結成30週年を迎える「スピッツ」。彼らの音楽は今も昔も変わらず、気がつくと口ずさめてしまうような誰の耳にも残る親しみやすい楽曲が特徴です。メルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』の著者でジャーナリストの引地達也さんは、彼らについて「言葉の展開と音楽性はケアそのもの」とし、スピッツの音楽に癒やしと親しみやすさ、そして深みがあることの根拠について記しています。

迎来成立30周年的Spitz。他们音乐的特点就是无论是现在还是过去,是当你意识到的时候已经在哼唱了,就是这样无论在谁听来都朗朗上口、让人感到亲切的歌曲。电子杂志《新闻工作者的美好未来》的作者——记者·引地达也对他们的“歌词的展开和音乐性本身就是治愈”为题,记述了为何说Spitz的音乐是治愈、亲切、还有深意的根据。

スピッツの世界観に「ケア」を感じる

在Spitz的世界观中能感受到“治愈”

歌で展開される「作り上げられた」世界は、立体的な輪郭を帯びて、私の中にある感情の隅っことシンクロする─。結成30周年となったスピッツの楽曲はいつも私の隅っこに語り掛けてくる。こんなことを書きながら、私はスピッツのコンサートに行ったことはないし、新曲やアルバムの発表を心待ちにしてすぐに購入し、コレクションするような熱心なファンではない。いつも気がつけば、そこにスピッツの曲があった、というのがスピッツとの付き合い方であり、距離感。それが最も心地よい。

用歌曲展现“构造出”的世界,是带有立体轮廓的,和我内心当中情感的某个角落是完全一致的。成立30周年的Spitz的乐曲总是能够和我内心的某个角落进行对话。虽然我这样写,但是我一次也没去过Spitz的演唱会,也不是满心期待着新曲和专辑的发售,然后赶紧去买,拿来收集的狂热粉丝。(我和Spitz的交往方式是)“总是在我发现的时候,Spitz的音乐就已经在那里了”这样的距离感。这是最让人惬意的。

今回、デビュー以来のシングル曲を集めた3枚組のアルバム『CYCLE HIT 1991-2017』を聴いて、「大人」になる自分、その歩みもシンクロする。ケアの仕事をしながら、ケアを研究対象にする自分にとって、ケアなるものには人より敏感になったと思う。音楽でも、ケア性を帯びたものとそうでないものを分けたとき、スピッツのケア性は際立っている、と感じている。歌詞がすべて日本語であるが故の紡がれた言葉の繊細な響きは、傷付いた心を癒す行為に直結する。前述のように「社会に溶け込んでいく」自分に重ね合わせていってしまう。

这次,我听了集合了他们出道以来单曲的3张组合专辑·《CYCLE HIT 1991-2017》,它的步调和已成为“大人”的自己完全一致。对于做着“治愈”工作的、以“治愈”为研究对象的我来说,对于“治愈”的东西比一般人要敏感。就算在音乐当中,当我把带有治愈性的东西和不带治愈性的东西区分开的时候,我能感受到Spitz的(音乐的)治愈性十分明显。因为歌词全部都是日语,它所编织的语言,那细腻的声响是治愈人受伤心灵的关键。正如上面所描述的,这与“融入社会的”我重叠在了一起。

例えば1991年のメジャーデビューのシングル「ヒバリのこころ」は、大学1年生で初めての海外一人旅でニューヨークの下町に1か月間、アパートを借りて疑似海外生活を楽しみながらも、自分の無力感にも気づいた頃である。歌詞には「目をつぶるだけで遠くへ行けたらいいのに」とあると同時に、ほろ苦い若い時の決意がこううたわれている。「風に飛ばされるまで気まぐれな蝶 僕らこれから強く生きていこう 涙がこぼれそうさ ヒバリのこころ」。

