6月26日に発売された『HUNTER×HUNTER(ハンターハンター)』34巻に対し、一部のファンの間で動揺が広がっています。

6月26日发售的《全职猎人》34卷,在一部分的粉丝之间产生的动摇正在扩大。

それは約1年ぶりの新刊だから、ということではありません。巻末に冨樫義博さん本人による「クロロvsヒソカ」の解説が掲載されていたからです。

并不是因为这是差不多过了1年才出的新刊,而是卷末刊载了富坚义博本人对“库洛洛VS西索“的解说。

冨樫先生にそこまで明るくない読者の方は「?」と思うかもしれません。同じジャンプ作品の『ONE PIECE』であれば、読者投稿コーナー「SBS」で、尾田栄一郎さんが作品背景や今後の展開も答えていたりしますから。

对于从未如此出面解说作品的富坚先生,读者可能会觉得“怎么回事?”。像同为Jump作品的《ONE PIECE》,尾田荣一郎先生就会在读者投稿角“SBS”上回答作品背景和今后的展开。

しかし、少なくとも筆者の知る限り、冨樫先生が作品の先の展開に対する言及を行ったことはありません。

但是,就笔者所知,几乎没有富坚先生谈及作品之后的情节展开的情况。

そこで『ハンターハンター』34巻の解説に対する、いくつかの仮説を立ててみました。「なぜ、あの解説が掲載されたのか?」という問い自体に、今後の『ハンターハンター』を読み解くヒントがあると考えたからです。

于是对《全职猎人》34卷的解说,有几个假设。“为什么解说会被刊登?”对于这样的疑问,被认为可能是今后解读《全职猎人》的关键。

すべてこじつけのような予想でしかないですが、「あり得るかも」なんて思えたら、さらに『ハンターハンター』を楽しめるんじゃないでしょうか。

虽然全都是没有根据的预想,但一想到“有可能”,不就能更期待《全职猎人》了吗?

『ハンターハンター』冨樫先生の解説には何が記されていたのか

富坚先生在《全职猎人》的解说中说了什么?

まず単行本未読の方に向けて、冨樫先生からのコメントがどのようなものだったのかを、要約してお伝えします。

首先对于没有看单行本的各位,富坚先生究竟说了什么,简要的概括如下。

・「クロロvsヒソカ」でやりたいことがいくつかあった。

・在《库洛洛vs西索》中有几件想要做的事。

・ひとつは「対決そのもの」。両者を勃たせながら(原文ママ)、100%勝つと宣言したクロロを勝たせること。

・其一为“对决本身”。两人在搏斗中(原文),如何让宣言100%胜利的库洛洛取胜。

・一番やりたかったことは「旅団の誰かを(ヒソカに)殺させること」。

・最想做的是“旅团中谁被(西索)干掉”。

・ストーリーづくりにおいて、冨樫先生なりのマニュアルはあるが、最終的な判断は「勘」であること。

・对于故事情节,有富坚先生自己的想法,但最终还是凭“感觉”。

ここで重要なのは、ヒソカが殺害する旅団のメンバーを「勘」で決めたことでしょう。

这里重点是被西索杀掉的旅团的成员是靠“感觉”决定的。

しかし「解説の解説」に入るその前に、もうひとつ前提として共有したい「クロロvsヒソカ」戦のストーリーがあります。

但是在进入“解说的解说”之前,还有《库洛洛vs西索》之战的剧情作为一个前提共有。

仮説1:ヒソカは嵌められたのか?

假说1:西索是否被打败?

「クロロvsヒソカ」戦は、読者にとって連載初期から待ちに待ったバトルであったと同時に、『ハンターハンター』の魅力が惜しみなく注ぎ込まれた超ハイコンテクストな激闘でした。

《库洛洛vs西索》一战是读者从连载初期开始就期待已久的战斗,同时也是全面展示出《全职猎人》魅力的超激烈战斗。

クロロの持つ「盗賊の極意」(スキルハンター)は、他者の念能力を奪うという性質を持っており、「番いの破壊者」(サンアンドムーン)、「人間の証明」(オーダースタンプ)という能力に加え、自身の率いる旅団メンバーの「携帯する他人の運命」(ブラックボイス)、「神の左手悪魔の右手」(ギャラリーフェイク)も持ち込んだ万全の体制。

