ここ最近、10代から熱烈な支持を受ける23歳のシンガーソングライター、あいみょん。5枚目のシングル「マリーゴールド」を8月8日に発売、8/20付Oricon週間シングルランキングで自己最高の初週売上3536枚を記録し、シングルとしてはこちらも自己最高となる26位に初登場した。

最近,23岁的唱作音乐人·あいみょん受到日本10代青少年的狂热支持。第5张单曲《マリーゴールド》于8月8日发售,在8月20日公布的Oricon单曲周榜中,首次以第26名出现,创下自己目前的最高首周销量3536张。

歌手を夢見ていた祖母や、音響関係の仕事に就く父の影響で幼少の頃から音楽に触れて育ち、中学時代からソングライティングを開始。高校卒業後にYouTubeへ楽曲を配信しはじめるとネットで話題を集めるようになり、2016年11月に、きゃりーぱみゅぱみゅやWANIMAなど、気鋭のアーティストを擁するワーナーミュージック・ジャパンの「unBORDE」からデビューした。

受到曾梦想要成为歌手的祖母,以及从事音响相关工作的父亲的影响,あいみょん从孩提时代起便接触音乐,在音乐的世界中成长,中学时代开始写歌;高中毕业后开始在Youtube发表自己的歌曲,逐渐成为话题;2016年11月,通过旗下拥有Kyari Pamyu Pamyu、WANIMA等精锐歌手的日本华纳音乐旗下厂牌“unBORDE”出道。

Tik Tokで使われ、弾き語り動画が数多くアップされる彼女の音楽には、いつもこんな言葉が寄せられる。

她将自弹自唱的视频上传到Tik Tok(抖音国际版)上,她音乐中总是通过这样的语言寄托情绪。

「自分のことを歌われた気がした」「胸をえぐられる」「泣いた」

“仿佛在唱自己的事”、“心中萧瑟”、“哭了”

あいみょんの歌詞は、いつも剥き出しの内面が表れる。

あいみょん的歌词中,总是呈现着其赤裸裸的内心。

楽曲『風のささやき』は、19歳で単身上京した際に作った。

她的歌曲《风的细语》,是她19岁单独来到东京时创作的作品。

歌詞には「あいつをぶん殴ってやった」「頑張れなんて言うなよ クソが」と、叫びのような言葉が並ぶ。頭に浮かべることはあるけれど、そんな感情は他人に知られたくないはずだ。人の目を気にせず、さらけだせるのはなぜなのか? 大きなきっかけは、高校時代にあった。

歌词中诸如“把那家伙打了一顿”、“不要说什么‘加油’啊 混蛋”等充满着如呐喊一般的词句。即使脑海中浮现过类似的场景,但这样的感情一般还是不希望被他人知晓的。但あいみょん却无惧他人的眼光,她为什么会将这些感情曝露出来呢?这巨大的转机来自她的高中时代。

「学校が嫌いで、一回高校やめているので。はい。あはは」

“因为讨厌学校,所以高中退学了一次。就是这样,啊哈哈。”

いじめられてるわけじゃない。反抗したかったわけでもない。でも、教室にいたくなかった。

并不是被欺负了。也不是想要反抗。只是,不想呆在教室而已。

学校に行っても保健室にばかりいる。「出席日数が足りません」と家に電話がかかってくる。クラスメイトは首をかしげる。だって、別にいじめがあるわけじゃないのに。

去了学校,あいみょん就常常待在保健室里。因此学校会打电话到她家通知(家长)说,“(あいみょん的)上课天数不足”。班上同学觉得不可思议。因为她并不是被欺负了。

なんとなく、教室にいない子。それが、あいみょんだった。

总之,她就是那个不在教室里的孩子。这,就是あいみょん。

「√って何に使うんだろう」。そんなことばかりが頭をよぎり、授業にはあまり集中できなかった。勉強が大事なのはわかる。でも、なんだかベルトコンベアにのせられているような気がした。

“√能用来做什么?”,诸如这类问题充斥整个头脑,让あいみょん在上课时精神不能集中。虽然知道学习很重要,但总觉得这样一来,自己就像被放在了工厂流水线的运输带上。

小学生の時は、明るかったらしい。けれども思春期になると人間関係の歪みが見え始める。教室の空気を読んで、調和を乱さないように人と人の間に入った。

小学生时代的あいみょん,似乎是个很明朗的孩子。但一到青春期,她就开始感到人际关系的扭曲。她在尽可能不打乱教室里协调的氛围下,进入人与人之间。

「ショッピングモール行ってプリクラ撮って、変にお金を消費して。それなりに楽しかったんですけれど」

“去购物中心拍大头贴,把钱花在了奇怪的地方。这样也挺开心的”。

昨日まで仲良く笑い合っていた友情関係は、ちょっとした出来事や誤解ですぐに壊れた。

昨天为止关系还不错、会彼此微笑的朋友,因为一点点小事或误解就断绝关系了。

「友だちってどこまでが友だちなん?」

“所谓朋友,到底怎样才算朋友?”

