「百人一首」とは、百人の歌人の和歌を、一人一首ずつ選んだもので、一般的には1235年頃、藤原定家によって編纂された『小倉百人一首』のことを指します。

“百人一首”是从100位歌人(专门创作和歌的人)的和歌中,一人选取一首作品编辑而成的,一般来说指的是1235年藤原定家编纂的《小仓百人一首》。

『小倉百人一首』と呼ばれるのは、定家がこれを編纂した場所が京都府嵯峨野にある小倉山の麓であったからと伝えられています。

据说之所以被称之为《小仓百人一首》,是因为藤原定家编纂这部作品的地点位于京都府嵯峨野的小仓山的山脚。

定家は、親しい人に頼まれ、山荘のふすまに飾るためにと、百人の歌人の歌を一首ずつ色紙にしました。これが今に残る「百人一首」のもとになったと言われています。

藤原定家因受人委托装修山庄的隔扇(和式房间用的门扇窗),就挑选了一百位歌人的和歌,每首做成一张彩纸。据说这就是流传至今的《百人一首》的原型。

百人一首は、全て勅撰和歌集(天皇や上皇の命によって作られた歌集)から選ばれ、奈良時代から鎌倉時代初めまでの和歌が、ほぼ時代順に配列されているのが特徴です。

百人一首全部都是从敕撰和歌集(奉皇帝或上皇的命令编纂的和歌集)中选取的,其特征是,从奈良时代到镰仓时代的和歌,基本上都按时间顺序排列。

次に、部立(ぶだて・歌のカテゴリー)をみていくと、「恋」43首、「春」6首、「夏」4首、「秋」16首、「冬」6首、「離別」1首、「羈旅(きりょ・旅情を詠んだもの)」4首、そして、これらの部立に属しないものを「雑(ぞう)」の歌が20首あります。(また、雑の中でも秋の季節が詠み込まれているものとして「雑秋」の歌が1首あります。)

接下来,再看分类(和歌的种类),百人一首中,恋爱主题的43首,春季题材的6首,夏季4首,秋季16首,冬季6首,离别主题的和歌1首,羁旅题材的4首,另外不属于这些分类的杂歌有2首。(杂歌中,有1首咏秋的和歌,叫做“杂秋”)

恋の歌が大半を占め、四季の中では秋が最も多く収められていることが分かりますね。

因此可以看出,恋爱题材的和歌占一大半,四季中秋季题材的和歌最多。

今回は、「百人一首のカルタ取り」の遊び方とルールを説明していきたいと思って、そして歌人としても有名な3人に注目してみました。

这次,我想给大家介绍一下“百人一首歌留多”的玩法,接着再介绍三位有名的歌人。

百人一首のルール解説

百人一首游戏规则解说

「百人一首カルタ」の遊び方とルールを紹介する前に、少し和歌の基本を解説したいと思います。

在介绍“百人一首歌留多”的玩法之前,我想先稍稍对和歌的基本内容进行一个解说。

和歌は、五・七・五・七・七の三十一文字(みそひともじ)で表現される短い詩で、一首(いっしゅ)、二首(しゅ)と数えます。また、最初の五・七・五までの部分を「上(かみ)の句」そして、残りの七・七の部分を「下(しも)の句」と言うことをおさえておきましょう。

和歌是由五句三十一个音节构成的短诗,格式为五-七-五-七-七的排列顺序,用一首、两首来表示。另外,记住,开始的五-七-五叫做“上句”,剩下的七-七叫做“下句”。

では、1つ例を挙げてみていきましょう。

那么,我们来举个例子。

例:「春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」

例:"春方姗姗去,夏又到人家。白衣无数点,晾满香具山。"

この和歌では、「春すぎて 夏来にけらし 白妙の」までが「上の句」、「衣ほすてふ 天の香具山」が「下の句」となりますね。

这首和歌中,“春すぎて 夏来にけらし 白妙の(春方姗姗去,夏又到人家)”是上句,“衣ほすてふ 天の香具山(白衣无数点,晾满香具山)”是下句。

次に、「百人一首カルタ」についてですが、カルタには「絵札(読み札)」と「字札(取り札)」がそれぞれ百枚ずつあります。絵札には和歌が一首書いてあり、読む人はそれを見ながら読み上げます。一方、字札には、和歌の下の句だけが書いてあり、取る人はそれを取っていくというのが基本的なルールになります。

接着,“百人一首歌留多”中,“花牌(唱读牌)”和“字牌(抓取牌)”各有一百张。花牌上写有一首和歌,读的人边看边读出花牌上的和歌。另一方面,字牌上只写有和歌的下半句,拿的人取出听到的和歌的那张牌,这是百人一首歌留多的基本游戏规则。