库洛洛拥有的“盗贼的极意”(Skill Hunter)可以夺取他人的念能力,加上“成对的破坏者”(Sun and Moon)、“人间的证明”(Order Stamp)等能力,还包含了自己所率领的旅团团员的“携带他人的命运”(Black Voice)、“神的左手恶魔的右手”(Gallery Fake)的万全的体制。

それらをスキルハンターに付随する「栞のテーマ」(ダブルフェイス)で、コンボさせながら確実にヒソカを追い詰めました。

用这些盗贼的极意付随的“书签的主题”(Double Face),这些组合确实能将西索逼到绝境。

ここで、能力の解説を一からすることはしませんが、結論から言うと「クロロvsヒソカ」戦は、「盗んだ念を駆使しているように見えるけど、実は観客に旅団メンバーが紛れて援護してる」という可能性が非常に高いということが読み取れます。

这里,不会从头开始解说能力,从结论来说《库洛洛vs西索》一战解读出了“表面上看起来是驱使偷盗的念,实际上混杂着旅团成员的援助”这种可能性非常高。

その考察の裏付けも割愛しますが、試合中のヒソカの疑問にも符合しますし、クロロの使用した能力を持つ旅団メンバーが会場にいる理由を考えれば十分ではないでしょうか?

这个考察的证据虽然放弃了,但符合比赛中西索的疑问,考虑到库洛洛使用的能力的旅团团员也在会场,这个理由难道不充分吗?

しかし、その重層的な情報量と複雑さによって、一読しただけでは「旅団vsヒソカ」戦の詳細を理解することは困難を極めます。正直、ガチファンを自称する筆者ですら、ぶっ飛ばしすぎてると思います。

但是,情报量的复杂和繁重,只读一遍的话,想要详细理解《旅团vs西索》是十分困难的。老实说,就算自称是全职迷的笔者,也觉得太过跳跃了。

であれば、最も深く読み込むであるはずの冨樫先生の担当編集者は、より一層その思いを募らせたのではないでしょうか?

这样的话,最应该深入解读的富坚先生的负责编辑,会更加这么想吧?

仮説2:冨樫先生、あとがきコメントは担当編集の良心?

假说2:富坚先生,后记是负责编辑的良心?

繰り返しとなりますが、そもそも「冨樫先生のあとがきが単行本に載ったこと」自体が、ファンにとっての驚きでした。

虽说又开始连载了,但是“富坚先生居然在单行本上写了后记”本身对于饭来说就是惊奇。

ですので、ここでは「なぜあとがきが載ったのか?」を考えたいと思います。

因此,这里想问“为什么会刊登后记?”。

筆者自身も編集という職業ですので、作者と読者の関係を良好にしながら、作品を伝える方法を考えることはよくあります。つまり作品を開くこと。解説です。

因为笔者本身也从事编辑工作,经常会有一边维持作者与读者良好的关系,一边思考如何传达作品的方法。也就是打开作品,即解说。

話が逸れてしまいましたが、「冨樫先生の解説が載っている」ことに対して、ここまでテキストを書いてきた筆者ですら「ぶっ飛ばしすぎてる」と感じた「クロロvsヒソカ」戦に対して、担当編集者が何も感じないわけが無い、ということを伝えたいのです。

话扯远了,对于“刊登了富坚先生解说”这事,就连经常写文本的笔者也感觉“震惊到飞起”,对于《库洛洛vs西索》一战的担当编辑,不可能什么感觉都没有。

上述の通り、ミスリードに溢れ、あまりにもハイコンテクストだった「クロロvsヒソカ」戦。

综上所述,充满了误导之意,太过于激战的《库洛洛vs西索》之战。

仮に筆者が冨樫先生の担当編集者だとすれば、冨樫先生本人から「あれは旅団vsヒソカだった」というコメントが欲しいと考えます。

假设笔者是富坚先生的担当编辑,恐怕也希望富坚先生本人亲口说出“那是旅团vs西索”吧。

そうすることで、より多くの読者が、より深く『ハンターハンター』を読み解くきっかけとなりますし、なによりただでさえ完全に理解することの難しい複雑なバトルに裏の駆け引きまで詰まっていると、今後、読者がついて来れなくなる可能性も懸念されます。

这么做的话,会有更多的读者会对《全职猎人》有更深的理解,不管怎样,如果读者无法理解困难且复杂的战斗其背后的故事的话,今后,很担心他们会不会继续看下去。

つまり巻末のコメントが掲載された理由は、端的に言えば「担当者からの指示」で間違いないでしょう。しかし、あの鬼才・冨樫義博が担当編集者の言うことなんて聞くでしょうか? 

