日语文学作品赏析《カルメン》
作者:芥川龍之介
来源:青空文库
2010-01-06 00:00
革命前 だったか、革命後だったか、――いや、あれは革命前ではない。なぜまた革命前ではないかと言えば、僕は当時小耳 に挟 んだダンチェンコの洒落 を覚えているからである。
ある蒸し暑い雨 もよいの夜 、舞台監督のT君は、帝劇 の露台 に佇 みながら、炭酸水 のコップを片手に詩人のダンチェンコと話していた。あの亜麻色 の髪の毛をした盲目 詩人のダンチェンコとである。
「これもやっぱり時勢ですね。はるばる露西亜 のグランド・オペラが日本の東京へやって来ると言うのは。」
「それはボルシェヴィッキはカゲキ派ですから。」
この問答のあったのは確か初日から五日 目の晩、――カルメンが舞台へ登った晩である。僕はカルメンに扮 するはずのイイナ・ブルスカアヤに夢中になっていた。イイナは目の大きい、小鼻の張った、肉感の強い女である。僕は勿論カルメンに扮 するイイナを観 ることを楽しみにしていた、が、第一幕が上ったのを見ると、カルメンに扮したのはイイナではない。水色の目をした、鼻の高い、何 とか云う貧相 な女優である。僕はT君と同じボックスにタキシイドの胸を並べながら、落胆 しない訣 には行かなかった。
「カルメンは僕等のイイナじゃないね。」
「イイナは今夜は休みだそうだ。その原因がまた頗 るロマンティックでね。――」
「どうしたんだ?」
「何 とか云う旧帝国の侯爵 が一人、イイナのあとを追っかけて来てね、おととい東京へ着いたんだそうだ。ところがイイナはいつのまにか亜米利加 人の商人の世話になっている。そいつを見た侯爵は絶望したんだね、ゆうべホテルの自分の部屋で首を縊 って死んじまったんだそうだ。」
僕はこの話を聞いているうちに、ある場景 を思い出した。それは夜 の更 けたホテルの一室に大勢 の男女 に囲 まれたまま、トランプを弄 んでいるイイナである。黒と赤との着物を着たイイナはジプシイ占 いをしていると見え、T君にほほ笑 みかけながら、「今度はあなたの運 を見て上げましょう」と言った。(あるいは言ったのだと云うことである。ダア以外の露西亜 語を知らない僕は勿論十二箇国の言葉に通じたT君に翻訳して貰うほかはない。)それからトランプをまくって見た後 、「あなたはあの人よりも幸福ですよ。あなたの愛する人と結婚出来ます」と言った。あの人と云うのはイイナの側に誰かと話していた露西亜 人である。僕は不幸にも「あの人」の顔だの服装だのを覚えていない。わずかに僕が覚えているのは胸に挿 していた石竹 だけである。イイナの愛を失ったために首を縊 って死んだと云うのはあの晩の「あの人」ではなかったであろうか?……
「それじゃ今夜は出ないはずだ。」
「好 い加減に外へ出て一杯 やるか?」
T君も勿論イイナ党である。
「まあ、もう一幕見て行こうじゃないか?」
僕等がダンチェンコと話したりしたのは恐らくはこの幕合 いだったのであろう。
次の幕も僕等には退屈だった。しかし僕等が席についてまだ五分とたたないうちに外国人が五六人ちょうど僕等の正面に当る向う側のボックスへはいって来た。しかも彼等のまっ先に立ったのは紛 れもないイイナ・ブルスカアヤである。イイナはボックスの一番前に坐り、孔雀 の羽根の扇を使いながら、悠々と舞台を眺め出した。のみならず同伴の外国人の男女 と(その中には必ず彼女の檀那 の亜米利加人も交 っていたのであろう。)愉快そうに笑ったり話したりし出した。
「イイナだね。」
「うん、イイナだ。」
僕等はとうとう最後の幕まで、――カルメンの死骸 を擁 したホセが、「カルメン! カルメン!」と慟哭 するまで僕等のボックスを離れなかった。それは勿論舞台よりもイイナ・ブルスカアヤを見ていたためである。この男を殺したことを何とも思っていないらしい露西亜のカルメンを見ていたためである。
× × ×
それから二三日たったある晩、僕はあるレストランの隅にT君とテエブルを囲んでいた。
「君はイイナがあの晩以来、確か左の薬指 に繃帯 していたのに気がついているかい?」
「そう云えば繃帯していたようだね。」
「イイナはあの晩ホテルへ帰ると、……」
「駄目 だよ、君、それを飲んじゃ。」
僕はT君に注意した。薄い光のさしたグラスの中にはまだ小さい黄金虫 が一匹、仰向 けになってもがいていた。T君は白葡萄酒 を床 へこぼし、妙な顔をしてつけ加えた。
「皿を壁へ叩きつけてね、そのまた欠片 をカスタネットの代りにしてね、指から血の出るのもかまわずにね、……」
「カルメンのように踊ったのかい?」
そこへ僕等の興奮とは全然つり合わない顔をした、頭の白い給仕が一人、静に鮭 の皿を運んで来た。……
ある蒸し暑い
「これもやっぱり時勢ですね。はるばる
「それはボルシェヴィッキはカゲキ派ですから。」
この問答のあったのは確か初日から
「カルメンは僕等のイイナじゃないね。」
「イイナは今夜は休みだそうだ。その原因がまた
「どうしたんだ?」
「
僕はこの話を聞いているうちに、ある
「それじゃ今夜は出ないはずだ。」
「
T君も勿論イイナ党である。
「まあ、もう一幕見て行こうじゃないか?」
僕等がダンチェンコと話したりしたのは恐らくはこの
次の幕も僕等には退屈だった。しかし僕等が席についてまだ五分とたたないうちに外国人が五六人ちょうど僕等の正面に当る向う側のボックスへはいって来た。しかも彼等のまっ先に立ったのは
「イイナだね。」
「うん、イイナだ。」
僕等はとうとう最後の幕まで、――カルメンの
× × ×
それから二三日たったある晩、僕はあるレストランの隅にT君とテエブルを囲んでいた。
「君はイイナがあの晩以来、確か左の
「そう云えば繃帯していたようだね。」
「イイナはあの晩ホテルへ帰ると、……」
「
僕はT君に注意した。薄い光のさしたグラスの中にはまだ小さい
「皿を壁へ叩きつけてね、そのまた
「カルメンのように踊ったのかい?」
そこへ僕等の興奮とは全然つり合わない顔をした、頭の白い給仕が一人、静に
(大正十五年四月十日)
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