答えのない疑問を持ち続けた。手を差し伸べられても一歩引いてしまう。

あいみょん的心中一直带着这些无解的疑问。即使别人向她伸出手,她也会往后退一步。

学校よりも心の支えになったのは「音楽」だった。

比起学校,“音乐”才是她内心的支柱。

音楽関係の仕事をしていた父の影響で、幼い日から音を浴びて育った。「ツタヤやと思っていた」ほど、CDが溢れる父の部屋に忍び込んでは自室に持ち込んで聴きいった。

受到从事音乐相关工作的父亲影响,あいみょん从小就在音乐世界中成长。“感觉(父亲的房间)就是TSUTAYA(注:日本的CD、DVD连锁店)”,像这样,あいみょん常常悄悄进入父亲收藏了许多CD的房间,然后把CD带到自己的房间去听。

浜田省吾、尾崎豊、吉田拓郎......当時流行っていた音楽も好きだったが、特に90年代の音楽に恋い焦がれた。どこに発表するわけでもなく、ギターを弾きながら音楽を作り始めた。

滨田省吾、尾崎丰、吉田拓郎……あいみょん很喜欢以前流行的音乐,尤其对90年代的音乐极其迷恋。纯粹出于兴趣而不是为了发表,开始一边用吉他弹奏一边创作音乐。

かといって、尾崎豊のように激しく反抗する気はおきない。逃げたいわけでもなかった。雑誌のバックナンバーが欲しい、ライブチケットが欲しい、ギターケースが欲しい。そのために、バイトをはじめた。これは「意味のある」ことだと思えたのだ。

尽管如此,あいみょん并没有像尾崎丰那样想激烈反抗什么,也没有想要逃跑的想法。想要旧杂志、想要演唱会门票、想要吉他箱子。为了这些目标,あいみょん开始打工。她认为这些才是“有意义的事”。

