优秀奖

「わたしと日本」

邹文嘉(四川外国语学院)

いつからか、私は一人でいるのが好きになった。なぜなら、私は内向的な性格であり、また、そんな私の事を誰も理解できないから、と思っているからだ。

道を歩いているとき、人々の微笑みを見ても、自分の人生は平凡であるし、失敗の連続だから人生の出口が見つからないと思ってしまう。旅行や音楽など、普通の人たちが楽しいと思う事をやってみても、残念ながら、なんの役にも立たなかった。自分は幸せを感じる能力さえもなくなり、幸せという温かいものは、私にとって重い負担になってしまったと感じていた。

ふとある時、なぜか太宰治の作品を読みたいと思い本を探した。友達は、「日本の小説を読めば読むほど憂鬱になるぞ」と冗谈半分で話してきた。しかし私は、孤独から抜け出すのではなく、私のことを理解できる人を探したいという思いから、日本の本を読もうと思った。

「人間失格」を読み始めてから、私と日本の小説家である太宰治との間に強い絆があると感じるようになった。

「弱虫は、幸福をさえおそれるものです綿で怪我をするんです幸福に傷つけられる事もあるんです。」

その本は剣のように自分の心を直撃した。確かに幸せなんて、私には高嶺の花のようなものだ。人情世界に生きている私たちは絆だらけだが、人間はやはり独立な個体として、永遠に孤独から抜け出せないものである。昔から信頼していた先輩や友人たちが、彼を狂人として見捨てていくのだから、太宰治は人生と社会に対して徹底的に絶望し、自分が人間としての資格を失ってしまったことを痛感した。その時、彼は私の精神的な知己だと思った。

しかし、私はまた、迷い穴に陥った。一年後にもう一度「人間失格」を読んでみると、太宰治の孤独は私の孤独と大きな違いがある事に気付いた。彼は必死に周囲の社会に溶け込みたいと思っていた。

彼の言う通り、「僕が早熟を装って見せたら、人々は僕を、早熟だと噂した。僕が、なまけものの振りをして見せたら、人々は僕を、なまけものだと噂した。僕が小説を書けない振りをしたら、人々は僕を、書けないのだと噂した。僕が嘘つきの振りをしたら、人々は僕を、嘘つきだと噂した。僕が金持ちの振りをしたら、人々は僕を、金持ちだと噂した。僕が冷淡を装って見せたら、人々は僕を、冷淡なやつだと噂した。けれども、僕が本当に苦しくて、思わず呻いた時、人々は僕を、苦しい振りを装っていると噂した」

以上の経験がないと、幸福に感謝する謙虚な気持ちさえも湧き起こらないのだろう。幸福とは自分に満足していて、自分の人生を肯定できることだからだ。私はまだまだ必死に生きてはいないことが分かった。

では、私の孤独は何なのであろうか。中国の作家、贾平凹はある言葉を言った。

「たくさんの人は自分の孤独に文句を言って、孤独を言い出した人は実は孤独ではない。本当の孤独は神聖だ。太宰治の孤独は神聖だ。一方彼は現実の堕落と肉体の苦痛を深く耐え忍んで、一方では一生懸命に文章を書き、醜い現実を暴いて、純潔な理想の世界を一生追求し、積極的に心の檻を突き破っている。神聖な孤独とは、たとえ心が傷だらけでも、諦めない孤独だ」と。

これを聞いたとき、悟ったと同時に非常に恥ずかしい気持ちになった。自分の孤独は孤独とは言えず、ただ自分の心は狭すぎて、失敗した後に無念な気持ちになったり、臆病になるだけだ。また、日本の他の文学者の小説を読んでみた。川端康成の「夜なかの四時に目がさめた。海棠の花は眠っていなかった」。人間の個体はちっぽけで、平凡だが、私たちは生きている。ちっぽけな命で一生懸命に生きていて、美しく生きて、まるでこの小さな輝きの咲く花のようだ。孤独は美しいものだ。夏目漱石の「のんきと見える人々も、心の底をたたいてみると、どこか悲しい音がする」。悲しみは孤独を伴う。

私は孤独ではなくて、一人でいることができないだけだ 。これこそ私の不幸なことだ。悲しい事に、産まれて二十年経って、自分には何もないことが分かったが、私はとても幸せだ。原点に戻って、進む道が見つかった。積極的な気持ちを持ち、簡単に諦めず、孤独を楽しんでいくことが大切だ。

日本の文学作品を通じて、正しい人生の方向を理解でき、私を成長させた、このことに感謝の気持ちを伝えたい。最後に先生から教えてくれたある言葉を言いたい。「人の一生は、憎しみの中で苦痛にもがいていて、逃げようとする人がいなくて、我慢して我慢して、この俗世を積極的に愛して、この俗世を恨んで、一生楽しんでください」。

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