也就是说卷末刊登后记的理由,直接说是因为“担当者的指示”。但是,那个鬼才・富坚义博会听担当编辑的话吗?

「クロロvsヒソカ」の解説、ではあるけれど

虽说是关于《库洛洛vs西索》的解说

ここからは、「旅団vsヒソカ」および、「解説は担当編集者からの指示」という前提のもと、さらに考察を続けます。

这里,以《旅团vs西索》以及“解说是担当编辑的指示”为前提,继续深入研究。

数々の伏線が張り巡らされた『ハンターハンター』において、作者が解説をすることはひとえにタブーと言っても過言ではありません。

对于内含许许多多伏笔的《全职猎人》,作者进行解说可以说是一个禁忌。

「『クロロvsヒソカ』戦の解説がほしい」という編集者の思いを知ってかしらずか、冨樫先生が出したコメントは、内心の吐露でした。

不知道是不是知道编辑者“想要《库洛洛vs西索》之战的解说”的想法,富坚先生所写的后记,是内心的吐露。

冨樫先生は過去のインタビューなどでも語っている通り、ストーリーをネームにする前にキャラの掛け合いをさながら漫才のように書き出していくそうです。そうして複数の論理展開をぶつけさせた上で、最後に主人公が解を出す。

就如富坚先生过去在网上说的那样,似乎是在构思故事情节之前,一边进行角色的相互交流一边像漫才一样写出来。这样在复数的理论展开碰撞中,最后由主人公做出解答。

また、作品に描かれない部分でも、そのキャラクターが「本当にその行動をとるのか」と検証する作業もされていると話します。

另外,还回答了,在作品还没写出来的部分中,会去验证那个角色“是否会做出那样的行动”。

作品における理不尽さをなくすことが目的だそうですが、それはキャラクター至上主義であるとも解釈できます。

作品的目的似乎是消除不合理。这也可以解释为角色至上主义。

現在もWeb上で読める石田スイさんとの対談では「キャラクターをコントロールできていない時の方が、漫画は面白くなりますよね」と語る姿もあり、このメソッドこそが冨樫先生の真骨頂であると言えるでしょう。

现在可以在网上看到的和石田翠先生的对话,“无法操控角色的时候,漫画才变得有趣。”这种方式才是富坚先生的真面目。

そんな冨樫先生が、巻末の解説において「ヒソカはあの場でマチを殺したがっていたのですが、僕が却下してしまいました」と記しました。

这样的富坚先生,在卷末的解说写下了“虽然想让西索在那时就杀掉玛奇的,却被我驳回了”。

筆者も読者として、「旅団全員、逢ったらその場で殺す」と天空闘技場での復讐に燃えるヒソカが、目の前のマチを生かしたことは、物語の都合上、メッセンジャーの役割が必要だったとはいえ、疑問が残りました。

笔者也是一名读者,“旅团全员,见一个杀一个”在天空斗技场中燃起复仇之火的西索,让眼前的玛奇活了下来,在故事情节上,虽说使者的任务很必要,但还是留下来疑问。

「楽しみながら戦う」ことから「必ず旅団を殺す」ことに目的が変わったヒソカにとって、メッセンジャーの存在は邪魔でしかないからです。

从“享受战斗”到“一定要杀掉旅团”,对于目的转变的西索,使者的存在无异于是一种麻烦。

つまり、「ヒソカがマチを生かす」という一件不条理な選択は、冨樫先生の物語制作のメソッドを覆して行ったものだったとすら考えられます。

也就是说,“西索让玛奇活下来”是一个非合理的选择,这颠覆了富坚先生创作故事的方式。

もちろん制作のメソッド自体が、すべてに当てはまらない可能性もありますが、冨樫先生が最後に記した「後悔しないといいなぁ……」というコメントの理由はそこにある気がしてなりません。

当然创作方式本身存在不可能完全符合的可能性,富坚先生最后写下了“希望到时不要后悔....”的理由或许也在这里。

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