16歳のとき、ある音楽に出会う。小沢健二だ。バイト先の先輩から手渡されたアルバム『LIFE』は、家で見たことがないCDだった。

16岁时,あいみょん遇见了某个人的音乐。那个人就是小泽健二。从打工的前辈那里收到小泽的专辑《LIFE》,是あいみょん在家中没有见过的CD。

「お父さんの部屋で見つけた曲しか聴いてこなかったから、オザケンは初めて『外』から入ってくる音楽やった。私の心のドアをノックした」

“因为我只听过在父亲房间里找到的歌曲,所以小泽健二(的作品)是第一个从‘外面’闯入我世界里的音乐,它敲开了我的心扉”。

言葉もメロディも全部好きだった。好きすぎてオザケンになりたいって時期すらあった。

对于小泽的作品,あいみょん无论是歌词还是旋律都非常喜欢。因为太过喜欢了,甚至有过想要成为小泽健二的时期。

しばらくしてから、いつものように父の部屋でCDを漁っていたときのこと。『LIFE』が出てきたことに驚いた。

像这样沉迷了一段时间后,あいみょん又像以前那样潜入父亲的房间找CD。居然找到了《LIFE》,这件事让她很惊讶。

「やっぱり、お父さんと好きな音楽は一緒なんやって思った瞬間。『LIFE』が家に2枚あるという状況が嬉しかった」

“那个瞬间让我感觉到,果然我和父亲喜欢的音乐是一样的啊。家中有两张《LIFE》,这件事让我觉得很开心”。

自分が正直になれるのは、音楽に向き合っているときだけだった。学校そっちのけで、好きなアーティストのライブに通う毎日を送る。

あいみょん只有在与音乐面对面的时候,才会变得坦率。逃课,每天都跑去看喜欢的音乐人现场表演。

当然のように、単位が足りなくなった。学校からの電話を受けた父から言われる。「もう明日から学校いけないよ。留年かやめるか、どうする?」。

这样一来,理所当然地あいみょん的学分不够了。接到学校打来的电话后,父亲对あいみょん说,“明天开始就不能去上学了。要么留级,要么退学,你打算怎么办?”。

「高校卒業資格は人生を左右すると思ってしまって、別の学校に編入させてもらいました」。

“感觉高中是否毕业会左右人生,所以还是被安排到其他学校去读书了”。

新しい学校では、完全に独りになった。「学校が変わると連絡ってとらなくなるんやな」。2年在籍した学校の同級生とは、ぷつりと関係が途絶えた。

到新的学校后,あいみょん把自己完全孤立起来。“学校一换,就不再跟之前的同学联系了”。同窗了两年的学校同学,就这样突然中断了关系。

買い物に行くのも、授業中も独り。新しい環境で再び友だちをつくる気も起きなかった。

无论是去买东西还是去上课,あいみょん都是一个人。身处于新的环境下,あいみょん一点都没有想要再交朋友。

独りになった途端、自由になった。「私は音楽をやるんだし」と腹をくくったが、一瞬だけ、大学受験をしようかと気持ちが揺らいだこともある。

独自一人的时候,あいみょん也变得自由。她下定决心告诉自己“我还有音乐要做”,但也有一瞬间动摇过,产生想要考大学的想法。

でも、「大学に行くって言っても、自己保身のしょーもない理由しかない。だったら歌に進んだ方がいい」と決めた。

不过,“即使说想要去上大学,这无非是出于明哲保身的无聊理由。既然如此,还是朝着音乐的方向发展比较好”,あいみょん如此决定。

「ダサい話ですけれど、独りになって気づくことってある。いつでも周りに人がいると思っていたらあかん。でも、独りだと感じても、世界に一人だけ取り残されているわけじゃない」

“虽然是很无聊的故事,但孤身一人时,我也发觉了一些事。不能老想着周围一直会有人在。但是,就算感觉是一个人,世界上也并不是只有你一个人被留下”。

見事に外れた「泣いて実家に戻るだろう」

音乐人的梦想实现了,并没有“哭着回家吧”

高校を卒業してしばらくは、歌を作りながらバイトにあけくれていた。

高中毕业后一段时间里,あいみょん一边写歌,一边打工。

「せめて資格でもとろうか」とも考えたが、すぐに転機が訪れた。映像制作をしている友人が配信するYouTubeの音楽番組で演奏を披露すると、すぐに東京の事務所から声がかかったのだ。

虽然也想过“至少考个资格证吧”,但她很快就迎来了转机。あいみょん在从事影像制作的朋友所上传的YouTube音乐节目中进行了演奏,很快有东京的事务所来联系。

「一握りの世界だとわかっていたんですけれど、自分の限界を決めてしまうのは良くないと思った」

“尽管知道这个世界很小,但我觉得用自己的界限去决定它的范围不好”。

こうしてあいみょんは、生まれ育った西宮を離れて東京に行くことになった。

就这样,あいみょん离开了自己出生和成长的地方·西宫,去了东京。

夜行バスで訪れた新宿は嫌いだった。駅は迷路のように広くて人も多い。すれ違う人が悪い人に見えた。「すぐに泣いて西宮に帰るだろう」と自分で自分を疑っていたが、そうはならなかった。

あいみょん不喜欢乘坐夜行巴士到访新宿。那里的车站大到仿佛会让人迷路,人又多。她觉得擦肩而过的人看起来都像坏人。“也许会马上哭着回西宫吧?”,あいみょん像这样自我怀疑着,但最后并没有这样。

