日语文学作品赏析《二人の友》
作者:芥川龍之介
来源:青空文库
2010-01-06 00:00
僕は一高へはひつた時、福間 先生に独逸 語を学んだ。福間先生は鴎外 先生の「二人 の友」の中のF君である。「二人の友」は当時はまだ活字になつてはいなかつたであらう。少くとも僕などのそんなことを全然知らなかつたのは確かである。
福間先生は常人よりも寧 ろ背 は低かつたであらう。何 でも金縁 の近眼鏡 をかけ、可成 長い口髭 を蓄 へてゐられたやうに覚えてゐる。
僕等は皆福間先生に或親しみを抱 いてゐた。それは先生も青年のやうに諧謔 を好んでゐられたからである。先生は一学期の或時間に久米正雄 にかう言はれた。
「君にはこの言葉の意味がクメとれないんですか?」
久米も亦 忽ち洒落 を以て酬 いた。
「ええ、ちよつとわかりません。どう言ふ意味がフクマつてゐるか」
福間 先生は二学期からいきなり僕等にゲラアデ・アウスと云ふギズキイの警句集を教へられた。僕等の新単語に悩まされたことは言ふを待たないのに違ひない。僕は未 だにその本にあつた、シユタアツ・ヘモロイダリウスと云ふ、不可思議な言葉を記憶してゐる。この言葉は恐らくは一生の間 、薄暗い僕の脳味噌 のどこかに木の子のやうに生えてゐるであらう。僕はそんなことを考へると、いつも何か可笑 しい中に儚 い心もちも感じるのである。
福間先生の死なれたのは僕等の二年生になつた時か、それとも三年生になつた時か、生憎 はつきりと覚えてゐない。が、その一週間か二週間か前 に今の恒藤恭 ――当時の井川 恭と一しよにお見舞に行つたことは覚えてゐる。先生はベツドに仰臥 されたまま、たつた一言 「大分 好 い」と言はれた。しかし実際は「大分好い」よりも寧 ろ大分悪かつたのであらう。現に先生の奥さんなどは愁 はしい顔をしてゐられたものである。
或曇つた冬の日の午後、僕等は皆福間先生の柩 を今戸 のお寺へ送つて行つた、お葬式の導師 になつたのはやはり鴎外 先生の「二人 の友」の中の「安国寺 さん」である。「安国寺さん」は式をすませた後 、本堂の前に並んだ僕等に寂滅為楽 の法を説かれた。「北□山頭 一片 の煙となり、」――僕は度たび「安国寺さん」のそんなことを言はれたのを覚えてゐる。同時に又丁度 その最中 に糠雨 の降り出したのも覚えてゐる。
僕はこの短い文章に「二人の友」と云ふ題をつけた。それは勿論鴎外先生の「二人の友」を借用したのである。けれども今読み返して見ると、僕も亦 偶然この文章の中に二人の友だちの名を挙げてゐた。福間先生にからかはれたのは必 しも久米 に限つたことではない。先生はむづかしい顔をされながら、井川 にもやはりかう言はれた。
「そんな言葉がわからなくてはイカハ。」
福間先生は常人よりも
僕等は皆福間先生に或親しみを
「君にはこの言葉の意味がクメとれないんですか?」
久米も
「ええ、ちよつとわかりません。どう言ふ意味がフクマつてゐるか」
福間先生の死なれたのは僕等の二年生になつた時か、それとも三年生になつた時か、
或曇つた冬の日の午後、僕等は皆福間先生の
僕はこの短い文章に「二人の友」と云ふ題をつけた。それは勿論鴎外先生の「二人の友」を借用したのである。けれども今読み返して見ると、僕も
「そんな言葉がわからなくてはイカハ。」
(大正十五年一月)
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