例如,1991年正式出道的单曲《云雀之心》,就是大一的时候首次一个人出国旅行,到纽约的城郊居住一个月,租了公寓,似乎十分享受海外生活,却感受到了自己无力感的时候。在歌词当中“只要闭上眼睛,就能走去远方多好”,唱出了稍微有些苦涩的年少时代的决心。“快要被风吹走的喜怒无常的蝴蝶 我们从此要坚强地活下去 眼泪马上就要溢出 云雀之心”。

多くの人がスピッツを知ることになる1995年のヒット曲「ロビンソン」は、今までの瑕疵の世界を宇宙に広げる大きなスケールの作品で、校舎のガラス窓をバイクに乗って叩き割っていた尾崎豊風の青春のエネルギーは、この歌で宇宙に持っていかれたのである。「大きな力で 空に浮かべたら ルララ 宇宙の風に乗る」(ロビンソン)。「涙がキラリ」では「何も知らない惑星は 世界をのせて まわっているよ」とこの世界を惑星と表現する。俗世の猥雑な悩み事は「宇宙」の概念ですべて解決できてしまうような魔法の法則をさらりと歌っているようで、身近な日本語の言葉の数々は普遍的で拡がりが大きい。

让很多人认识Spitz的1995年的大热曲《Robinson》是一首将至今为止这个带有瑕疵的世界扩展到宇宙的大维度的作品。开着摩托车敲开校舍的玻璃窗的这种尾崎丰风格的青春正能量,用这首歌可以把人带往宇宙。“在强大的力量下 能够漂浮在空中的话 噜啦啦 乘着宇宙的风”(Robinson)。在《眼泪闪耀》当中“什么也不知道的行星啊 承载着世界 不停转动”,这样将这个世界表现为行星。(他们的歌)直接唱出了“无论世俗中多么杂乱的烦恼,在“宇宙”的概念下全部都能够解决的这种魔法般的法则”,无数令人亲切的日语歌词适用于所有事物,影响深远。

日本語と宇宙概念と同時にケア性を考える際、重要なポイントは自然界のモチーフである。意外な生き物や植物が歌詞に登場し、それは一瞬目くらましのような効果となるが、実はメタファーとしては含蓄があり、存在感は重厚である。「あわただしい毎日 ここはどこだ?すごく疲れたシロクマです 強い日差しから 逃れて来た しびれが取れて立ち上がれば」(シロクマ)、「まばゆい白い世界は続いていた また今日も巻き戻しの海を エイになって泳ぐ」(雪風)、「こんな気持ちを抱えたまんまでも何故か僕たちはウサギみたいに弾んで 例外ばっかの道で不安げに固まった夜が 鮮やかに明けそうで」(歌ウサギ)。自然と心のモチーフは、嫌みがない。

日语和宇宙概念存在的同时还要考虑治愈性,那么重要的一点就是自然界的音乐元素。当歌词中出现了令人意外的动物和植物,就会有那么一瞬间达到让人眼花缭乱的效果,但是其实这当中作为隐喻是含有言外之意的,是非常深沉的存在。“匆忙的每一天 这里是哪里?非常疲惫的白熊 从强烈的阳光照射中 逃了出来 只要能够摆脱麻木站起”(白熊)、“持续着的耀眼的白色世界 今天也在回忆的海中 化作鳐鱼遨游着”(雪风)、“就算是抱着这样的心情 为什么我们还会像兔子一样跳动 在充满意外的道路上凝结成不安的夜 似乎就要迎来灿烂的黎明”(歌兔)。自然和内心的元素,不会让人觉得讨厌。

これらの言葉の展開と音楽性はケアそのものだという認識に立つ時、私もスピッツの歌のような仕事をしたいと思い至る。そう考えながら、明日もまた仕事中に頭の中では、スピッツがリフレインするのだろう、と思う。

当我形成了“他们歌词的展开和音乐性本身就是治愈”这个意识的时候,我甚至有种也想要从事“像Spitz的歌那样的”工作的想法。这样想着,我想在明天的工作中,我的脑子里又会不断重复着Spitz的旋律吧。

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