「新幹線で3時間くらい。帰ろうと思えば帰れる。東京大好き。関西弁は譲れないですけど(笑)」

“乘坐新干线的话,3小时左右就能回西宫。想回去的时候,就能回去。我非常喜欢东京,不过还是坚持说关西话(笑)”。

西宮で家族と暮らし続けてもよかった。でも、いつまでも甘えていられない。17歳で知った孤独は、上京の寂しさをいなす力を十分に持っていた。

在西宫和家人们一起生活也不错。但是,她不能一直撒娇下去。17岁时体会到的孤独,让あいみょん有充分的力量耐住上京的寂寞。

いまでは、孤独を感じることは、ほとんどなくなった。「孤独とうまく付き合えるようになった」と言う方が正しいかもしれない。

如今,あいみょん几乎不再有感到孤独的时候。或者应该说,“变得能与孤独很好地相处了”更为正确。

何かを作れば、いつか誰かに発掘される

做点什么,总有一天会被别人发现

とはいえ、毎日がキラキラしたわけではない。東京でアーティストをしていても、それは案外、地味で泥臭い生活だ。

虽说如此,あいみょん并不是每天都过得闪亮。即使在东京做音乐人,也令人意外地过着朴素又俗气的生活。

「本気でやってんだ」と叫んでも、結果が出なければ、大人たちに見捨てられることも知っていた。

就算呐喊着“我是很认真地在做”,只要没有成果,就会被大人们抛弃,这一点あいみょん也是知道的。

だからといって、安易に「頑張って」なんて言ってほしくなかった。手に届きそうで、届かない夢がじれったかった。そんな気持ちも、すべて音楽に注いだ。

尽管如此,あいみょん并不希望别人轻易地对她说“加油”。用手似乎能触碰到、但却无法触及的梦让人心焦。あいみょん将这样的心情,也全部都注入到音乐中。

自分の楽曲を聴いて「勇気が出た」と言われると、嬉しい。でも、誰かを助けたいと思って曲を作っているわけではない。その時、自分の中から出てきた言葉を綴るだけ。

听别人说,听过她自己的音乐后“有了勇气”,あいみょん很开心。但是,她并不是为了要帮助谁而去创作歌曲的。她只是在(创作)时,把自己心中涌现的语言缀述出来罢了。

「死にたいって気持ちを込める曲もあるし、甘いラブソングにしたい曲もあって。暗い気持ちをさらけ出すと、メンヘラと烙印を押されることもあるんですけれど、一面でしかないですからね」

“既有表达想死的心情的歌曲,也想做甜蜜情歌。暴露出黑暗心情的话,可能就会被打上‘神经病’的烙印,但这其实只是我的一面而已”。

「最近、作家の友人ができて。その人が言っていたんです。小説は希望だって。自分の記憶の中に希望を足せる。音楽も作詞も、自分の現実に少しプラスで希望を足しているんです。これやなって思った」

“最近,我交到了作家朋友。那个人曾说,小说就是希望,是在自己的记忆中加上希望。无论是音乐还是作词,就是在自己的现实中稍微加上一点希望。我觉得应该是这样”。

嘘ではなく、脚色でもない「希望」をのせる。「こうなったらいいのにな」なんてことは、他人にあまり知られたくない感情だ。それすらもさらけ出すからこそ、彼女の歌を「自分の話」だと思う人が多いのだろう。

将既不是谎言、也没有夸大的“希望”加入音乐中。“明明像这样就很好”,但这是并不太为人所熟知的感情。正因为连这样的情感都展露出来,觉得あいみょん的歌是在“讲述自己的事”的人才会很多吧。

8月8日にリリースしたばかりの新曲『マリーゴールド』の歌詞には、こんな言葉が綴られる。

在8月8日发行的新歌《Marigold》的歌词中,あいみょん写了这样的词:

でんぐり返しの日々
可哀想なふりをして
だらけてみたけど
希望の光は
目の前でずっと輝いている
幸せだ

回首过去那天
看起来满是
假装可怜的样子
希望的光
在我眼前一直闪耀
这就是幸福

きっとそれは、世代を超えて誰かに響いていく。オザケンに憧れ、自分を重ねたあいみょんは、よく知っている。

这样的话,跨越年龄界限,能在任何人的心中回响。憧憬着小泽健二、(让音乐)与自己重叠的あいみょん,非常了解这一点。

「今、たくさんの人が音楽を作れる。その分、埋もれてしまうことも多い。でも、平成の時代に発掘されなくても、寝かせた分だけ価値が出るものもある」

“现在,有许多人都在创作音乐。正因如此,被埋没的情况也很多。但是,即使在平成时代没有被发掘,也会有因卖不出去而产生的价值”。

「自分の限界を作らないで、何かを生み出していくといつか誰かが見つけてくれることもある。私自身、CDでたくさんの音楽を発掘したので。やっぱりCDって良いですね。振り袖みたいに受け継げる(笑)」

“不要给自己设立界限,持续创作,总有一天会被人发掘。我自己,也从CD中挖掘出许多的音乐。果然CD是好东西呀。就像长袖和服一样继承下来(笑)”。

生まれる前に流行った音楽に、胸を焦がした10代を過ごした少女は、発掘することで自分を取り戻した。彼女の今後のさらなる飛躍に期待してください。

迷恋自己出生前便在流行的音乐,在这样的时光中度过10代的少女,通过发掘这些音乐而找回自我。敬请期待她今后的飞跃。

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