太过努力,但也不要消极度日。”(2018年7月,在纽约接受采访时的回答)

どのようにして樹木さんの言葉を選んだのか? 担当した宝島社第一書籍局第四編集部の編集長・宮川亨さんに話を聞きました。

到底是如何挑选树木桑说过的话呢?就此我们询问了宝岛社第一书局第四编辑部的主编宫川亨桑。

——この本を企画した経緯を教えてください

——请说明一下计划出版这本书的过程。

弊社の企業広告にご出演いただいたことがご縁となって実現しました。2016年1月に発表した、ジョン・エヴァレット・ミレイの「オフィーリア」をモチーフにした企業広告が大きな反響を呼んだこともあり、カバーはこの写真を使用しています。もともと「ユニークな女優さんだな」と思っていましたが、がんを告白してからも仕事を続ける姿を見て、その「人生哲学」を知りたいと思っていました。

树木桑出演过本公司的企业广告,由此结缘得以最终出版此书。2016年1月发布的以约翰·埃弗里特·米莱斯的《奥菲利亚》为灵感的企业广告,引起了巨大的反响,书的封面就使用了这张照片。本来就觉得树木希林“真是独特的女演员啊”,看到她在公布患癌的消息后还继续工作的身姿,很想知道她的“人生哲学”。

——選ぶにあたって工夫した点は

——在挑选过程中特别注意的是什么

仕事、人付き合い、恋愛、家族、夫婦、子育てなど、人生という長い時間軸におけるあらゆる場面で、老若男女問わず参考にできる言葉を選びました。数ある言葉のなかでも、樹木さんの人生観の本質的な部分が伝わるメッセージを選んだつもりです。

选择了工作、与人交往、恋爱、家人、夫妻、育儿等在漫长人生路中各种要经历的情况中,男女老少皆可参考的句子。想通过有限的句子传达出树木桑人生观中本质的部分。除了句子的选择,本书的设计、句子的字体和显示也有独到之处。为了能让大家瞬间领悟到树木桑所传达的东西,在页面设计上注重留白,并设计文字排版。

最も印象に残った言葉

印象最深刻的句子是

——収録されている中で最も古いメッセージは

——书中收录的句子中年代最久远的是

内田裕也さんと電撃結婚後すぐに、夫婦で雑誌のインタビューを受けた際の言葉です。「週刊明星」(集英社)の1973年10月7日号に掲載されたもので、以下の通りです。

树木希林在与内田裕也桑闪婚后不久,夫妻一同接受杂志采访时说的话。刊登于1973年10月7日号的《周刊明星》(集英社),内容如下。

『ユーヤさんが人のことどうこういうのを聞いたことがない。オレはオレ、テメエはテメエで勝手にやれってなもんでしょう。人の悪口を言ったことがないのよ。そこが好き。男はそれでなくちゃね』

“裕也桑不会去谈论别人如何如何。你管你,老子管老子,你爱做什么做什么,和老子没关系。因此他从不说别人的坏话,我就喜欢这一点。男人就应该这样。”

——編集者として最も印象に残ったメッセージは

——作为编辑来说印象最深刻的句子是

『子供の時に他人と比較する無意味さを知ったので、受賞してもしなくても、何とも思わない』です。これは「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を樹木さんが獲得した時のことを振り返った言葉です。

“因为从小就知道和别人比较是没有意义的,所以不在乎获没获奖。”这是树木希林回顾《东京塔 妈妈和我,有时还有爸爸》获得日本电影学院奖最佳女主角时说的话。

この言葉を軸にして、樹木さんの他の言葉を見ていくと、「人は人、自分は自分」という樹木さんのスタンスが見えてきます 人と比較して「勝った、負けた」という優劣だけで物事を判断するから不幸を感じるのだなと。樹木さんがすごいのは、それを子供の時にわかっていたということですね。

以这句话为核心去理解树木桑说的别的话,就能明白树木桑的想法“别人是别人,自己是自己”。和别人比较后,产生的“我赢了、我输了”这种只凭优劣判断事物的做法,正是不幸的源头。树木桑最厉害的是她从小就明白这个道理。

大人のための人生訓

写给成年人的人生训诫

——編集をしていて気づいたことがあるそうですね

——听说在编辑整理过程中产生了一些感触。

「人生が思い通りにいかない」ことは当たり前だと再認識できました。

“人生不会总如人意”这是理所当然的,对此有了新的认识。

「なるようにしかならない」というある種の諦観。しかし、それは手を抜くとか人任せにするとかいうことではなく、「長い人生、思い通りにいかないことも多いけど、それとどう折り合いをつけながら自分の頭で考えて生きていくか」だと、樹木さんに言われている気がしました。

“万事顺其自然”算得上是看破,但也不是就此松懈或全部交托他人,树木桑想说的应该是“人生很长,不如意事十有八九,要保持独立思考、学会在不如意下继续好好生活下去”

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