「慶應ボーイ」という言葉は、今でも日本中の多くの人に通じる。「東大ボーイ」や「早稲田ボーイ」なんて言い方はないのに、なぜか慶應の男子学生だけにニックネームがあるのである。

“庆应男孩”这个词在当今的日本依然为人所熟知。为什么“东大男孩”“早稻田男孩”这种说法从来没有出现过,唯独庆应的男生会有这样的昵称呢?

しかも、「慶應男」「慶應野郎」などの粗野な呼び名ではなく、英語でカッコよく「KEIO BOY」だ。実際、でっかく「KEIO BOY」とプリントされたTシャツやパーカーを売っているオンラインショップも存在する。それほどまでに慶應ボーイは、華やかで目を惹く存在であり続けてきているわけである。

而且,还不是像“庆应男”、“庆应小子”这样有些粗野的称呼,而是帅气的英文“KEIO BOY”。实际上,还存着贩卖印有“KEIO BOY”的T恤和卫衣的在线商店。由此可见庆应男孩一直是华丽而引人注目的存在。

「大学はどちら? あら、慶應ボーイなんですね」などと言われて、まんざらでもない気分になったことのあるOBは大勢いるはずである。

不少庆应毕业的男生听到“你念的是哪一所大学?哎呀,原来是庆应男孩啊”应该都会觉得受用。

現役慶大生に「さすが慶應ボーイですね」と褒めたとして、彼らが同じ気持ちを抱くかといったら、答えはノーだ。表面的には爽やかな笑顔で「ありがとうございます」と答えたとしても、心の中では、(そんな風には言われたくない)と思っている。

想来在读学生被称赞“不愧是庆应男孩啊”应该也会怀有同样的心情。回答却是否定的。即使表面上会用清爽的笑容回答“谢谢”,但心里想的却是(才不想被这样称赞)。

取材中、男子慶大生に、「自分たちは慶應ボーイらしいかも、って思うのはどういうところ?」などと質問すると、たいてい嫌な顔をされた。

在采访中向庆应男生询问:“觉得自己哪里像庆应男孩?”时,大部分都显露出不太高兴的表情。

「イメージが先走っているだけだと思いますよ」

“我觉得只是大家先入为主了而已”

「……止めてくれませんか。そういう決めつけ」

“……能停止这样片面的想法吗”

慶應ボーイの神髄について語ってくれた男子慶大生は皆無だったし、この話題を振るだけで、雰囲気が変わって取材が進めづらくなった。なんでそんなに嫌がるのかと不思議に思い、疑問をストレートに投げたところ、ある女子慶大生がこんな話をしてくれた。

没有一个庆应大学的男生向我们说出庆应男孩的精髓,一提到这个话题,尴尬的气氛就使得采访难以进行。一听到这个问题就有些不乐意的表现让人觉得不可思议,于是直接表达了我们的疑问,于是一位庆应的女学生这样回答。

「いかにも慶應ボーイというような、社交的なお坊ちゃまは見かけませんからね。私のいる学部に限っていうと、外部生は垢抜けない地味な男子ばかりです。内部生にはおしゃれというか、おしゃれ『すぎる』男子がいるけど、やっぱり地味な子も多い。内部男子は地味と派手の両極端に分かれているんです」(文学部2年女子)

“因为像所谓的庆应男孩那样善于交际的公子哥并不纯在。就我所在的学部来说,外部生(非庆应附属中学直升的学生)尽是一些不好好打扮的朴素男生。内部生里虽有一些与其说是时尚,不如说“太过时尚”的男生,但大多数还是朴素的打扮。内部生分为朴素和华丽两个极端”(文学部2年级女生)

なるほど。慶應大学には、派手な一部の内部生と、その他大勢の垢抜けない男子がいる。そして、その他大勢のほうの立場になってみると、「慶應ボーイって一括りにしないで」という心情が理解できるような気がする。

原来如此。庆应大学里有一部分华丽的内部生,而大多数是朴素的男生。而从大多数朴素的男生的立场来看,就能理解他们那种“不愿被归为庆应男孩”的心情了。

日吉キャンパスでたまたま集団取材ができた際、彼ら彼女らはこう言っていた。

在日吉校区进行群访时,他们这样说道。

「お金持ちは多いと思うけど、お金持ち同士でつるんでいる。特に内部生。うちのように100人規模の大きいサークルの場合、内部生と一緒になることはあるけれども、普段つるむことはない」(フットサルサークルの1・2年生男女)

“有钱人虽然很多,但他们都抱团在一起。特别是内部生。像我们这种约有100人的大规模社团,虽然会有内部生,但平时和他们是没有联系的”(足球社团1、2年级的男女学生)

内部生と外部生の微妙な距離感、見えづらいけれど、ガッチリ引かれている一線の存在。多くの慶大生の中では「慶應ボーイ≒内部生」となっていて、そこには複雑な思いがある。

内部生与外部生之间有着微妙的距离感,虽然很难分辨,却是真实存在的一线之差。很多庆应大学的学生都认为“庆应男孩=内部生”,这其中有着一些很复杂的想法。

かつての慶應ボーイといえば、とにかくかっこよかった。

说到以前的庆应男孩,给人的印象就是特别帅。

石原慎太郎『太陽の季節』(1955年下半期に芥川賞を受賞)は、リッチな家で育ち、「慶徳大学」に籍を置く主人公らが、酒と博打と女と喧嘩に明け暮れて云々というお話だ。ハイセンスなファッションを着こなし、ヨットやモーターボートで遊び狂い、気の向くままに複数の女性と関係を持つ登場人物らに、昭和30年代の若者は憧れを抱いた。そして、そうしたイメージが、ほぼそのまま慶應ボーイ像として定着していった。