「百人一首カルタ」の遊び方

“百人一首歌留多”的玩法

〈ちらし取り〉

乱中取牌

各個人で競い合う、最も一般的なカルタ遊びです。

个人之间竞争,这也是最普通的玩法

【人数】

【人数】

人数は何人でもかまいません。

人数不限

【進め方】

【游戏步骤】

1.百枚の取り札をバラバラに並べ、そのまわりに取る人が座ります。

1.将一百张抓取牌分散排列好,参加者围坐。

2.読む人は読み札をよくまぜて、上の句から下の句の順で札を読んでいきます。

颂诗人将唱读牌打乱,按照从上句到下句的顺序读。

3.取る人は上の句が読まれた時点で、下の句が分かればすぐに取ることができます。

3.抓取的人在听到上句时,如果知道下句,就可以拿牌。

4.上の句だけで下の句がわからなければ、下の句が読まれるまで待たなければなりません。

4.只知道上句,不知道下句的话,就要等读的人读出下句。

5.取り札が全部なくなったら終わり。一番多く取った人の勝ちです。

5.抓取牌都被拿走视为游戏结束,拿的最多的人为赢家。

源平合戦、坊主めくり、下の句カルタ(北海道の独特の遊び)や競技カルタなどの遊び方もありますが、ここで省略させていただきます。

除此之外还有源平合战、抽牌游戏、下之句歌留多(北海道的独特玩法)以及竞技歌留多等玩法,在此暂且省略。

有名な歌人

有名的歌人

待賢門院堀河

待贤门院堀河

80番「なかゝらむ心もしらす黒髪の 乱てけさは物をこそおもへ」

第80首:但愿情长久,君心妾不知。朝来绿发乱,万绪动忧思

待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ)は、妖怪伝説で知られる崇德院の母で、崇徳院の父・鳥羽天皇の中宮である璋子(待賢門院)に仕えた女官です。2012年の大河ドラマ『平清盛』に、りょう演じる「堀河局」という名の女官として登場していたのを覚えている方もいるのではないでしょうか?

待贤门院堀河是因妖怪传说而知名的崇德院的母亲,是侍奉崇德院的父亲鸟羽天皇和鸟羽天皇的中宫(相当于中国古代的皇后)璋子(待贤门院)的女官。应该有人记得,在2012年的大河剧《平清盛》中,凉扮演的名叫“堀河局”的女官吧。

「堀河」というのは苗字ではなく、祖父の兄が堀河左大臣であったことから「待賢門院にお仕えしている堀河左大臣ゆかりの女官」という意味で呼ばれていた女房名です。神祇伯・源顕仲の娘で、待賢門院に仕える前は白河天皇の皇女で斎院を務めていた令子内親王に「前斎院六条」という女房名で仕えていました。

“堀河”不是她本来的姓,因为祖父的哥哥是堀河大臣,所以这个姓是她的女官姓,表示“侍奉待贤门院的堀河左大臣缘的女官”。她是神祗伯・源显仲的女儿,在侍奉待贤门院之前是白河天皇的女儿,以“前斋院六条”的名字侍奉于掌管斋院的令子内亲王。

家集『待賢門院堀河集』には、138首の歌が収められています。

个人和歌集《待贤门院堀河集》中收编了138首和歌。

皇嘉門院別当

皇家门院别当

88番「難波江の 葦のかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき」

第88首:难波苇节短,一夜虽尽欢。但愿情长久,委身无怨言。

皇嘉門院別当(こうかもんいんのべっとう)は、崇徳院の中宮・聖子(皇嘉門院)に仕えた女官です。本名や生没年などは知られていませんが、父は太皇太后宮亮・源俊隆、祖父は大蔵卿・源師隆ということが分かっています。彼女の主人である中宮聖子は、摂政・藤原忠道の娘で、摂政・藤原兼実の姉でした。

皇嘉门院别当是侍奉崇德院的中宫圣子(皇家门院)的女官。真实姓名和生卒年月不详,父亲是太皇太后宫亮・源俊隆,祖父是大藏卿・源师隆。她侍奉的主人中宫圣子是摄政・藤原忠道的女儿,也是摄政・藤原兼实的妹妹。

百人一首に取り上げられている別当の歌は、中宮の弟である兼実が右大臣だった時に開催された歌合せで詠まれた歌であることが、出典の『千載和歌集』の詞書から分かります。

从其和歌出处《千载和歌集》的序中可以得知,百人一首中选取的别当的和歌是在中宫的弟弟兼实担任右大臣时举办的和歌竞赛中吟唱的和歌。

殷富門院大輔

殷富门院大辅

90番「見せはやなおしまのあまの袖たにも ぬれにそぬれし色はかはらす」

第90首:渔夫衣袖空湿透,不如我泪染成红

殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)は、後白河天皇の第一皇女で、百人一首にも取り上げられている式子内親王の姉である亮子内親王(殷富門院)に仕えた女官です。

殷富门院大辅时后白河天皇的第一个女儿,她侍奉于也被选进百人一首中的式子内亲王的妹妹亮子内亲王(殷富门院)。

生没年ははっきりとは分かっていませんが、藤原信成の娘で、大治5(1130)年~正治2(1200)年頃に生きていた人であることが知られています。

她出生年月不详,藤原信成的女儿,是大治5年(1130)~正治2年(1200)时期的人。

『千載和歌集』『続後撰和歌集』をはじめとする勅撰集に多数歌を取り上げられるなど、優れた歌人として知られ、百人一首の撰者である藤原定家や寂蓮、西行などの著名な歌人とも交流がありました。

殷富门院大辅的许多作品被收编进《千载和歌集》《继后撰和歌集》等敕撰和歌集,作为一名优秀的歌人而闻名,和百人一首的编撰者藤原定家和寂莲、西行等著名的歌人也都有交流。

彼女と並ぶ女流歌人と呼ばれた小侍従という女官とは、ライバルであり友達でもある関係でした。時には2人で夜通し歌を詠み合ったり、歌人仲間の男性たちを誘って名月の夜に小侍従の家を突撃アポなし訪問するなどの様子が、彼女の家集『殷富門院大輔集』から見られます。

和她不相上下的女歌人小侍从女官,她们两个亦敌亦友。两人时而彻夜吟唱和歌,时而于八月十五的夜晚,邀请男性好友歌人,不打招呼直奔小侍从家,这些情景在她的个人和歌集《殷富门院大辅集》中得以一窥。

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