石原慎太郎的小说《太阳的季节》(1955年下半年获得芥川奖)讲述在富裕家庭长大,在“庆德大学”上学的主人公们,整天沉溺于喝酒、赌博、女人、打架的生活。高品位的时尚风格、在游艇和摩托艇上放肆的狂欢,随心所欲地与很多女性发生关系的登场人物们,让昭和30年代的年轻人憧憬不已。而这种印象基本上就成为了人们心中庆应男孩的形象。

あの小説の題材は、作者の弟で慶應義塾高、慶應大学出身(中退)の石原裕次郎の友人のエピソードだとされている。要は、内部生物語だったともいえる。

据说这部小说的题材源自作者弟弟石原裕次郎一个在庆应上高中,又从大学退学的朋友的故事。可以说这就是在讲述内部生的故事。

当時の日本人は貧乏人だらけであった。お金持ちになることが国民的目標だった。そんな時代にあって、裕次郎的な慶應ボーイの豊かさはさぞかし輝いて見えたことだろう。そして、それから四半世紀も過ぎたら、日本人のうちのけっこうな数が目標達成し、いつの間にかリッチになっていた。

当时的日本人都很穷。每个人的目标都是成为有钱人。在那样的时代背景下,像裕次郎那样生活丰富多彩的庆应男孩就显得格外耀眼。之后过了二十多年,不少日本人都达到了目标,不知不觉变得富裕起来。

1980年代、ブレザーに慶應のワッペンをつけてディスコでナンパすると女子大生に非常にモテた、という逸話がある。豊かになって、さらなる豊かさを求める人々が、「慶應ボーイ」というブランドを物語の中でだけでなく、実生活においても消費し始めたのだ。

据说1980年代的舞厅里,在西装上夹一支庆应的笔会很受女大学生的欢迎。变得富足后,想进一步追求富足生活的人们不再单纯将“庆应男孩”的名号看作故事中的传说,而开始在实际生活中对这一品牌进行消费。

1988年に文学部(日本史学専攻)を卒業した慶大OBは、「私は、まったくもって派手な遊びはしていませんでしたが」と前置きした上で、こう話す。

1988年一位从文学部(日本史学专业)毕业的庆应男生一开始就说“我完全没有那么潇洒地玩过”。

「バブルど真ん中だったこともあり、金持ちは金持ちらしい遊び方をしていました。同級生にジャーナリストの竹田圭吾がいたんですが、彼は東京タワーのすぐそばにある芝中・高出身で、新富町に住んでいて、ゼミ合宿に(トヨタ自動車の)ソアラで現れることで有名でした。卒業アルバムを開いても、別格のバブリーな雰囲気を醸し出している。ページを開けると、どこにいるかすぐわかるんですよ」

“正好是泡沫经济时期,有钱人玩得很大手笔。同年级有一个当记者的叫竹野圭吾,他在东京铁塔旁边的芝中读的初中高中,住在新富町,研讨会集训的时候坐着(丰田汽车的)滑翔机出现而名声大振。即使是在毕业相册中,也能感受到他独树一帜的华丽气场。一打开相册,就能马上知道他在哪里”

1989年に文学部(仏文学専攻)を卒業した女性も次のように語る。

1989年毕业于文学部(法国文学专业)的女生说了如下一段话。

「学生時代は、よく同級生の男子の車で横浜に連れてってもらいましたねー。当時の慶應の男子の中には、お金持ちなのに貧乏学生ぶる、『貧乏プレイ』を楽しんでいる人までいました。今振り返ると、ちょっとイヤミに感じるかな」

“学生时代,同年级的男同学经常开车带我去横滨。当时的庆应男生中有些人明明很有钱却装成是穷学生,甚至还有享受扮演“穷人”的同学。现在回头看,感觉有点讨厌”

ちょっとでなく、かなりイヤミなプレイである。だが、当時はそんなことをしても炎上することなく、面白ネタとして語られていたのだ。感覚がおかしくなっていたともいえる。

不只是一点点讨厌,是非常讨厌。只不过,当时即使做了那样的事,也不会受到抨击,而是当成一个有趣的笑话。也可以说是那时人们的认知感受有些奇怪。

それからまた四半世紀が過ぎた。現在の私たちの多くは、戦後何番目かの好景気だといわれても、さっぱり実感がわかない。大半は、未だデフレ社会の中で疲弊している。

又过了二十多年。现在我们中的很多人虽然被说是生活在战后经济景气的社会中,但是却完全没有实感。大部分人都在通货紧缩的社会中疲惫地生活着。

今の「慶應ボーイ」は存在からしてイヤミに感じられてもおかしくない。自分に向けられたら、負のレッテル貼りと感じるのだろう。

在这样的情况下,现在对“庆应男孩”感到讨厌也并不奇怪。如果是自己,应该会觉得被贴上了负面的标签。

世間もだいぶ地に足が着いたというのに、うちの大学にはなぜいつまでも同じようにイメージされているのか。そこまでの金持ちなんてほんの一部の連中なのに……。

明明世间已经远不如泡沫经济时期那样浮躁,但为什么人们对我们大学还是持有和那时同样的印象呢。与众不同的有钱人明明只有一小部分而已……。

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